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『キン肉マン』に思うこと

 『キン肉マン』という作品はどう考えても、日本を代表する民俗学者のひとり折口信夫(おりくちしのぶ)の言う「貴種流離譚」そのものである。貴種流離譚とは、身分が卑しいと思われていた人物が苦難の末に成功し、実は高貴な血筋であったことを見出されるパターンの物語だ。スグルも幼少期より酷い目に遭いつつ、大王になっている。こういうキャラクター造形には、やはり作者ゆでたまご先生たちの無意識が反映されているのだろう。

 それにしても、スグルがたいてい「のほほん」としている様に見えるのは本当だろうか。「実は覆面だった」という設定も意味深だ。呑気そうなのは上辺だけで、実は辛い気持ちを隠していたということではないか。そして、「マリポーサはグレてしまったが、スグルはグレなかったから偉い」といった理屈にも違和感を覚える。少なくとも、幼少期に両親からブタと間違われて捨てられて平気なわけがない。感情鈍麻や解離に陥ったと考えるのが、自然な解釈ではないかと思う。

 本当に辛い人は、辛さを隠して道化になることがある。なおさら、周囲には理解されない。スグルもかつて、「覆面の下では泣いている」設定のキャラクターだったかもしれない。新シリーズが連載中の本作であるが、主人公の彼には本音でバカをやる強さを期待したい。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。