度会隆輝覚書

度会隆輝が恐ろしいほど元気だ。
二試合連続ホームランを打ち、過去の選手たちに名前を並べた。その明るいキャラクターも相まって多くのファンと、くやしさ交じりの皮肉を述べるファン模様を見ていると突然ヒーローがやってきたものだ、と思わせる。

私はというとENEOS時代の彼を見ているので
「なんだかいまいち」
という評価をしていた辺り、本当に野手を見る目がないことをつくづく実感している。今でこそ東京に住んでいるが7年近く神奈川に住んでいた私にとって度会という選手が活躍するのは第二、第三の郷里に住む若者が活躍しているようでほほえましい。ぜひとも頑張ってもらいたいものだ。

とはいうものの「なんだかいまいち」という評価をずっとしていたのも事実なので、愚痴のようなものとして今回は書こうと思う。

ENEOS時代の印象はというと「場の空気に乗りやすい」というものだった。
去年引退した山崎錬を中心にENEOSの打線は構築されていたのだが、彼はもっぱら五番であった。
彼に才能がなかった、というわけではなかっただろうが、それでも四番にどっしり構えて試合を決める一発、というよりはその後ろなどで打線の空気管を掴んで追い打ちをしていく、という印象のほうが強かった。
どちらかといえば「自分から試合を決めていく」というよりは誰かの一発などに乗っかかって相手に反撃の糸目をつけさせない、という打撃を最も得意としていたように思う。

特にENEOSが優勝した2022年都市対抗野球大会はその影響が強く出ていたように思う。
山崎錬と共に補強選手として三菱重工eastから元プロ野球選手の武田健吾(オリックス→中日)が参加。そこで東日本でも屈指の打撃トリオを形成。その三人が打ちに打ちまくったところも黒獅子旗を得た要素であったと思う。

その中で印象的だった選手は、といえば武田であった。
流石元プロというか、彼が打線の流れを作る、という場面が多かったように記憶している。山崎、武田の作った流れに乗って強打してホームラン、というのを見た。あれはミキハウスとの試合だったか。

この時に思ったのが
「お調子者だな」
ということであった。

お調子者というのは打線に勢いがあった時イケイケどんどんと言わんばかりに押し込むことができる。それは試合を形成していく中で非常に強みになる。
しかし言い換えれば自分の環境を整えられないと一気に立ち回りがおかしくなり窮地に立たされる傾向がある。
打ち始めると止まらないのだが一度止まってしまうと再始動まで時間がかかる。なんならそのままスランプに陥ってしまう事も多々ある。
そういう選手のように思えた。

事実橋戸賞を受賞した時のインタビューで子供のような無邪気な内容を話していたのは記憶にある。元々父親の度会博文もそういう選手であったから遺伝というべきかなんというか。

そういう意味では一番打者として起用したのはなかなかの英断だったように思う。
元々自分で決定打を打つような選手とは思いにくい。だがペースを生むこと自体は苦手ではない。そういう意味では起爆剤として使ってみる、という方針は間違っていなかったのではないか。
確かに野球は一番に足の速い打者を、というのが定石ではあるが、チームや選手の性格次第でなにも必ずそれを守る必要はない。打線を起用していく中でどこに何を求めるか、そこにどういう気質の選手を配置するか、で陣容は大きく変わる。頭ごなしに二番打者に強打者を置けばいいという話ではない。それで二番前田智徳はそれを理解できずに困惑してしまい柄でもないバントを決めるなどしてスランプに陥ってしまった。
一番打者度会に何を求めるのか。これが重要であり、それは決して彼に盗塁を決めてもらうなどといったものではないはずだ。むしろホームラン狙いの長打を狙わせることこそが重要であり、足を求めてはいないのだ。

