少しだけ球場の話をしよう ~欠陥球場というけれど……~

巨人広島戦のイレギュラーバウンドがきっかけか。
SNS上で広島マツダスタジアムが欠陥球場ではないか、というほぼ罵倒のような言葉が響いた。
そこからというもの各々の球場を誰かが馬鹿にするという光景が続いており、遠くから見ている人間からしたら「暇だね」という気持ちの方が非常に増している。小人閑居にして不善を成す、とは古き言葉だがそれを一概に否定できない姿を毎日見ている。

しかしイレギュラーバウンド一つで欠陥球場というのも結構ひどいものである。かといえば人工芝でドーム球場の東京ドームを揶揄したり、相変わらず西武ドームはドームなのに虫が入ったり。ドームは野球をやる環境ではないなど言い出した人すらいる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはまさにこのことだ。
野球の歴史を追いかけている身分からしたらえらい言いようである。

そもそも球場というものの歴史をきちんと整理したほうがいいだろう。
元々野球は広場で行うものであった、というのは言うほかあるまい。カートライトルールが生まれる以前は大まかにマウンドと打席がつくられ、そこで下から投げられたボールを打ち、打者はホームを目指して走り、守備はボールを拾い走者をアウトにする。そんな純朴なものであった。
それが段々とスポーツとしてルールが固まっていくのが19世紀中盤の、前述したカートライトルールだ。内野の塁を線で引いたものを通称ダイヤモンドというが、それが生まれたのがこのルールである。
しかし外野に関しての記載はない。
広場などでやるものだから当然現在の野球で想像できるような壁などないわけである。外野手は自分の頭を通り過ぎていったボールをいつまでも追う事になる。その間に打者は本塁に戻る事で一点を獲得する。
これがホームランの生まれである。
基本的にフェアゾーンに落ちたボールは誰かが拾いにいかねばならない。そしてボールが戻ってくるまで試合は継続する。だからホームランという概念が生まれていくのは先の話である事がこの時点でわかる。

カートライトルール以降チームとの試合が明確になり、それに伴って試合もエキサイティングなものに変化していき、観客も生まれてきた。その人だかりが事実上の壁となって外野の壁という概念が生まれてくる。今まではボールを拾いに行けた環境が段々と観客の中に入ったりして取れなくなってくる。
それを暫定的にボールがフェアゾーンを通過してボールを見失ったものとしてホームランが生まれていく。ランニングで本塁に戻る以外に方法のなかったホームランに初めて「ボールを見失ったとみなしてホームランとする」考えが生まれた。これが今日のホームランである。
現在外野フェンスをオーバーしたらホームランというイメージを持つが、もともとをただせば外野手が届かないところに入ってボールを見失った、という扱いであり、これは現在でも適用されている。外野応援席での大旗にボールが包み込まれ、それが外野に落ちた際ホームランをみなさないのはそのためだ。
ホームランとはまさに球場が作ったルールなのだ。

そういった観客によってつくられたような部分もあってか、外野とホームランゾーンの関係というのはかなりいびつだ。観客量で変われば彼らがどこにまとまっているかで変わる。広く開けていれば外野は広くなり、近くに密集していれば狭くなる。スポーツとしてはどうなのか、と考えられるかもしれないが、このおおらかさが野球のいでたちであり、メジャーに様々な球場が生まれるきっかけになっていく。
そもそもball parkと呼ばれるように野球ができるほどの広場でそれは行われるのだから基本的に広ければなんでもいいのが野球でもある。近代スポーツになる前の野球観で考えたら外野とホームランゾーンが分かれる方がおかしいのだ。
そこが野球というスポーツのいい加減なところでもあり、魅力なのである。元々遊戯から始まったとされる野球がそこかしこでいい加減なのはその名残なのだ。だからこそ選手たちの義務と権利が非常に明確にされる。野球のルールが難しいと呼ばれるところはそこにあり、法学者のようルールを捉え、裁判官のように選手に権利と義務を課すことを求められるのだ。

今ではイメージしにくいかもしれないが野球は「走るスポーツ」であった。
その発想の象徴がタイ・カッブや選手をサム・クロフォードといった1900年代のデトロイト・タイガースであり、その世界観を大きく変えた存在こそベーブ・ルースであったのだ。
選手のプロ契約と共に選手を金銭で雇う事が発生し、遂には全員が契約選手となったシンシナティ・レッドストッキングスのようなチームが生まれていく。これをきっかけに多くのチームがプロ契約選手を生み、1871年にはそういうったプロチームを取りまとめた機構NAPBBP(全米プロ野球選手協会)が生まれ、これが1876年、後のナショナルリーグへと変わっていく。
それと同時に球場も一定の形を求められ、観客で作られていた外野の壁が物理的フェンスへと変わっていく。これでホームランが一定の距離異常を飛ばすものとはっきり形づいていったのだ。野球が興業と変化していく上で過去のカートライトルールでは縛れなかったものが段々と明確化されていき、その中で現在の形になっていっているのである。

