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ヱヴァンゲリヲン新劇場版序 の当時の世相の感想

ヱヴァンゲリヲン新劇場版 REBUILD OF EVANGELIONで描かれたネルフの態度とシンジの心。

何が良いって、順を追って人間関係が動いている所。
一番分かりやすく注目できたのは葛城ミサト二佐であります。
(その分、鈴原トウジと相田ケンスケが簡単にいい人になってしまっていたが、尺の都合か)
僕はシンジ君の年齢でエヴァを見て、今はミサトさんのほうに近い歳になってしまったのだが、両方の気分が分かるようになった。


これは仕事をもっている「大人」と、これから世に出るすべての「少年」の両方に観てほしい映画です。思わず涙がにじみました。

http://hikawa.cocolog-nifty.com/data/2007/08/10_b7ff.html


という氷川竜介先生の言う事は正しいなあ。
で、トウジとケンスケが簡単になった分、ミサトさんの中間管理職ッぷりがクローズアップされたように思える。プロジェクトX感覚もあるし。
上司として14歳の中学生を無理やり部下に持たされた感がありありと。
自室に韓非子やJIDAIが置いてあったり、勉強してる感じの働きマン。コーヒーは加持リョウジが死んでから飲むようになったのだが、どうやら仕事中はビールよりもコーヒーを最初から飲んでるようだ。
ほとんど同じ演技ができる声優サンばかりなのだが、シンジと部屋で話すシーンの三石琴乃さんは少し声が低くなってた。今回のミサトさんはhttp://www.evangelion.co.jp/公式サイトにも、パンフレットにも年齢が書いてないので、もしかしたら30代なのかもしれない。30代の女性上司が当たり前の世の中になったし。
でも、下着がエロイし、加持と分かれてからずっと処女だったというわけではなさそう。恋も仕事もちゃんとする現代型女性になってる。(日本酒が増えた理由はわからんが)
そんな篠原涼子的なカッコいい女性管理職が14歳を面倒見ろといわれて、同居したり、緊張しながら誉めてみたり、慣れない説教をしたり、手探りでも何とかしようとする感じは、前作のトラウマに囚われている事で満足していたミサトよりはポジティブというか普通にやれることをする姿勢がリアルになってる。
なのだが、決して一方向だけに成長するのではなく、葛城ミサトが家出をしたシンジ君に対して「他人なんて関係ないでしょう!」というのはそのままだが、「嫌ならここを出て行きなさい」に続けて「全てあなたの自由!」とキレるのは新しいセリフ。
これは上司失格だと思った。末端で徴用されてる中学生の子ども兵士に「自分の自分の意思で戦ってるという錯覚」を起させるのはやり方としては良いのだが、すげーむかついた。
矢鱈と速いエレベーターでセントラルドグマをターミナルドグマまで降りて、「お前も大変だけど、うち等も大変やねん。」というのは、良いと思ったんだけど、「貴方が大変なのはよく分かりましたが、なんで僕まで大変な目に合わないといけないんですか?」とシンジ君が当然の疑問を抱いたら「運命だ」と言い、そう言うしかないミサトさんはむかついたし中間管理職の悲哀を感じた。リツコさんがやれよと言ったからやってるって言う部分もあるし、意地もあると思う。
決して理想的なだけの関係ではないのが良い。
仕組まれた子供という事をどこまで知っていて、どこまで言って良いかは分からないのだが。ミサトも訳が分からない理由でも何とか説得しようと必死だった。そして、シンジをちゃんと人格として扱って説得するのは良かった。
条件がどうしようもなくてもその中でやろうという感じが、ミサとが笑顔を必死で作って手を握って、自分を全部使うところが偉かった。
だけど運命なのは死海文書にそう記されているからかもしれないが、死ぬ思いをするのが運命とか言われたら凹むよ。
こういうのを上司失格と思ってカチンと来るのは、僕がまだまだシンジ君よりのアマちゃん坊やニートだからかもしれない。
それでもシンジ君はなんだかんだ言ってエヴァに乗ってみんなを助けてやろうとするのが偉いなあ。
避難している人が寄り添って戦場を見るのは樋口真嗣特技監督のガメラ2 レギオン襲来を思い出した。
とは言うものの、やっぱり最後の最後では地が出るのがシンジ君。
「綾波ほどの覚悟も無い、訳も分からず動かせただけだ。そんな僕がどうして戦わないといけないんだ。なんで僕なんだ。なんのために?なんのために?」と、頭が真っ白になってしまう。
頑張ってたけど、前回のシンジ君よりも暗いセリフも増えた。「僕には守る価値なんて無いよ」「何かが変わるかと思ってやったのに、ちっともいいことはなかった」「生きる?何のために生きてるんだ?」うわー。オレと同じ思考パターンだ。
シンジ君は僕と同じようなことを考える人で10年経っても共感できるなあ。
トウジやミサトさんに対して挑発的にニヒリスト気取りで笑って見せたり。一言多かったり。自分のやってることが最初っから無意味だと分かっててもカワイソがられるためにやったり。すぐにフラフラしたり。こういうわけわかんない感じは僕も頻繁になる。
ここら辺は頭でっかちで使えない新入社員って言う感じ。
一生懸命頑張って、目標をセンターに入れてスイッチを入れるという命令は完璧にできるようになったし、言われた事はちゃんとやりますよ。
でも、爆煙で見えなくなったり戦場に民間人がいたりするのは僕のせいじゃないでしょ!言われたとおりにやったのに、なんで上手くいかないんですか!
言われたとおりに狙撃したのに、なんで敵が死なないんだよおおおおおおおおっ!!!!なんで僕の周りの人が死んでるんだよおおおおおおっ!!!!!
そういう優等生がブチ切れる感じがすごい共感できた。
DEATH NOTEの夜神月は計画を作って、破綻して死ぬが、碇シンジの戦いはそこからだ。決断主義でルールを作ると言っても、ルール無用の不条理世界が現実だ!
その点で、今回のヱヴァンゲリヲンはゼロ年代の想像力のネクストを目指している。
普段のシンジ君は頭が良いし「生きてても仕方ないし」という論理的な結論に至ってしまう。
そんなシンジ君が、戦うのは、もう、理性ではない。
泣きながら、訳が分からなくなって、戦う。
ラミエルを屠る時、シンジの頭も僕の頭も、「早く、早く!」という事だけでいっぱいだ。
そこには、もう本能しかない。
狙撃用装備も破壊され、ハイテク機器の補助もなく、無敵のエヴァンゲリオンも満身創痍。
誰も怖くて言えないが、勝てる可能性は全くない。
だが、シンジは脳の回路をフル回転させ、アルファー波やドーパミンを噴出させながら機械よりも正確な奇跡的射撃を無意識に、直感と根性だけで行なってしまう!
そして、ラミエルのコアを貫いた時、純粋に使徒の死を願う。
使徒死ね!
人類のために!皆のために、シネッ!

