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#ヱヴァ序 の作画と演出の変更点について

Nervの職員の脇役の顔つきが個性的になってパトレイバーみたいな群像劇になってて面白かったナー。
特に、改造用電子砲を組み立てている技術局職員がデブになってるのが良かった。元はジブリアニメっぽい平均的な形だった。
デブはキャラクターの個性を簡単に付けられるので偉い。
岡田斗司夫曰く、

ただ、ひとつハッキリしてるのは、僕は痩せたことによって「デブ」というキャラクターを失った、ということ。「いつデブ」の中でも書いてるけど、現代の日本では人は「見た目・印象のキャラ」というので判断・解釈される。「デブ」というキャラは良くないキャラだけど、それでも「キャラがない」よりは実はマシ。なので「デブ」でなくなったら早急に別の何かにキャラチェンジしないとマズい。「デブ」→「普通」というのはありえないので、たとえば「ガン」という新キャラを植えつけられちゃうわけ(笑)
 そのため、僕としても急いでジャケット着てメガネかけて「インテリ風味」を、それもやや極端に進めてるわけです。はい。
mixiの岡田斗司夫氏の日記より

と言う訳でデブは偉い。
まー、そんな感じなのだが、スタジオジブリっぽいなーと思ったところもあった。
 エヴァンゲリオンの暴走に驚いて、カメラから80m位離れた発令所の左翼下部フロアにいたネルフ職員がビクっとして足の位置を変える芝居がついてたのが良かったなあ。小さいモブが動くのはジブリっぽい。ガイナックスも元々そういう細かい描写の会社だが。
 だが、宮崎駿っぽく大げさに動かすんじゃなくて、リアクション小芝居と言う感じにするのは富野由悠季っぽいなあ。
 僕は小芝居が好きなので、豪華な映像がついたのもいいんだけど、小芝居が追加されたのがよかった。
 10年かけて解釈を皆がやった結果がフィードバックされて分かりやすくなってたのがよい。


 特に良かったのは、碇シンジ君が初めてエヴァンゲリオンを見たシーンがかなり変更されていて良かった。初めてロボを見たときのリアクションは大事だ。
ちなみに、カミーユは「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうか?」→「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてあげるよ!」になって、余計攻撃性が増している。
 ヱヴァンゲリヲンに戻ると、TVのシンジ君は明かりを消されて、
「んッ…アッ…あのっ…真っ暗ですよっ」とヘたれるのだが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版ではなし。
 エヴァ初号機を見て、「顔?巨大ロボット?」と、変な物を見て一瞬で巨大ロボットと言うおたくっぽい単語を発するのは違和感があったが、それもなし。
新生シンジ君は落ち着いてる。
 まあ、嫌な物は嫌なので乗るのをグダるのはそのままなのだが、
綾波に「大丈夫ですかっ!」と声をかけるのが良い感じの距離感でよかった。いきなり女子を抱き上げるのはキモイからな。
 こういう風にセリフが一つ入るだけでよくなる。
貞本エヴァでも綾波を「あぶない!しっかり!」と抱き上げるのだが、新劇場版の敬語を使うところがシンジ君みたいな中学生のリアルな言葉遣いでいいなあ。
 しょっぱなに包帯女が出たら普通は引くので、そういう感覚があっていい。
 というわけで、シンジは綾波にいきなり抱きつくほどの性欲は感じてなくて、単に人助けをしただけっぽい。
 えらいぞ。主人公っぽい。できる事はする、と言う程度の基本的な道徳があるのは偉い。
 で、今回のシンジはあまり綾波に拘ってないのかもしれん。
以前のシンジは父親にかまわれている綾波にかまって貰う事で父親を振り向かせようとしてたのだが。
 というか、綾波の再起動実験が端折られてて、ミサトさんが増えてるから葛城ミサトがヒロインみたいな印象になってる。
 ヤシマ作戦中に綾波が碇ゲンドウの眼鏡を持ってるのが、再起動実験の代わりになってるんだが。
 ヤシマ作戦後にあのメガネはどうなったっけ?
綾波はシンジを見ているんじゃなくってゲンドウに似ているシンジを見ていたのだが、笑う前にゲンドウを思い出さないし、ヤシマ作戦でめがねが破損してたりしたら、父親をシンジが乗り越えたと言う事になるかもしれん。レイがシンジに惚れたと言う事かもしれん。
 なんか、今回のシンジって綾波に母親を見ているって言う感じがしないんだよなあ。まだ序盤だからかなあ?
 なんか、綾波を「大丈夫ですか?」と助け起したり、自分よりもヒドイ目にあった綾波を助けるために率先してゼロ号機からエントリープラグを引きずり出したりするのを見ると、シンジ君が綾波よりも精神的に上位にある感じがして、つまりシンジは女を助けられる男なので、スゲエカッコいいし、オレもそうありたいので共感する。

