アメリカのある選手の成績を追う

1977年9月3日。
ミネソタ・ツインズとニューヨーク・ヤンキース戦で代打に出されて三振だけして帰っていった男がいる。
季節から察してもセプテンバー・コールアップで呼ばれたのだろう。期待と不安の混じった中で呼ばれた彼、前年3Aタコマ・ツインズで主砲だった男のthe showは寂しいスタートであった。
その年の成績は9試合19打数2安打5三振。

この成績だけ出してどの選手か分かる人はいないだろう。
しかし、日本では野球を知らない人にすら知っている名前の選手である。
この文章を読み終えた時には驚きを持って迎え入れられるだろう。ぜひ選手の名前を考えながら読み進めてほしい。

実はタコマ時代、彼に及びもしなかった選手がいる。
ゲイリー・ウォード。その打棒で新人王争いに9位、MVPにも32位選出、オールスターも二回出場と70年代のミネソタ、移籍先のテキサス・レンジャーズを知る人では忘れられない選手だ。
そのウォードがタコマ時代に彼と一緒にプレーしたとき、ほとんど彼に相手にされないような成績だった。.235、8本、43打点。この後にメジャーで二桁本塁打を放つ男にしては寂しい成績だ。
一方同じ年の彼は.321、25本、117打点と大活躍。なにより印象的なのは114四球という選球眼の高さであった。ぶん回してホームランを打つような選手ではなかったことがこの時点で見受けられる。
格の違いを見せつけるような成績だったのだ。

しかし彼はその成績が過去の輝きであったかといわんばかりにここから1980年まで全く打てない時期が続く。
しかし1978年オマハで.279、22本、78打点。1979年デンバーでは.333、36本、105打点と猛烈な打撃を見せつけている。恐るべきは四球で78年は100、79年は97ととにかく四球を出している。選球眼が非常に高いのだ。
79年デンバーでは同じく日本のプロ野球チームに参加することになるアート・ガードナーもおり、のちに日本で対戦することになる若きビル・ガリクソンもいた。
まさに彼らとは一味違う成績をマイナー時代に残していたわけだ。
その彼がほとんど成績を残せていないのはメジャーリーグという世界の面白いところだ。

そんな彼がスタメンの座をつかみ始めたのが1980年のサンディエゴ・パドレスに入ってから。
1980年9月9日、やはり同じくセプテンバー・コールアップで呼ばれた彼がスタメンに選ばれた時の1イニング目、彼はアレン・リプリーから初めてホームランを打つ。
このアレン・リプリーもこの年9勝10敗、4.15ながらシーズン通して戦ったリプリーにとっても一番脂がのっていたタイミング。彼の能力が出せた試合ともいえる。
この日彼は4打数2安打3打点。ツーランホームランが1本。遂にマイナーの力をメジャーで出す時が来た。

そこからスタメンを勝ち取り、9月14日のアトランタ・ブレーブス戦でも通算194勝投手のドイル・アレクサンダーからソロホームランを放つなど活躍している。
9月21日には同じくアトランタ・ブレーブス戦でエースのナックラー、フィル・ニークロからホームランを打っている。
しかしながらマイナーほどはやはり打てていないのは気になった。四球を選ぶ力はあるのだが打ったものがことごとく凡打に収まる。
しかし49試合で.286、3本、8打点は明るい将来が想像できた。

だからこそ翌年1981年彼はパドレスに帯同することになる。
事実彼はこの年をキャリアハイとしている。
4月12日、サンフランシスコ・ジャイアンツ戦にトム・グリフィンから満塁ホームランを放っている。晩年に入り、この年だけ若いころのように先発転向したトム・グリフィンも77勝(94敗)した文字通りメジャーで長生きした投手。
4月24日のロサンゼルス・ドジャース戦ではドジャースの新しきエースとなりつつあったボブ・ウェルチ(通算211勝146敗)からホームラン。

だが打率は非常に悪く4月終了時点で.183と物足りない成績に。
事実5月はほとんど出されず復帰は6月以降となっていく。
6月になると6月4日のヒューストン・アストロズ戦でフィルの弟、ジョー・ニークロからホームラン。9日のピッツバーグ・パイレーツ戦でも151勝投手のリッチ・ローデンから2ランホームラン。
このまま定着かに思われた。

しかし歴史は彼に残酷な一面をのぞかせる。
6月14日よりメジャーリーグはストライキ決行。フリーエージェント制度によるオーナー陣のFA選手未契約に端を発したストライキにこの男の人生は一気に狂わされることになる。
彼の成績を見ていると勿論長く成績を残していたとは思えない。せいぜい1981年から数年間スタメンに選ばれて、なんとも言えない成績を残しながら1985年にはメジャーリーグから名前を消しており、当時を知るファンからカルトクイズとして出されるような選手であった可能性は十分高い。
しかしそれでもメジャーリーガーだ。メジャーリーガーとして人生を全うしていた可能性は十分ある。
今の時代のように日本でも度々思い出される選手にはなっていなかったであろう。