でも、ラミエルが人間に取り囲まれて、必死で泣き叫んで、エヴァ初号機に心の壁を犯され、断末魔の叫びをあげるのを2回目の鑑賞で聞いた時に、ふと我に帰った。
僕らはコイツの死を本当に願ってもいいものか?
使徒はただ、自分と同じ存在のアダムだかリリスだかを求めているだけで、撃たれた以上には撃ち返さない。
ただ、人間がサードインパクトが起こると生物が滅ぶと信じているだけだ。
使徒もまた、人なのに。
岡本喜八のブルークリスマスと同じでただ血の色が青いだけなのに。http://homepage3.nifty.com/mana/blood2.htm
これは、第弐拾五話での何故殺したのかという事を経験した視聴者と作り手だから感じられる事かもしれない。
敵を倒した爽快感の中にそういう毒のようなものを入れるのも、またエヴァだ。


335 :通常の名無しさんの3倍:2007/09/01(土) 19:54:12 ID:???
弱者のためのエヴァ
強者のためのイデ
だからか
ターゲットが強者に向いていたイデがヒットしなかったのは
富野作品は基本的に弱者を救済しない
少数派は救われないという永遠の課題と共にあると言える
が、そういう視野を視聴者に与えることこそが真の目的という裏返しとも言える
どちらが本筋なのかは意見が分かれるだろうが
その意見の分かれることもまた、富野作品の目的なのかもしれない
やっぱすごいよ富野は
ああだからエヴァじゃダメなんだということを、この機会に思い知った
上のような視野を得ることが出来ないから


ガンダムなどの富野作品とエヴァンゲリオンはここが決定的に違う。
庵野秀明は肉が食えないからな。
僕や庵野は殺される側に感情移入する。
富野は、弱者は死ね!強者になれ!という世代かもしれん。戦中派だから。
僕は「強者になったとしても、弱者と僕に何の違いがあるんだ?人を殺してまで生き延びるほど、僕は上等な人間なんだろうか?自分の価値を証明するために戦って、戦った結果人を傷つけて得られた価値って本当に僕の価値なのかな?大人が作った機械に乗って、知らない人と戦って、それでいいのかな?今は勝っててもすぐに僕は誰かの都合で殺される側になるんじゃないかな?戦争を起こしても、革命を起しても、金を稼いでも、宗教に走っても幸せにはなれないし何もかも無意味だ」
と思う。多分、シンジ君もそう考えてる。
これは戦後で高度経済成長もなく革命もやってない、自分で何も手に入れていないテレビ世代だから。
自分の人生だって代換可能のような、離人症的(これもエヴァ用語だったな)虚無感、無常観、無価値観は日常的に思考パターンに組み込まれている。スポーツとかが得意だったらまた違ったのかもしれないけど。
これは僕のような病気のメンヘルのアニメおたくのの引きこもりの例外的なダメ人間の考え方かと思ったら、どうやらエヴァ当時から、今もよりいっそう世界は後がなくなりつつあり、厭世観は広がっていると思う。