これは2003年の阪神タイガースにも関係する。
2003年阪神タイガースは足が速いとは決して言えない今岡誠を一番打者に置き、二番打者に盗塁王の赤星憲広を置いた。
最近までなぜこういう打線にしていたのか疑問であったが、試合の結果を見ていてなんとなく気付いたことがある。今岡誠は二塁打をかなり打っているのだ。
今岡誠の二塁打は35。ヤクルトの鈴木健36に次ぐ二塁打を放っている。つまり星野仙一は今岡に長打を最初から狙わせているのだ。
星野自身も今岡にホームランは求めていなかったであろう。それでなくても甲子園というのは広い。ホームランを打つのが難しい球場である。
この年のチーム本塁打王はジョージ・アリアスの38本。金本知憲ですら19本しか放てていない。ホームランが制限される球場、と星野は踏んでいる。
だからこそ小技で攻めるのではなく一番打者から長打を狙って出鼻をくじき、今岡が二塁打を放って赤星が打ち一三塁、そこに赤星の盗塁が入って二三塁、その頃には相手投手は何が何だか分からなくなっているだろうからそこを金本、アリアスが打って得点、というパターンを考えたからこその打順であるのだ。
また赤星がバントといった小技も出来るところは打線の剛性をさらに高めただろう。どれだけいい打者が揃っていても全員がフルスイングをしていれば勝てる試合を落としてしまう。しかし奇襲強襲の犠打などで相手に「なにをしてくるか分からない」と思わせた瞬間、打線に好機を作ることができる。正道でダメなら絡め手で。そういう打線を作り上げたからこそ2003年の優勝に繋がっているのだ。

ある意味一番度会はその今岡のポジションなのだろう。
この三試合でホームランは2。打線を組んだベイスターズ陣からしたら値千金でありながらも瓢箪から駒、というほうが近いだろう。彼に求めているものは出鼻をくこれはとでホームランは出たら儲け、程度のもの。それが二試合も続けて出たのだからこれ幸いであっただろう。実際いつでもホームランが打てる打者が最初から出てくるのは相手投手にとっても怖い。
結果本塁打が減っていくとしても「こいつは一発がある」という恐怖が相手投手を包めばもうその時点で一番度会は成功なのだ。

ということは弱点もある。
前述したように度会隆輝という打者は「お調子者」だ。
お調子者は自分に勢いがある時は誰も止められないが、一度でも止まってしまうともう暗中模索になってしまう。よく言えば勢いがあるときは強い、悪く言えば勢いだけの選手でもある。
では3/31のように五打席ノーヒット、というようなことが起きてしまうとどうなるのか。これは一試合だけであるから今のところは心配する必要もないが、二試合、三試合と続いていくと一気に自分を見失うリスクを背負う。
そうでなくともプロ野球というのはあくまで「高校生」とみてくれる高校野球や、観客が増加傾向でありながらも決して多いわけではない社会人野球とはその目立ち方も違う。
それこそホームランを打った時、ダイヤモンドを回る際に出たガッツポーズに批判が寄せられてしまうくらいファンの言葉がどんどんと押し寄せてくるのがプロ野球という興業の世界だ。古今東西ファンの声にどれだけの選手が悩まされ、自分で解決する術を身に着けてきたか、それが出来ずに潰れていったかというのを今から実感していくはずだ。
どんどんと規制の方向に進みながらもヤジはきつい。自分の調子が悪い時のヤジなどまるで自分の存在全てを否定されるかのような言葉が突き刺さってくる。

そういった外的要素に振り回されて自分を見失うリスクを持っている。
「打てない時は打てない時だから仕方ない」
と言い切るにはまだプロでの経験値がない。1シーズンも戦っていないのだから。

好調の時はともかく不調の時も、そういった悪意と戦う事も求められるのがプロだ。足を踏み外して調子を落とした時どう対処するのか。これが彼における最大の課題となって襲い掛かってくるであろう。
ここの対処に失敗すると「勢いがあるときだけ」の烙印を押されてしまう。それが原因でそののちに活躍する場を失ってユニフォームを脱いだ選手もいる。そういう逆風にどう抗っていくのか。
過去落合博満はプロ野球選手のきつさを
「野球から逃げられない」
と評した。野球が仕事になる以上、自分の成績やそれにまつわる多くの事象と嫌がおうにも向き合わされる。それを乗り越えるには彼の気質は得意としないだろう。

と、辛辣に書きこそするものの、やはり神奈川の御曹司のような選手である度会隆輝にはよいキャリアを迎えてもらいたい、という気持ちはある。むしろ筆者がENEOSファンで彼の打席をよく見ていたからこそミスター日石の看板を背負ったつもりで頑張ってほしいと思うくらいだ。
野球は人生、というつもりはないが今までの積み重ねや性格といったものを隠すことを野球は許さない。得意なことも苦手なことも出てきてしまうのが野球というスポーツの難しさであり、恐ろしさであり、最も楽しいところでもある。

だからこそ、プロ野球を酸いも甘いもかみ分けて楽しんでもらいたいと思っていたりする。
頑張れ度会隆輝。

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