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3.11によせて。

短い文章を書く。日記のようなものです。

歳を重ねるごとに、自分の中で3.11の日のもつ重さが変わってきている。いつもよりなんとなく重く神妙な心待ちになる。今日も「また巡ってきた」という気持ちで目覚めた。

3.11の前と後の日本では、いろんなことが変わったと感じる。いろんなこと。人々の意識。ほんとうに大事なもの。不思議だけれど、東北にいた頃より今の方が自分の中で3.11が特別な日になっている。

東北の沿岸で暮らしていた。津波の被害はほとんどなく家も無事だった。断片的な記憶しかない。

中学の校庭に避難して、寒かったので制服の下にジャージを着ることが許された。教師たちがワンセグで中継を見ていて、ずるいなと思った。停電したから母が土鍋でご飯を炊いた。おいしいなと思った。暗闇の中で焼かれた肉を食べた。温かいのに、こわかった。当時片思いをしていた相手に無事だと伝えたかった。電波が届かなかった。夜、発電機の音がうるさいと苦情が来た。音が止むと、星が綺麗だった。すべて膜の中の出来事のよう。14歳だった。

「もうすぐだね。」

2時46分。社内が静まり返って、切れない電話の声だけが響いた。目を瞑って、暗く冷たい水の中を想像する。そうしなきゃいけない気がしてしまう。大学時代、被災地で出会えた人々の顔を思い返す。また会いたい。会えないときに限り、会いたい気持ちが強くなる。

黙祷を終えると、夢から醒めるみたいに何かがパチンと弾ける。日常が流れ出して、わたしは少し取り残される。

出来るだけ幸せに生きたいなと思う。生きている限り、生きていたいなと思う。それしかできないし、それしか望まれていないと感じる。

3月の暖かい東京で、今年も3.11が過ぎた。また明日がやって来る。

祈りを。

ここまで読んでいただきありがとうございます! いただいたサポートで、自分へご褒美あげたいなと思います。