http://d.hatena.ne.jp/farrah/20070902
それで、こっからは作品自体に直接関係ある話じゃないかもですけど、個人的には、今って10年前より確実にヤバい時代だと思うんですね。

「正体のない怖さ」に対する怯えやもがきや足掻きの発露があった。それが95年以降の状況だったのではないか?と個人的には思っていて、そういうのが僕は好きだったし、社会のどこかに、また自分のどこかに必要なバッファだと今でも思ってます。だけど今はなんていうか、それを通り抜けて、というか麻痺して、自意識的な怯えは足掻きはかっこよくなくなって、平面化し、より希薄に、何もかもが当たり前に、もう怖くない、ってことでやってるけど、バッファがないんですよ、なんか。それがヤバいと思うんです。僕もアナタもみんなも大好きざっくり二分法で言うと、エヴァ的なもの・90年代的なものは確かに病理の発露であり社会的に治療すべきものだったかもしれないんですけど、今は表向き治療されているだけで内にはいろいろまだ抱えてるはずなのに、その内なる病理を許容するスペースがないというか「織り込み済みの異常値含めての正常値」以外を認めない社会になっているのでは?と個人的に感じてしまうわけです。

それで、怖い世界に対して引きこもってしまうのがセカイ系、自分が怖いルールを作って戦うのが決断主義、なんだが、今回のシンジ君は、
「もうなんだか分からなくってキレてぶっ殺す」という、僕等の世代らしい振る舞いを見せている。
死んでもいいって言いながら、殺されそうになるとやっぱり死にたくないんだ。自分の価値があるかどうか確かめる前に、とりあえず死なないために体が勝手に動いてしまう。
非現実に耽溺したい冷静さと現実に生き抜こうという狂気との間で、ホメオスタシスとトランジスタシスの間の生物の戦いを描こうとしているのではないかと考える。
先にケンカを吹っかけたのは人類の方だけど、人類だって訳がワカラナイし、使徒もどうしていいかわからないで生きている。使徒には罪は無いけど自分がもう戦いを始めたら殺すしかない。

まあ、まだ序なので、これが結論ではないと思う。
シンジ君が前向きになったと言っても、まだキレてるだけだから。キレられるだけマシなんだが。
しかし、使徒と人間の心の関係が明らかになるにつれて、これがどうなっていくのか。
ダメな部類のオタクの間で、戦争待望論や嫌韓流がある。
これも「生き残るためだったら自分はなにをやってもいい。自分と似たものはニッチが重なるから一番憎い」というキレた脊髄反射的生存本能で、今回のシンジ君と同じなんだよね。
さて、新たなエヴァンゲリオンや渚カヲルとの出会いの中で、碇シンジはどこへむかうのだろうか?
圧倒的な母親の力で自分だけが生き残ればいいというのか?
やはり、違う物とは分かり合えないのか?
人間同士も近づくと傷付く事が絶対条件なのか?
人間はそんなに悲しい存在だった、と言うだけで片付けられるのか?
勇者王ガオガイガーFINALのように生存競争をすることが生物の正義なのか?
現代の視聴者の欲求を満たすだけではフィクションとして志が低い。
庵野秀明なら、できると思うし、今回の映画はやりそうな気がした。
「オルファンさーん!解り合えるはずなのに戦うなんて絶対におかしいって思いません?オルファンさん!」
ブレンパワードの宇都宮比瑪や伊佐未勇ほど強くもないし勇気もないシンジ君が、人と使徒の心をどうもって行くのだろう?
オルファンに殺された人も何万人といる。


そして、やっぱり僕たちは戦う価値があるんだろうか?
世界に生きる理由はあるんだろうか?
幸せってどこにあるんだろう?
シンジ君はキレて戦ったけど、現実にはそんなにキレるほどのことは無いし、キレて何とかなる事もないし、キレていい場所もほとんどない。
バカな奴はすぐにキレるけど、僕みたいなのはキレるほどに守りたい物も無い。キレて欲しい物も無い。キレて何とかなるほど強くない。
かといって、死ぬような目にあってキレるのも怖い。キレないと生きていけないって、酷すぎる。
そんなことを考えます。


http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-965.htmlの記事で、囚人022さんが

 ブームを起こすような作品っていうのは、「時代と寝ている」作品が多いんじゃあないかと思うんです。(もちろん、世の人たちよりもいち早く、時代を捉える感性が、そこでは要求されるんだろうと思いますが。)