現在東京ドームでも天井にボールが当たってフェアグラウンドに入ったら二塁打、天井の隙間に入ったらホームランとされているが、こういったルールの背景がある。また、天井のスピーカー直撃ホームランももしスピーカーや天井がなかったとしてそのままボールが進んだ場合ホームランとなったであろうという事からみなしホームランとされている。
原則ホームランとは、野手の元にボールが戻ってこないことに対してどう「みなし」を入れるのか、という球場の在り方が求められるのだ。
野球を過去の考え方で捉えると、そんなみなしを求められる事態が「球場の欠陥」であり、我々はその球場の欠陥を「ルール」としてみなすことを了承したから成り立っているだけなのだ。
ホームランが生まれる球場が欠陥とするなら世界の球場全ては欠陥となるであろうし、それに今更問いをいれないほどルールが浸透しているなら、ホームランのあれこれをとやかくいうのは球場の欠陥ではない。

球場の欠陥を話すのならばアメリカは大谷翔平や山本由伸のいるドジャースですら現在のドジャースタジアムが出来る前にはアメフトのコートを球場として使っている。
野球に適しているとは言いにくいアメフトコートで、極端に短いレフトにホームランを打ち込むウォーリー・ムーンのムーンショットを知っていればこのような言葉も出てこないはずである。

また、こういうアメリカの球場史を知らないとネオクラシカリズムに目覚めた現在のMLBを差し、未だに「天然芝で空の見える球場が野球元来の在り方」という人が多い。
人工芝とドームで作られた日本の球場は偽物で、アメリカの野球こそ本物、という人がいる。そこそこSNSで有名な人ですらこれをいうのだから日本人の野球好きに蔓延った病気なのかもしれない。

というのもドーム球場が生まれた背景を知っていればこんなことを言えるわけがないからである。
世界初のドーム球場といえばまずアストロドームが出てくるだろう。ヒューストン・アストロズがホームグラウンドとして使った世界八番目の不思議と言われた球場だ。
ではなぜアストロドームを作る必要に駆られたのか。これを前述したアメリカの球場こそ本物という人で説明できる人は少ない。

そもそもヒューストンという土地が絡んでくる。
ヒューストンはテキサス州に属する亜熱帯地域とされる。亜熱帯地域ゆえに気温と湿度がともに高く、人間には過ごしやすい環境とは言えず、また多くの虫が発生しやすい環境になりやすい。「地球上で最もエアコンを効かせている場所」の言葉が示す通りの場所なのだ。
そこで屋外で野球をやるよりも快適さを求めた結果、アストロドームという世界発のドーム球場が生まれたのだ。
ドーム球場が生まれた背景にはヒューストンという土地の気候が強く絡んでいるのだ。
つい最近話題となったダイヤモンドバックスの始球式にハチ駆除で呼ばれた業者が投げたことが話題となったが、アリゾナ州フェニックスもまた砂漠気候に分類されており、気温の高さで知られる。
そしてダイヤモンドバックスの本拠地チェイスフィールドもドームではないにせよ開閉式屋根を搭載した球場である。前述したヒューストンの現ミニッツメイドパークも開閉式屋根を搭載した球場だ。菊池雄星のいるトロントのロジャースセンターが開閉式の屋根なのはカナダのイメージから察すれば想像も出来るだろう。

その土地にあった形で球場は生み出されているのだ。
特に日本は6月に梅雨という雨期が入るためによく言われる「空の下」でやるにはあまりにもデメリットを被る事になるだろう。
戦前の鉄不足が原因で照明設備をつけずに1988年まで放置し続けたフィリップ・リグレーの「野球は太陽の下でやるもの」を野球の名言として無知蒙昧に信じ続けるのはあまりにも調べる事を怠っているようにも見える。

人工芝についてもそうなのだが、現在人工芝が嫌という選手の声をあまり聞かない。探せば出るのだろうが、ほとんどその言葉が出なくなりつつある。
それは90年代の頃のような俗にいうアストロターフから進化をさせてきた結果だ。そのアストロターフでさえ人工芝の発展をしている。
現在でさえアストロターフはタンパベイのトロピカーナフィールドに人工芝を提供しており、日本では奥アンツーカが東京ドームや福岡ドームなどにフィールドターフを提供している。
天然芝よりいいか悪いか、と問われれば検証ができていないため難しいところではあるが、その奥アンツーカの人工芝を使っている東京ドームで今年35になる坂本勇人が特に下半身に負担のかかる遊撃手をしながら膝を痛めてシーズンを棒に振っていないところはそれを考えるきっかけになるのではなかろうか。

そもそも人工芝の話をすればこれもメジャーでは1980年代後半の、守備の名人オジー・スミスのいたセントルイス・カージナルスは人工芝で、ホワイティ・ハーゾグが彼らを集めた理由の一つとしてよく挙げられているのは、人工芝ゆえにゴロなどが直線的になるために球際に強い守備力を持つ選手を集めたというのは有名な話だ。
捉え方によってはいかようにも出来るのが野球の面白いところである。

裏を返せば天然芝というのは芝一つ一つに癖が生まれてしまい、独特なイレギュラーを起こしやすいと言われているのは今日始まったものでもなく、それを魅力と捉える人も多い。そこは守備に対する感じ方で大きく変わるのだ。


と、ここまでほぼ参考文献なしに私は書いた。
なにも読まず、おおよそ二時間かけて文章にまとめただけでもこれだけの内容が野球場一つで零れ落ちるのだ。
多くの歴史と工夫があって今日の球場というのは完成している。

自分の気に入らないことがあっただけで一々
「欠陥球場だ」
など無知蒙昧で自らが浅学であることをさらすような真似はやめてほしい。

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