俺と格闘ゲームの話 9 ~クソガキ、格ゲーと一旦別れを告げる~

1,ポケットモンスター登場とクソガキの変化

 これだけ格ゲーに染まってきたクソガキ共も、残念ながら年を取っていく。今でも年を取っていくから残念ながら時間というやつは止まらないらしい。
 そうなると段々格闘ごっこや格ゲーで騒いでいたクソガキ達もだんだんと興味が変わっていく。

 その急先鋒として現れたのがポケットモンスターだった。
 以前の記事で書いたようにポケットモンスターは最初滅茶苦茶強いタイトルではなかった。
 当時はもうプレイステーションとセガサターンが台頭してきており、まだまだスーファミが強かったものの、淘汰されるのは時間の問題、という感じだった。残念ながら3DO、PC-FXはもう存在感を失っていたが。ぴ、ピピンアットマーク?
 そんな俺も97年にはM君の家でプレステに触れており、おふくろにおねだりして買ってもらった97年に発売したロックマンX4と一緒にプレステデビューを果たす事になる。
 ここで数年後に出会った実況パワフルプロ野球99決定版、そしてそこのOB選手枠にいた簑田浩二との出会いによって俺の人生は大きく変わっていく事になるのだがそれはまた別の話。

 その頃には格ゲーでめぼしいタイトルもなくなりつつあった。
 KOFがその存在を示していたが、それも過去の遺産ありき。
 ゲーセンでしか置いておらず、何よりスーファミでどの作品も出ていなかったバーチャファイターは妙に遠い存在。またこの頃のクソガキは「不良からカツアゲされるからゲーセンに遊びに行くな」と教育されていたのでバーチャファイターは話題になれどやっているヤツは皆無に等しかった。

 ゲームから眼を放すと世間はミニ四駆とたまごっちが席捲。
 クソガキはとりあえず当時はやっていた漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー」の主役機、マグナムセイバーかソニックセイバー。最初のライバルとして登場した鷹羽リョウの機体トライダガーは持っていた。クソガキは弟と合わせそのあたりまでは全て持っていた。

 しかしミニ四駆も落ち着きを見せ始めたタイミングでじわじわと存在感を出してきたのがポケットモンスターだった。ミニ四駆がひと段落したタイミングでポケモンに移動したというクソガキも多かろう。この辺りがミニ四駆に凝っていくクソガキか、ポケモンに変えていくクソガキか、の分水嶺的なところはある。

 うちの田舎ではポケモンが強かった。
 遊べるコースを持つお店がなかったため、結構ミニ四駆熱が冷めるのも早く、ゲームボーイを持っている家庭は多かったから自然とポケモンに行くクソガキ家庭は多かった。
 ミニ四駆は面白いがチューンアップパーツや電池などのコストがかかりすぎるからクソガキ達の親も途中から乗り気でなくなり、ソフト一つと通信ケーブルがあればなんとかなるポケモンの方がありがたかっただろう。買うにしたって単三電池4本だ。これもゲームボーイの進化で2本になっていく。

 それに伴って漫画、アニメでポケットモンスターも開始。
 気付けばゲームボーイとポケモンがクソガキ達の持ちものになり、会話も基本はそれらになっていった。
 これは余談だがポケモンを宣伝したコロコロコミックはこれを取り扱う時、クソガキ達に売れる事を予見していたという事。それはクソガキ達が出たいと思っていたミニ四駆の祭典、ジャパンカップにおいてミニ四駆や工具、グレードアップパーツを収納するレーサーズボックスにはゲームボーイを入れているクソガキが多かったらしく、そこの逆算から売れる事を予見して宣伝したという事。マーケティングの存在というのを改めて感じさせる。
 これに関してはコロコロミック500号記念企画歴代編集長のインタビュー佐上靖之氏(通称サガミネーター)編などを参考にされたし。クソガキの頃読んでいたコロコロコミックがどういう考えで作られたのかを大人の目線から知れるので面白いです。

 クソガキが小五、六の時はいかに強いポケモンを育てられるか、レベル100まで上げられているかが胆。まだ個体値とか技の厳選、それどころかバフ技の重ねがけの概念なんか持っているクソガキがほとんどいなかった時代なのでおおらかな時代ではあったが、こんな手軽な対戦ツールが出たのもあって次第に格ゲーに見向きもしなくなっていった。

