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にゃるら日記で、「ととのう」~人はわかり合えるのか?~

にゃるらさんの日記は、どことなく雰囲気が富野監督の作品に似ている。
俯瞰するように客観視する第三者の冷めた視線と、ある種のあきらめを自覚しながらも、望んでも届き得ぬものに手を伸ばそうとする姿勢。冷水と温水を交互に浴びせかける文章だ。読んでいると、思考が「ととのって」くる。


人はわかり合えるし、わかり合えない。
富野監督も『「他者と完全にわかり合えるニュータイプは生まれる」と30年間がんばって、ガンダムをつくることに挫折したトミノがいる。』とコメントしています。
(引用元)
https://withnews.jp/article/f0201107003qq000000000000000W07c11001qq000022057A

イデオンでも『ふたつの地球の人々が憎しみ合わなければ、イデは目覚めなかった』、Vガンダムでも『二人のやさしさがお互いを敵にしたのです』 というセリフがあります。

人がわかり合えない物語を描くことで、逆に人がわかり合える可能性を示している。

初代ガンダムだって、デキンの会見の際にレビル将軍は『そうか……つらいのだなジオンも』と何気なくつぶやく。敵を見ながら、どこか相手への思いやりを感じせる発言だ。大きな物語に回収される演出でなくとも、人にデフォルトで備わっている他者とわかり合える可能性を感じる。

ただ、相手への思いやりの裏には、自分を徹底的に客観視しなければならない。優しい人は、大抵つめたいのです。思いやりの代償として、自分に対する徹底的な客観視を求められる。思いやりはわかり合いへの入場券ですが、徹底的な客観視するクセがつくと冷酷さがつきまとう。冷酷さがつきまとう限り、人のわかり合いは遠ざかる。

書いていて訳わからなくなった。風呂入って寝ることにします。

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