結局いけなかった嘉麻市バーニングヒーローズの練習~日本野球に必要なのはクラブチームだ~

 二週間ほど地元に帰ったのだがなんせ何も言わずに帰ってきた。不動産の管理人に一方も伝えていなければアマゾンで買ったアニメのDVDも置き配されているやらどうなっているやら。仕方なく帰路に就くことになった。
 その中で一つだけ出来なかった事がある。JABA所属のクラブチーム、嘉麻市バーニングヒーローズの練習に一度も立ち会うことが出来なかったことだ。
 嘉麻市バーニングヒーローズは2006年に結成されたクラブチームだ。バーニングヒーローズの広報担当は「嘉麻市と名前が付けられる」ことを誇りにしている、というほど地元との密着が強い。
 地元から少し離れるとはいえ筑豊の、田舎といっても差し支えのないところで必死に発給を追いかけているクラブチーム。田舎者の筆者も同郷としてぜひとも応援したいし一度は練習に駆け付けたいと考えていたところであった。
 しかしスケジュールなどを見返してもどうしても実家に二週間以上滞在するわけにはいかない。年末年始、なんて言葉もそろそろ限界だ。なので練習始めの前日に帰る事にしたのだ。

1,今後のカギはクラブチーム?

 私個人としては日本の野球を成長させるカギはプロ野球でもなければ企業チーム、独立リーグでもなくクラブチームや草野球といった生活をしながら白球を追いかける老若男女の存在であると考えている。
 中学軟式野球の人口減少問題やアマチュアにおけるエリートと素人との二極化といった問題が顕著になりつつある現在、またリトルリーグなどの指導者問題などといった部分に対しての根本的原因は「アマチュアプレーヤー」が非常に少ないことが原因であると考えているのだ。
 基本的に高校野球以降の野球は指導もさることながら、自己研究の割合が大きくなってくる。プレーするためには自分をどう育成していくか、時には自己研磨をしていくメンバー同士が得た経験や知識を共有する時間が後者になればなるほど求められ、自然に「才能のある選手だけが生き残るチーム」ではなくなることが総合力の高いチームになるための基本となっていく。
 特にこれがクラブチームとなっていくとスケジュール問題も発生してくる。誰もが仕事をしながら練習、プレーをしていくため練習日や試合日にスケジュールを開けることが必ずしも出来るためではない。社業と並行し、状況次第では大事な試合より社業を選択させられる可能性も十分あるのだ。
 そのような時間の使い方をしていくと「人に教えていく事」が非常に重要なセンテンスになり、それが旧来や現在でもたまに見かける「怒鳴って育てる」指導では立ち行かない、ともすれば上から目線の指導が自分をチームから孤立する原因を作ることを自然と学んでいるのだ。

2,指導の仕方と

 勿論怒鳴る指導すべてを反対するわけではない。下関国際の〇〇監督が「古臭い指導でなければ伝わらない生徒もいる」は少なくともヤンキーというものが生きていた学生時代を生き延びてきた私も理解できる。本当に、言ってきかないやつはいる。社会への反動故に強い行動がコミュニケーションツールとなっている
 だが、それは思春期における大人への離反を強く示す、いわゆる反抗期の人間にするようなもので、右も左もわからない小、中学生にまでやり、昨今の盗塁問題のような徹底した勝利至上主義を植え付ける考え方には賛同しかねる。やはり段階が必要なのだ。
 それは小学生から高校生までの間しか野球をしていない選手には身につかないだろう。高校時代になぜ指導者は鉄拳制裁をして育てていたか、なんてわかるわけがない。大学に出て、社会人になって初めて外部から自分の高校を眺めて考える事なのだ。そこで「あの鉄拳制裁は仕方なかったんだな。そうでもしないと俺たち言うことなんか絶対聞かなかったもん」と考えるか「みんなちゃんと聞き分けが出来る奴らだったのに頭ごなしに鉄拳制裁だった。やっぱりあの指導は間違っていた」と顧みることも出来るのだ。
 それは大学以降まで、何かしらの形で野球をしていた人間にしかわからないのだ。今までの経験で怒鳴られながらやってきたから、強いチームは大抵怒鳴って、殴ってのチームだから、と自分のチームとの相関性や相性を無視したまま進めてしまう。
 分からないから知っていたやり方しかできないのだ。
 それでたまたま強いチームになれたら運が良かっただけと言っても過言ではない。
 一人の成功者のために何人もの「きつかった。もう(野球は)やりたくない」といった子を産むだけの悪いサイクルを形成してしまう。
 そして「相変わらず昭和的な怒鳴って殴って、努力と根性を馬鹿みたいに信じている野球」というような余計なレッテルを張り続けられ、そんなスポーツさせたくない、と野球離れが加速していくのだ。
 それゆえに「考える事」「相手に伝える事」を自分から育ててきた多くのアマチュアが今後の日本野球を作り出していくのである。