とはいえ、彼と共にファーストのスタメンを持っていたブロデリック・パーキンズと併用という形ではあったため、遅かれ早かれお役御免になっていた可能性は高い。実際ストライキから復帰以降、彼の打棒が火を噴くことはなかった。

打率.210、4本、20打点。
ファーストを守るには少し寂しい成績だった。

しかしここで一つ擁護するのならばストライキ決行だったという事もあり活躍の機会が一部奪われたこと。チーム本塁打は同率2位であった事は付け加えておきたい。
この年のナ・リーグ本塁打王はフィラデルフィア・フィリーズのマイク・シュミットが放った31本。これだけだとすごいが二位になるとモントリオール・エクスポズのアンドレ・ドーソンの24本に一気に落ちる。
五位のジョージ・ヘンドリクス(セントルイス・カージナルス)が20本を割る18本という異常事態。
確かに彼の本塁打が多いとは言わないのだが選手成績に於いて非常に厳しいタイミングであったのは付記しておきたい。ストライキがなければもう少し違った結果だったのではなかろうか。

その彼がメジャーに別れを告げるのが翌年1982年であった。
5月13日のモントリオール戦でかつて同僚だったビル・ガリクソンからホームラン。それまでほとんど毎日1安打打てれば御の字みたいなバッティングをしていた.200前後の彼にとってはパドレス時代最後の輝きであったともいえる。
その数日後の5月17日にウェイバー公示。テキサス・レンジャーズに買われる。
しかしもうマイナーで豪打を放っていた彼の姿は存在しなかった。事実この年にレンジャーズからも離れている。

その彼が最後に輝きを放ったのが5月31日。
オリオールズ戦で245勝投手のデニス・マルティネスからホームランを打っている。

通算成績325打数69安打。打率.212、9本、42打点。
マイナーでかっ飛ばす彼の結果にしては寂しい通算成績だった。

確かに彼は活躍しなかった。
正直3Aの活躍からしたら全くというレベルで活躍できずに終わった典型的マイナー選手だった。
「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と言われた彼も9本という本塁打で終わり、あれほどマイナーで出していた選球眼を使う事なく終わった。
一方でホームランを打った投手がことごとく大物であることに驚く。
ドイル・アレクサンダー、ニークロ兄弟、ボブ・ウェルチ、トム・グリフィン、リッチ・ローデン、デニス・マルティネス。ビル・ガリクソンが霞むほどのキャリアを持つ選手ばかりだ。
また活躍時期が短いながらもキャリアハイであった年のアレン・リプリーから打てたところを見るに、どの力が彼にあったかを考えさせられる。
一般の選手では近寄れない大物食いが出来る姿はまさに彼の打撃力やボールの識別力が見受けられる。それこそが彼のもっとも持てる力だったのだろうと察することができる。
力で制する投手の多いメジャーという舞台には合わなかったのかも、という予想も出来て楽しい。

そんな彼は1982年以降メジャーでは姿を現さないのだが、日本のある球団に飛ぶことになる。数球団との取り合いの末、1983年そのユニフォームを着る事になるのだが、彼は他にいたメジャーリーガーのこともあり、予備の予備扱い。
実は活躍しない可能性もあった。
しかしそのメジャーリーガーたちが故障や不調などもあり、スタメンに上がる。
紆余曲折あって日本での戦い方を覚えた彼はあの阪神甲子園球場でホームランを滅多打ち。
それと同じか、変化球とコントロールを重視する日本野球に相性がよかったか打率も挙げていき、いつしか不調だった選球眼も回復。三冠王を取るころには3A時代のような三振少なく四球の多い、打撃の柱が帰ってきている。
メジャー時代の彼のホームラン履歴を見ると江川卓や小松辰雄、津田恒美と速球に縁のある投手に煮え湯を飲まされているのににやりとしてしまうのは私だけだろうか。

そんな彼が二度、三冠王を獲得し、未だにNPBシーズン最高打率を残しているのはまさに歴史の不思議なのかもしれない。
もし1981年、ストライキがないまま半端な成績でメジャーリーガーとして活躍していたらこのような事態になっただろうか。まだまだ「メジャーリーガー」を鼻にかける選手も多かった1980年代。よしんば来日していてもそのような助っ人になっていた可能性もあるし、実際来日直後の1983、4年が抜群にいい成績だったわけでもない。
1985年から爆発したことを考えるとその下積みを受け入れる土壌がどこかにあったからこそともいえよう。

そんな彼は1985年、所属球団の優勝と共に半ば暴徒と化した大阪の球団ファンによって、彼に似ているからとケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネルサンダース像を道頓堀に投げ込んでいる。
そんな彼は球団と悶着がありながらも、未だに阪神タイガースはおろか大阪を中心とする関西の人に愛され、野球選手として輝きを残している。

ランディ・バース。
メジャーで通算100本安打を打てなければ通算10本もホームラン打てなかった打者のアメリカでの話である。

≪使用サイト≫
Baseball almanac(https://www.baseball-almanac.com/)
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