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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 公開当時

おもしろかったっす
見て良かった
いろいろと事情もあるだろうができてよかった
貞本エヴァを参考に、もとはライブ感覚で作ったのをラストから逆算して作り直してる
順当だしナイス
エヴァンゲリオンでひぐらしのなく頃にをやるわけだ
ブレンパワードの伊佐未勇は最初からちょっといい男だが
キスするし
碇シンジくんはやってることや考え方が僕にそっくりで共感できた
ヤシマ作戦では僕と呼吸が同じようにドキドキ同期した
この歳になるとミサトの考えや不安も分かるしそういう演出だった


エイジング技術的には機動戦士Zガンダムのほうが見やすかった
エヴァは粒子化の感じが霧が流れてる感じで気になった
Zガンダムのほうが粒子が安定してた
デジタルセルのままだったら平坦すぎてスクリーンには堪えられないのでそのてんのレベルはクリアしてた
戦闘シーンでは迫力があって細かいことは気にならなくなったが
まだ震えが止まらない


富野に比べると様式的でカッチリしてる戦いだった
まあ作戦がまだ乱闘ではないからな
ワンダバ感や脇役の感じは一昔前の押井守っぽかった

エヴァンゲリオンのデザイン直しはなっとくな所と不必要な所があった
世の中にはプラモを出し続けないと困る人が居るのね
まあ盾くらいは想定してる方が自然だよな

エヴァ役の林原めぐみの声が高くてエヴァと使徒の女性性が強調されてた
使徒の粒子と波な感じが出てて良かった

そんな感じ
特に今の段階でわかりにくい謎はなかった
伏線はあったが


ネタバレ


しかし、氷川竜介先生のパンフレットはネタバレを回避するためか、マジで技術的なことしか書いてなかったので、消化不良。キャラクター紹介やあらすじすら載ってないよ!
図表の番号が間違ってたし。オイオイ!
機動戦士Zガンダムのパンフレットで言えばエイジング技術論のところしか載ってない感じ。
キャラクター紹介が無いのは、キャラクターの年齢などの設定が変わっていることを隠しているのかもしれない。
まあ、そういうアニメスタッフの内情を書くところもエヴァ的であるので良いのだが、タイムシートとか見せられて喜ぶ客って代アニの学生くらいじゃないか?と素人の自分を悔しく思った。
それだけではなく、庵野秀明監督直筆兵装ビル設定書は面白かった。
っていうか、あの第三新東京市はやっぱり男の子のフェティシズム全開で女には教えたくない快感だなあ。

 ビルや背景のディテールといえば、UCCとローソンとピザハットがスポンサーとして頑張ってたのだが、シンジ君の履いているスニーカーはコンバースのオールスターという設定なのだが、TV版でも今回の映画版でも白無地のスニーカーで作画されてたので残念でした。
 服装の変更点といえば、赤木リツコ博士のほとんど唯一のお色気シーンである白衣に水着というマニアックなコスプレが展開の変更によってオミットされていた事。全リッちゃんファンが泣いた。ヤシマ作戦でネルフ移動指揮車が揺れるところの「キャァッ!」も無かったし。これで、ゼーレに陵辱されるシーンがカットされてたら全リツコファンがキレるのだが、多分カットだろーなー。
 お色気シーンのカットといえば、綾波レイがシンジに「非常召集、先、イクから」のところでスカートの下にシュミーズを着てない事だ!まあ、夏場に着てるほうがおかしかったんだが、綾波の胸、綾波の太もも、綾波の下着いいいいいいいいいいいイッ!でも、綾波は全体的にお色気シーンが追加されていたので劇場版としては正しいスタンス。乳首なんて皆に付いてるんだから見えて当然だと思う。
 レイがゲンドウの眼鏡にフェティシズム的こだわりを見せるように変化してる所は、エヴァ厨とファン層を重ねているkeyの美少女ゲームの美少女がたいやきやらドロリ濃厚やらハサミに執着するのを思い起こさせ、キャラ萌度をアップさせているのだが、単に初期脚本のイメージを復活させただけでもある。
 でも、これはデジタル技術の進歩とはあまり関係ないよなあ。テレビでは表現できなかったイメージの再現というわけでもない。まあ、戦闘シーンはかなりイマジネーション的で素晴らしかった。

 サキエルはカワイイ(瞬きは磯光雄さんのアドリブ作画なのだが、スタッフロールにはクレジットされず、旧画をトレスした部分のアニメーターはクレジットされないようで、残念。アニメーターは役者だと思うんだけど、人数が多すぎる?)
 シャムシエルはあさりよしとおの初期稿に他の使徒と共通するディテールを追加したものだが、せっかく腕の関節が増えたのだからもっとアグレッシブに動かして欲しかったが、殺陣のプランが前回と変わっていなかったので残念だった。色は素晴らしかったが。頭部の武器を使って欲しかったなあ。
 ラミエルは後で見ていたお姉さんが「ラミエル惚れたわ…」と言ってたのでマンコぐっしょり。やはりトゲトゲは男根の象徴か。
でも、声は女の子っぽかった。
 っていうか、殺されるラミエルは犯される女の子の悲鳴を連想させた。
私の中に入ってこないで!私を犯さないで!


