強さと優しさ

強さと優しさって対照的なように感じられる言葉だろうと思います。

私自身のことでいうと自分の優しさについてはあまり疑ったり、閉じ込めたりしたことはないのに、なぜか強さは“表現してはいけないもの”のように、無意識に抑えながら生きてきたように思います。これはコーチングを体験して気が付きました。

考えてみると、強さと優しさって実はコインの裏表のように、お互いを内包しているもの。

真の優しさは強さを内包していなければ成り立たないし
根っこに相手を思いやる気持ちがなければ真の強さとはいえない(勝手ながら私の定義)

声なきものの声になる、とか
弱きを助ける勇気を持つ、とか。

これらは強さと優しさがコインの裏表のように一体でないと発動が難しいように思います。そして、覚悟がいることだと思います

過去の様々な経験から、辛かったり、寂しかったり、悔しかったり、悲しかったり、何かや誰か(自分も含め)に対して戸惑いや憎しみ、後悔を抱いたり。

そういう感情を抱えてきた時間があったとして、それは同時にかけがえの無い自分の一部であり、その経験があるからこそ他の人より深く感じる力、鍛えられた能力があるはずです。自分の経験を通してひとの気持ちが分かる。とても大切なことだと私は思います。

それがいつか強さと優しさになり、自分の人生をより豊かにしてくれるダイヤモンドの原石のように思います。そしてそうなるように、過去の経験をオセロのように、ちゃぶ台返しで正解にしていく力が、誰にでもあると信じます。

どのような課題を抱えていたとしても、きっと小さな一歩は、自分と向き合うこと。そしてこの探索は、実は勇気がいったりします。なぜならば、そこに向き合うと決めた時点で他責ではなく自責になる覚悟を必要とするから。

私自身の経験から、自分を知っていくほどに、なぜか自分の事がもっと好きになります。
だから、実は、自責になる方が他責よりもずっと楽で、ずっと自由になれたりします。他人を変えることはできませんが、自分が人生のハンドルを握って、行きたい方向に向けてアクセルを踏んで自分を連れて行ってあげることはできますから。

コーチングを通して教えていただいたことのひとつです。

自分を信じて前を向いて、自分の命を輝かせて生きる人がもっともっと増えていく。そんなことを想像すると、心が最高にときめきますね。ふふふ。

桃の節句に、たくさんの幸せがみなさまの元に届きますように♡

そして、ウクライナの方々に一分一秒も早く平和と安心が戻りますように。

(イラストby コジさん)

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