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ママが選んだナップザック

「だって、ママがこの柄にしたらって言ったから」

 小学6年生の家庭科の授業。私と彼女は、学校から配られたナップザック制作キットのビラを見ながら話していた。
 小学生に好まれそうなあんな柄、こんな柄がたくさん並んでいて、目移りする。
 「作って使う」までがこの授業の醍醐味で、私たちは自分で作ったナップザックを持って、社会科見学に行く予定なのだ。

 6年生は、思春期に片足を突っ込んで、ゆらゆらぐるぐるしている時期だ。あの子はどの柄にするんだろ。これを選んだらどう思われるかな。成長し始めた自意識が、迷いを加速させる。
 こんな些細な、家庭科の授業の布選びでさえ、自分でない誰かの目を気にせずにいられない。

 彼女はイルカがたくさん描かれた、爽やかな青の柄を指差して、私はこれにする、と言った。
 前回この話をしたとき、彼女と私は「おそろいの柄にしよっか!」と言い合っていたはずだ。互いにイルカの柄を推した記憶はない。
「なんでこれにしたいの?」

 冒頭の台詞に戻る。
 なんで、自分で作って、自分で使うナップザックの柄を、ママが選ぶのか。
 彼女からその台詞が発されたのは初めてじゃなかった。だけど、それから二十年以上の時が流れた今でも、この時の会話だけは強烈に記憶に残っている。

 たかがナップザックじゃないか、と思ったか、思わなかったか。

 それ以前にも彼女はたしか、通う塾だとか、入るクラブ活動だとか、遊ぶ曜日のことだとか、いずれ受験する学校だとかのことを「ママ」が選んだと言っていた。
 それらは小学生だった当時の私にとって、ママが選んでも違和感がなかったものたちだった。
 だけど、たかが家庭科の授業で使う布にまで、ママに意見を求めなくてもいいじゃないか。

 そのとき私は、赤いチェックで、テディベアの柄が入った布にするかどうか迷っていた。
 この頃、本で読んだ「イギリスでは、子どもが生まれたらテディベアをプレゼントし、生涯の友とする」という話に影響され、テディベアにハマっていたのだ。
 だけど、あるときクリスマスにもらったテディベアのようなぬいぐるみを友だちに見せたら、「えっ?」と言うような顔をされた。その子はかわいいねと言ってくれたが、そのわずかな「え?」が、私の気持ちを揺らがせた。
 この年になってぬいぐるみなんて、子どもっぽいのかな。
 おかしいって思われたかな。
 だからナップザックの布も、違うものにしようと思ったのだ。誰かにばかにされたくない一心で。

 彼女がイルカにすると言ったから、私もイルカにしようかと思った。だって、おそろいにしようと言っていたのだ。
 だけど、自分でも彼女でもない人が選んだ柄の布を使うのは、なんだかおかしい。
 そうはっきりと思って――結局私は、
「私はこれにする」
と、テディベアの布を選んだ。

 今でもたまに、この時の出来事を思い出す。
 彼女は母親に勧められた大学までエスカレーターの文系女子中に合格したが、私が共学の某マンモス大学の文学部に入学した一年後、同じ大学の理系学部に新入生として入学してきた。
 付属の大学には進まず理系大学を受けたのだが、一年目に進学した先が気に入らず、仮面浪人したのだという。

 すごいじゃん。
 自分で決めたんじゃん。

 再会した彼女にそんなことは言わなかったけれど、心の中でこっそり拍手した。
 学内でよく、自分で選んだのであろう恋人と寄り添い合っているところを見かけた。

 私は5歳の息子と、3歳の娘の母になった。
 その日着る服だとか、通いたい習い事だとか、来年使うリュックやランドセルの色だとか。些細なことでも、なるべく自分で決めさせたいなと思っている。
 たいした子育ての目標はないけれど、いつか親がいなくなる時に、「自分で選んだ自分が好きなもの」に囲まれていてほしい、と。そう思うのだ。
 

#自分で選んでよかったこと

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。