2,クソガキ、中学生へ

 そんなクソガキ達にもコミュニケーションツールが大きく変わるタイミングが小学校の卒業、そして中学校への入学であろう。
 すでに小6の時点で今まで格ゲー一辺倒だったクソガキのコミュニケーション界隈も変化が出始める。あるクソガキはスポーツの世界へ、あるクソガキはアニメ以外のテレビへ。
 アニメ、ゲームのコンテンツも決して弱くはなかったが、ジャンプなどの漫画路線に行く奴も現れれば、ガンダムなどのロボット路線に行く奴もいる。
 異性に対しての興味もこの頃から現れるクソガキも多く、大抵は赤松健氏の書いていたラブひなや克亜樹氏のふたりエッチを起点にしてそこから連間のなんだのと中学生以降発展していく。
 格ゲーという一つのコンテンツにこだわるクソガキはどんどんと減っていったのだった。

 それはある意味クソガキがクソガキから卒業する事に近かった。

 もう中学生ともなれば格ゲーはおろかポケモンですら話題に出る事も減り、だんだんと各々の趣味に合うやつが趣味に合わせて人間関係を形成していく。
 部活動もやるからそこで出来た人間関係も加味したら本当に会話は様変わりしていくのだった。
 俺の場合は弟がいて隣に住んでいる子供たちとも付き合いがあったからまだクソガキ加減が残っていたが、小学六年から中学生になる前くらいは祖母が始めたクリーニング屋の取次店で店番などをしていて、暇な時間に甲子園を観ていた事を覚えているから俺もだんだんとクソガキではなくなりつつあった。

 特に俺は小4の頃からなんで覚えたかよく分からないが恋というものにすごく興味があったから女の子に告白したり、興味ある子の名前を出していたりしていたから進みは早かったように思う。
 それが部活動漬けになり、一時は音楽一辺倒だった時代があるくらいだから早熟だったってだけの話なんだろうけど。

 そうやって、クソガキの卒業と共に格ゲーを語り合う場所はなくなっていった。

3,なんでここまで格ゲーが好きなのか ~クソガキ回顧録~

 ここで俺と格ゲーの話は一旦止まる。
 だがなんだかんだ現在まで格ゲーを触れているという事はどこかで復活したという事だ。それは今後書いていく事にする。

 だが、なんでここまで俺が格ゲーを好きなのか、と問われればこの辺りが関係していると思う。

 クソガキだった頃の格ゲーはコミュニケーションツールだった。
 ストツーを触り、NEOGEO筐体に群がってあのキャラがかっこいいだの強いだの言いあう。それで会話が成立し、多くの友人が出来た。
 それが俺の中でも想像以上に大きな存在だったのだろう。

 ゲームに触れる事で新たな世界を知り、その新しい世界で出会ったクソガキが友達になる。そして知っている事や様々な共感を渡しあう事でさらに世界が広がる。
 ゲームという電子媒体によって人と人が地続きになっていったのだ。
 90年代はそういう時代でもあった。

 だからあの頃の友人の名前は案外憶えている。中学高校の時にあった友人の名前は大分忘れているにも関わらずだ。そいつらがどういうガキであったかも覚えている。剣道をやっていたO村、心臓が弱かったM田、スーファミストツーシリーズを全て持っていたM野、なぜかSNK格ゲーしかもっていなかったM岡……(全て仮名です。実際の苗字とはかなり違います)。妙に誰がどこに住んでいたか、覚えているのだ。

 驚くほどそのあたりの記憶が冴えている。
 それを繋げたのは格ゲーだった。

 格ゲーによって俺達クソガキは妙に深い繋がりがあったのだ。
 それが許される時代でもあった。

 だから俺は未だに格ゲーが捨てられずにいるのかもしれない。

 この後、部活と野球ゲーム、そしてRPGツクールといった創作系のゲームをやりまくる事でクソガキが段々と俺として自己を形成していき、現在の、なんでもかんでも調べる事を好み、何か作ったり表現していないと生きていけないオタクの姿になっていくのだが、その形成が終わった後にまた格ゲーは姿を現す。

 その話から次回は話していこう。

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