3,楽しさ、難しさを伝えていくこともまた重要

 だが、今の日本野球に本当は必要になっているのはそれだけではない。
「野球ファン」「プロ野球好き」を口にする人の中でもキャッチボール一つやったことないような人がいる、ということを昔耳にしたことがある。私はそれを聞いた時疑問に思ったものだった。
 なぜキャッチボールもしたことないのに野球が好きなのか。
 スポーツに限らず、大半の物事というのは「やってみて」初めて色々なことがわかってくる。楽しさ、難しさ。そして彼らのやっている事のレベルの高さ。素晴らしさ。
 それは我々に謙虚さ、そしてリスペクトを形成する。
 そしてなにより「どんなレベルでもやってみると楽しい」ということに気付く。
 これが日本野球では何より足りない。
 もし日米の野球の在り方を比較しろ、と言われて完全に劣っていると言い切っていい場所はここである。職人のように高い水準で研ぎ澄まされたことやものを異常にありがたがり、一方でなまくら刀しか作ることが出来ないような人や事象を蔑むきらいがある。
 これが完全にマイナスの方向に動いているのが今の日本野球といっても差し支えない。
 プロ野球やメジャーリーグの一部選手を過剰にありがたがり、二軍や社会人野球から上がれない選手を冷淡にこき下ろす。活躍できなければ怒号と罵声を浴びせる風習は、それが少なくなったと呼ばれる今でも続いている。「これが風習」と開き直る人もいなくない。
 一方でアメリカにはその風習がないとは言わないまでにせよ「がんばれベアーズ」などで「勝つことより大切にすべきことはなにか」を訴えている。「フィールド・オブ・ドリームス」だって悲劇の伝説的選手ジョー・ジャクソンを慰めることは本作が主題を伝える「きっかけ」でしかなく、主題はもっと別のところにある。「42」はジャッキー・ロビンソンが球史に名を遺すほどのプレーヤーだったから取り上げられたのか。
「野球を通した文化史」だけでも日本では非常に少ない。重要なのは「活躍する」ことであり、野球、いや、スポーツをする意義とはなんなのか、そんな根本的な問いをすることは映画一つ取り上げてもこれである。「ザ・ピーナッツ」くらいか。
 それは過去「野茂英雄」「イチロー」という形で、現在も「大谷翔平」から見受けられるのだ。彼らは良い成績を残しただけが讃えられているのではない。人種のサラダボウルと言われたアメリカで野茂、イチローはレベルが低いと言われた東洋人でも活躍することが出来ることを証明し、大谷翔平は投手、打者としても一流になることが出来ることを証明した。
 アメリカの国民が彼らを讃えるのは数字ではない。その結果どれほどの夢を与えたかが重要なのだ。アメリカに住むアジアンのみならずアジアで野球をする人間に野茂、イチローの姿はどれほど輝いていたかは想像できないし、大谷翔平はアジアどころか世界の野球人を揺るがしている。世界一と評されるMLBで「二刀流」という言葉を野球する世界の人間に知らしめた。
 果たして日本にいたら彼らの持ちうる価値を数字以外で語る事が出来ただろうか。彼らは職人としてほめたたえただろう。しかし、彼らが波及したものをちゃんと理解できただろうか。
 私はそう思わない。
 キャッチボール一つ、バッティングマシーンでバットを振る一つをやった事ない人間がそれを実感として得られるとは思わない。リスペクトがないから比較も出来ない。過剰に崇拝するか、過剰にこき下ろすかしかできないのだ。
 だからこそ、それらをかみしめてきた人間は彼らのすごさを理解し、前述の思考力によって言葉に変える事が出来る人間は少なくはないはずだ。
「日本的な成功者」とは言えない、ともすれば「(プロ野球にすらいけなかった)敗北者」とも捉えられてしまう日本では、その「野球を知っているようで知らない人」の荒唐無稽な考え方を否定できるはずだ。
 スポーツを出来る事の素晴らしさ、難しさ。そして様々なレベルで戦い続ける彼らのすばらしさとつらさ。それを伝える事が出来るのは、それらを味わいつくした彼らが一番適任であると私は考えるのだ。
 だから私は日本野球を今後支えていくことに不可欠なのはクラブチームであると考えるのだ。

4,まとめにかえて

 結局神奈川に戻ってしまったのでこの大半はかなりの肩入れと理想で書かれていることは否めない。それは筆者自身、重々承知である。妄言の域に達しているところもみうけられるだろう。
 しかし、知る事と伝える事は知識学識の中では限界がある、ということは私も一介の学者を目指した立場であるからわかる。知識は時に経験を助け、経験は時に知識を補う。どちらも兼ね備える事が今後の日本野球には重要な意味合いを持つのである。
 その節々が少しでも見えるのではないか、自分が考えている事は正しいといえるのではないか、と思いながら参加できなかった事が悔やまれる。
 だが、ツイッターなどでの監督や広報の方の人となりを見ていると、間違ってはいないのではないか、という確信にも似たものを持っている自分がいる。
 だからこそ、行きたかった。

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