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身近なひとは身近ではなくなって、でも大切であることは変わらないから。

身の回りのひとたちの世界が、変わる。
周りにいたあの人たちの人生が、変わる。

数年前、「今日疲れたねえ、このあと飲みこうよ?」「いいね!賛成!」なんて話しながら居酒屋にはいり、変なひとに絡まれても笑い話にできるような。そんな彼女が”結婚した”らしい。

あんなに仲が良かった彼女の結婚も、人伝に聞くようなそんな日常も、もう慣れた。
社会人になって、みんなと会わなくなって。
近況も、ましてや恋愛沙汰も聞く機会なんてほとんどない。

ごく稀にくだらないLINEやインスタのストーリーにコメントを残して、関わりなんて言えないようなそんなやりとりをする程度。
とりあえず、友人の結婚を知ったわけだし、とLINEに連絡を入れて。

「 結婚おめでとう! 」
「 ありがとう!! 」
「 姓は変わったの?それとも○○のまま? 」
「 かわった〜△△になった!」
「 △△さんかー!!なんか不思議! 」

もう、○○さんじゃないんだなあ、とふと心臓が少しピリついて、彼女の姓が変わったところで彼女は私の友人だし、いきなり性格が変わって例えばオラつくなんてことはないけれど。
なぜだか、○○さんとして隣にいて遊びに行った彼女がどこか遠くに行ってしまった気がした。

そんなことは、ないはずなんだけどなあ。
彼女はそんな人ではないということを、ちゃんと知っているのに。
わたしの姓が変わっても、わたしは変わらないはずなのに。
変だ、おかしい。

ちいさくて愛らしくて。
大学生の頃は、毎年春になるとふたりで夜桜を見に行った彼女。
出会ってすぐ、何故だかわたしが誘われた軽音部のライブに行って今までのお互いの恋愛遍歴(というか変歴)を話して、それからうんと仲良くなって毎年春は2人で桜を見に行った。

あの場所にいた彼女は確かに変わっていくだろうし、私も変わっていくだろう。でも、お互いの全て、根幹は変わってしまうことなんてほとんどない。

きっと、最近周りが変わっていくことに対して敏感になっているからそんな不安な気持ちになっているのだ。
わかりきっている。私は多分、第一次結婚ラッシュとやらの真っ只中にいる。

焦っているつもりはないんだけどなあ。
私は変わるのが怖いし、人が変わっていく雰囲気共々もれなく苦手だ。
何かが変わるってことは関係性だったり、状況だったりが変わるということで。再構築するリスク的なものが苦手なだけなのだけど。

仕方がない。
生きているわけだし、歳を重ねれば色々なことが起こる。

この繰り返しをあと3回から4回、もしかしたら5回から6回繰り返すと思うと気が遠くなるけれど。

まあでも今は。
結婚おめでとう。
私の大切な友人たち。とだけ。

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