今回の庵野さんが目指しているものは、90年代の作品であるエヴァをゼロ年代モードでリビルドすることなのか、エヴァに「時代を超えた普遍性」を与えることなんだろうか、というのが頭をよぎりました。

と言う事をおっしゃってたし、ボクも見る前は口当たりをゆとりモードにしただけかと思ってたのですが、僕がヱヴァンゲリヲンを見た限り、ただゼロ年代の想像力に合わせただけでは無いと思いました。
時代と寝るって言うのは、時代に売れるものを作るだけじゃなくって時代を作るということもあるし、エヴァはそういう作品だと思うです。
普遍性は人間らしさがあればいいと思う。



00年代風にリライトしただけで無く、その次を見据えていると感じた。
90〜00年代を踏まえて。
ラミエルをやっつけたシンジはセカイ系に引きこもるのでもバトルロワイアルルールの中で戦うのでもデスノートコードギアスルールを作るのでも戦闘美少女を助けるでもなく、ルールがなくなって訳が分からなくなった所でブチ切れるというところが新しい。
70年代の戦闘ものへの回帰かなあ?
でも、シンジ君は戦って勝つとかカッコよく燃えるというよりは訳が分からなくなってる所がシンジらしい。
「やってやるぜ!」とか「地球の平和のために!」なんて絶対言わないし、そんな余裕が無い。
以前のガイナックスだったら「奇跡は起きます!」というセリフくらいは吐くのだが、なりふりかまわなくなってる。
ミサトさんがシンジを励ますのも、そうしないと死んじゃうからだし、NERVも必死だし、セカンドインパクト後の世界が旧作エヴァンゲリオンよりも復興してない後の無さがリアル。(Zガンダムは環境問題という程度になってて一年戦争の傷痕が薄かったなあ)
格好よく戦わないところが格好いい。すごく痛そうだから痛いのをなくすために戦う動機ができる。


これから先、

美少女達と繰り返し、終わらない(あるいはその部分だけ切り取った)パラダイスを演じるか?(Fate、ひぐらしのなく頃に、涼宮ハルヒの憂鬱、らき☆すた、「また3番目か」のカヲル君、碇シンジ育成計画)
異種との生存競争を肯定し、悪を破壊する快感に燃えるか?(ガオガイガー、マブラヴ、ガメラ2、スーパーロボット大戦、ガイキング、鋼鉄神ジーグ、ブチ切れて本能だけでラミエルを屠るシンジ君)
っていうかキレっぱなしで殺すだけで狂うか?(旧訳カミーユ、キれて少年ナイフシンジ)
分かり合えない人間同士の悲しみに溺れるか?(ガンパレードマーチ、ラーゼフォン、旧エヴァの使徒と人間の関係)
主人公様は無敵なんだからお前等全員死ね?(ガンダム、ボトムズ、機械よりも正確な射撃を気合で遂行するシンジ君は異能生存体っぽい)
バカは死ななきゃ治らない?(イデオン、EoE)
命がけで和解して、生きて死ぬこと自体が楽しいと満足する?(白富野。オルファンさーん。ディアナ様、また明日。やっぱ、この一杯のために生きてるようなもんよねえ)
小さな共同体や擬似家族を守れたら良いんじゃないかな?(キングゲイナー、木更津キャッツアイ、協力するネルフや電力会社、トウジとケンスケのボイスメッセージ)
認識を半歩ずらしてポジティブになる?(新訳Zガンダム、我が強くなったシンジ)
戦ったら女にモテるぜ!(Zガンダム、リーンの翼のエイサップ、包容力が増したミサト)
むしろ、親父が改心する(リーンの翼、ミサトに説教される碇ゲンドウ)
死ぬ(ロック冒険紀、男はつらいよテレビ版、ぼくらの、ゲーム版のバッドエンド)
始まったばかりだ!(男坂、ローゼンメイデン、新世紀エヴァンゲリオン学園堕天録)


ヱヴァンゲリヲン新劇場版 REBUILD OF EVANGELIONを見る限り、これらのどれに成る可能性もある。
どれにも成らない可能性もある。
見たことが無い物が見たいが、面白いものが一番見たい。
とりあえず、これくらいの要素はヱヴァンゲリヲン:序の段階でぶち込まれているので、破、急、???に至る段階で確実にやってくれると思います。

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