 今回のエヴァンゲリオンはA I Rやひぐらしのなく頃にやイデオンや火の鳥と同じく繰り返す世界で、これは多分∀ガンダムと同じく全てのエヴァンゲリオンパラレルメディアミックス作品を全肯定するための試みだと思う。(THE END OF EVANGELIONの続きの地球なのか、第一始祖民族が宇宙にばら撒いた別の惑星のアダムとリリスで同じ歴史をやっているのか、まごころを、君にのラストで新たな命の種になったエヴァ初号機が次のリリスとして漂着した新しい地球なのか、妄想は尽きない)
それで、繰り返す物語として、メタフィクションとして自覚的に作ってあると思う。
 これは、当時はライブ感覚で作っていたスタッフがラストで思いついた設定を逆算して使うようになったとか、∀ガンダムやZガンダムの書き換えの手法を参考にしたりとか、他のアニメを見たり作ったりした上で新しくヱヴァを作る態度としては順当である。
(だから、10年間新しいアニメは無かった発言は庵野秀明のフカシっぽいのだが、作り手の主観としては正しい)
 TVの最終回でエヴァはメタフィクションの画用紙アニメをやったので、そのメタ感覚を前提として使うと言う訳である。
 エヴァンゲリオンはゲームやパロディー萬画でなんども改変されながら繰り返してきたので、この構造は非常にエヴァにマッチしていて、また、やはり本家の庵野秀明は他のパロディーとは違う重みのセルフパロディーだと感動させられた。
「時に、2015年」という時代設定がオミットされているので、いつの話なのか、地球の話なのか、もわからなくなっているところが刺激的である。
 また、地名が「新四国」「新九州」「新御殿場」など、かなり多くの場所に「新」が付いている事も見逃せない。単にセカンドインパクトで水没して作り直しただけかもしれませんが。新小田原は元々あったし。
 また、ヤシマ作戦の点描で一瞬だけ描かれる畑のシーンで、農家の人が畑で掘り起こしていたのは大根のように見えて、「ペットボトル」に見えたのはターンエーガンダムのように文明を発掘している世界なのか?
オレの見間違いか?
 それとも、未来少年コナンのプラスチック島のオマージュかな?

 で、そのメタ視感覚を生かすのに非常に有効に作用しているのが、Airの劇場版で登場した、アンチATフィールドであります。
皆さん、ラミエルがアグレッシブに変形して頑張って戦っている事に注目してらっしゃいますが、外側の動き(四次元の三次元空間に対する投影)よりも、僕は内部の変化に注目したい。
 今までのラミエルは正八面体のピラミッドの接合部分に粒子加速器を備えて荷電粒子砲を撃つという物であったのだが、今回のラミエルは変形からも分かるように、そんなものではない。
 ポジトロンライフルと電磁的反発を起す描写もなくなっているし、直接コアから光線を撃ちだしている所からも、あれは荷電粒子ではなく「アンチATフィールド」を応用した兵器だと推察した。
 まあ、ATフィールドでもいいけど。
 アンチATフィールドは生物を形作っている心の壁であるATフィールドを分解して生物の形状を破壊するモノなのです。で、今回の劇場版では使徒とエヴァは死んでA.T.フィールドを失うと形象崩壊するという設定が徹底されている。
(シャムシエルの触手が残っていたのはエヴァのATフィールド領域だったからか?)
 テレビの前半は面白いSFロボットガジェットだったのだが、エヴァンゲリオン新劇場版では後半からの心の問題、心の戦いを前半から明確に打ち出し始めている。
 と、すると生物にしか効果がない兵器という事に成るのだが、そこでメタ感覚が生きてくるのだと思う。
 サキエルの放つ光線、初号機に犯されそうになって自爆して形象崩壊するサキエルの爆炎、ラミエルのドリルを見ると「周囲の空間に亀裂」が走っている描写がある。
 これは、「世界を構成している物に対するアンチATフィールド」ではないかと考えられる。そのため、ビルや山を破壊することができる。熱ではない?
 だから、ヤシマ作戦でEVA零号機が使用する盾はSSTOを流用した物ではなく、NERVの正式装備ではなくては成らず、またラミエルに対する第三新東京市のシールドも耐熱版ではなく光子力研究所的な「割れるバリアー」という描写があった。
 これはアンチATフィールド対抗物質結合力強化型呪術兵器だと推察できる。
 エヴァンゲリオン専用単独防御兵装の正式名称をポスターで確認したら、
Enchanted Shield of Virtue=力天使(or美徳)によって魔法をかけられた盾
だった。

 また、ラミエルがアンチATフィールド砲台だとすると、その怪光線の奔流を陽電子で貫くのは、「陽電子は通常世界には存在しない物質」だという物理学的メタ視点なのかもしれない。

 つまり、映画はアニメであり、作り事であるが、粒子と波、光のようなもので構成されているのは、スクリーンに投影されている2次元の映画だけで無く、3次元に投影されたこの現実世界も同じなのであるという恐怖心と常識の破壊を観客に提示させる物であるので、非常に面白い。SFしちゃってるじゃん。
 でも、メタをやりすぎると勇者特急マイトガインの二番煎じになるので、それだけは注意して欲しい。
 なのだが、その点は作り事である事に自覚的であるキャラクターたち(自らを第3使徒と自覚している?第3使徒は渚カヲルか人類か)が、その中での現実の命を戦わせるという描写がシンジの苦しみやネルフの覚悟を倍加する事によって強調されている。
 非現実に耽溺したい冷静さと現実に生き抜こうという狂気との間で、ホメオスタシスとトランジスタシスの間の生物の戦いを描こうとしているのではないかと考えてる。




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