球春来たる ~勢いの大きくなる九州~

八重桜が散り始めた。春ももう近いらしい。
オープン戦がプロアマ問わず活発なってきており、明日には東京スポニチ大会の優勝チームが登場するであろうし、遂に鹿児島ではスポニチ杯よりも速い大会である薩摩おいどんカップが開催。多くのチームが西日本でキャンプを組む中、野球は九州から始まる雰囲気が出つつある。九州への旅行が二月から三月にかけて多くなることは今後見通せる。最早野球は関東のものではないらしい。

特に今年はWBCがある事でこの春における野球の注目度は高い。
特に練習試合は多くの社会人野球チームが相手として参加しており、そこから名前を売ったり、たとえ相手が練習程度の楽なものとしても勝利をして自信をつけるといった光景も多く見受けられた。こういった相乗効果が日本野球に磨きと彩りを与える事になればそれに越したことはない。
球春近くなりにけり。

しかし九州野球の勢いがすさまじい。
おいどんカップで全国のプロアマが優勝を競いあうのもあるが火の国サラマンダーズのNPB二軍登録を皮切りに首都から遠い九州の地が大きなうねりを伴って変化しようとしている。
元々プロのみならずアマも九州をキャンプ地にすることが多く、その際オープン戦で福岡を中心とした大学や社会人野球チームと戦う事が多くはあったのだが、九州リーグ誕生後変化が顕著になっているのは間違いない。現在の独立リーグとはまた違った動きが見えてきているので今後の変化には期待したいところである。

しかしこの独立リーグが大きくなる流れの一端には四軍まで作ろうとしている福岡ソフトバンクホークスの存在も全く否定できないであろう。野球というスポーツはその性質上どうしても九人以上の相手チームがいて初めて成立する。そのため審判含め最低でも22人という人数が揃って初めて試合が行える。
そうやって人員が増えていくとなるとどうしてもチームや人員が必要となってくる。その動きは野球を活発にさせていくのだ。

そこに積極的な反応を示したのが元社会人野球チームであった熊本ゴールデンラークスこと現在の火の国サラマンダーズというのも面白い。言い換えれば社会人野球に見切りをつけ、独立リーグという興業野球産業に突入したのは時代がアマチュアではなくセミプロであることを、少なくとも九州は選択にしつつあることを表明しているようだ。
そういう意味では企業が多額の資金を使ってチームを運営していく社会人野球部、それも企業部の観念は完全否定されていると言っているにも等しい。

元々90年代の新日鉄八幡野球部解散以降、アマチュア野球における九州野球の風向きはお世辞にも良いとは言えない。
2009年には日産自動車九州野球部が休部(事実上の後続チームとして苅田ビクトリーズベースボール)、2017年には三菱重工長崎野球部が休部と段々と枯れていく姿が目撃されていた。
勿論2009年にクラブチーム登録していた梅田学園野球部が企業チームに登録、2012年に西部ガスが創部、2020年に日本製鉄大分が改めて企業チーム登録すると言った明るい話題もあったのだがやはりその力は弱く、九州の野球といえば90年代以降ほとんどがホークスに独断を許す形であった。

そこに飛び出してきたのが九州リーグだったというわけだが、それ以外にも南九州では特に鹿児島を中心にクラブチームが活発になってきている事情もある。
薩摩ドリームウェーブが2012年にクラブチーム登録をしてから2019年に薩摩ライジングがクラブチーム登録。また新海屋が企業チームで登録するなど非常に温度が上がっている事になる。
特に薩摩ドリームウェーブは2005年欽ちゃん球団と呼ばれた茨城ゴールデンゴールズの鹿児島での遠征試合において生み出されたチームが元であり、同じく九州の嘉麻市バーニングヒーローズや横浜ベイブルースなど芸能人がクラブチームに関与する流れを作り、現在でもクラブチームを支えるチームの一つになっている事を考えると欽ちゃん球団がクラブチームに寄与したものは多い。おいどんカップには嘉麻市も参加している。

まだまだ発展途上である事は否めないのだが、企業チームが落ち着いている現在、クラブチームが活発になるというのは今後注目すべきところだろう。

また2018年熊本ヒゴバックスとして開始した鮮ど市場硬式野球部は現在企業チームとしてJABAに登録している。現在サラマンダースは独立した企業として現在はスポンサー契約が完了しているものの、鮮ど市場が野球部を持ち続ける事自体は変わりないようだ。

このように九州の野球地図が大きく塗り替えられようとしている。
それはホークスだけでは成り立っていなかっただろうし、社会人野球だけでも成り立っていない。多くの重なりが九州の野球熱をあげており、それが大きな化学反応を起こしている。九州ほど野球の熱が大きくなっている地域もないだろう。

今まで野球と言われたら東京や大阪といった一部大都市のものであった。
それはホーボーケンが野球の故郷ではないと断定したアメリカでも同じだった。ベースボールとは都市のスポーツであった。
それが九州という土地から変わろうとしている。

そういうことを思わずにはいられない球春であった。

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