 で、序盤のサキエルのA.T.フィールドの崩壊がきっかけで?電車の幻影を見たところで「綾波シンジ、碇レイ」という会話が挿入されたので、今回の綾波は母親のクローンと言うよりは、妹的存在としてクローズアップされるのかもしれん。
 時代とオレのニーズに合わせてくれると良い。
去年エヴァを再見した時に、綾波はシンジの生まれられなかった妹で、人と触れ合って人間になりたがっている妖怪人間少女どろみちゃん(永野のりこ)かなあ?と思ってた。で、結局綾波は人間になれないで巨大化して、初号機の碇ユイにバラバラにされて幻影魂に帰ってしまった。
 綾波が妹だといいなあ。萌え萌えだなあ。
そんで、ブレンパワードのエンディングみたいに姉妹も彼女も愛人もみんなまとめて抱いてやるぜ!みたいになるとスゲエカッコいい。まあ、シンジ君はそこまでエロくないけど。オナニストだし。


 んで、あと芝居の変更点で気になったのは、道路が使徒によって破壊されていて進めなくなるところ。
 これで、もし道路がそのままだったらシンジはどこまでいったんだろう?
先生の所に帰ったのか?
 アニメ夜話で岡田斗司夫が「シンジ君はすぐに見つけてくれそうなところで拗ねてる」と言ってたんだが。
 今回のシンジ君は既に見つかってると分かった上で、(諜報部が守っていると分かっているから繁華街でホームレス)それでもどこかへ向かおうとする。
ミサトさんは「父親に認められたいために残った」というんだが。
 だが、シンジは「何かが変わるかも」と言って第三新東京市に来た。
これは、シンジにも自分のためのメリットがあって行動しているという事になる。僕は旧作のシンジ君のような人格障害なので、精神科医に「もっとメリットを意識して、損得勘定を優先して生きろ」と指導されているところなんだが、新作のシンジ君は他人に認められたいだけじゃなくて、自分が何かをすっきりさせたいと言う欲求があるようで、それはすごい前作より進歩したと思う。
 シンジが何を変えたいと思っているのかは、今は分からない。(メタ的に言うとループする世界か?)貞本エヴァと違って、庵野エヴァはトミノアニメ並に作品より以前の過去が無い。いじめとかじゃないと思うんだが。
 というわけで、劇中に登場した要素だけで考えると、シンジがすっきりしたかったのは父親との関係だと思う。
 父親に認められたい、と言うよりは、お互いに無視しあうのは気分が悪い、と言う、機分の悪さを感じてるんじゃないかと。
 気持ち悪いと感じる事は現状を変えようとする動機になる。
むしろ、自分から目を背けて何も出来ないゲンドウに代わって家族を修復してやろうと言う気持ちがあるかもしれん。
 まあ、それでも病院で目を背けたり、簡単には行かないで挫折経験も積む所がエヴァらしいんだが。
成長しようと言う気持ちがあるのはいい。
 じゃあ、なんでシンジ君は旧作と変わったのかと言うと、やっぱりループして経験地が上がってるからなのか、庵野監督の気分が半歩ずれたのか、それとも元々シンジはそれなりに頑張ってたのが報われるようになったからなのか。



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