さらばsay hey kid

ウィリー・メイズが亡くなった。
93歳。往生も往生だ。遂にポロ・グラウンズを知る巨星がこの世界を去って行ってしまった。
polo groundsからCandlestick Parkへ。そしてshea stidiumまで。1950年代から70年代までの生き証人であった。

ウィリー・メイズはいまだにMLB最高の外野手として挙げられることが多い。これだけ進化して多くの名選手が出てきても未だにウィリー・メイズの名前が出てくるのだ。いかにMLBにとって大きな存在であったのかが分かる。

意外なことだがウィリー・メイズは50本本塁打を二度達成している。ハンク・アーロンがあれほど打てなかった50本塁打を達成しているのだ。本塁打王四回。660という本塁打数は通算六位だ。
本塁打こそハンク・アーロンには負けるが盗塁王を四度、最多三塁打を三回している。ホームランだけではなく足も速かった。通算盗塁数はバリー・ボンズの父ボビー・ボンズに負ける(461盗塁)がそれでも339盗塁は本塁打だけの選手でないことを証明するには十分だ。

そんな彼でも打点王を一度も取れていないのは意外である。
1962年取れそうな時があった。ハンク・アーロンの45本を超えて49本の本塁打を打った時だ。フランク・ロビンソンの136点を超えて141点と異常値をたたき出していた。
しかしロサンゼルス・ドジャースのトミー・デービスに負けてしまう。モーリー・ウィルスの104盗塁にデービスが返すことで153打点と荒稼ぎした。これに負けてしまった。メイズの野球人生で唯一成し遂げられなかったことであろう。

ウィリー・メイズという選手は本当に稀有な存在だ。
ジャイアンツという名門でも最高の選手を挙げろと言われたらメイズかバリー・ボンズとなるほどだ。ボンズに関して言えばFAが本格的に始まった時代の選手であり、PITの時代が最高か、ステロイドを使ってでもSFGのほうが最高か、で意見が分かれる。
それを押しのける存在がメイズだ。ほかにも多くの名選手がいながら、彼の名の前には霞んでしまう。それほどの選手だ。

彼が活躍した時代の同僚も素晴らしい選手が多い。オーランド・セペダ、フェリペ・アルー、ウィリー・マックビー。他球団で活躍したマティ・アルー、デーブ・キングマン、ジョージ・フォスターも彼の背中を見ている。
多くの選手が彼の背中を見たはずだ。そこには日本人初のメジャーリーガーとされるマッシ―村上も入る。
少しでも野球史をかじればベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ、ハンク・アーロンの次くらいにはミッキー・マントルらと共にメイズの名前が出てくる。
まさにヒーローであった。リビングレジェンドだった。

そんな彼は何人の同僚やライバルを送っただろうか。
ウィリー・マックビーは2018年にこの世を去り、2022年にはハンク・アーロンが眠りについた。彼より三歳年上のデューク・スナイダーなど2011年と早々にこの世と別れを告げている。自分より11歳も若かったアルー兄弟の三男で時に外野を守ったジュナス・アルーも2023年にこの世を去っている。
見送り人であった。1973年、彼がメッツで引退してからおおよそ半世紀。多くの同僚を見送り、ついに自分の番が来たのだ。

リビングレジェンドは遂に伝説になった。
なってしまった。

遂に1950年、1960年代が終わろうとしているのを実感する。
日本が高度経済成長期で、メジャーリーグはニグロリーガーが大量に入り、多くの記録がニグロリーガー達に抜かれていった。若く力強い彼らがメジャーの歴史にまた新たなページを書き示していった。
その大きな柱がウィリー・メイズであった。黒人の人権運動家としてメジャーリーガーから変わっていったジャッキー・ロビンソンと違い、メジャーリーガーとして1960年代を駆け抜けていった、まさに野球選手であった。
その灯がどんどんと消えていく。50年代に関してはほぼ絶えたといって差し支えないだろう。もはや我々はポロ・グラウンドやエベッツ・フィールドの影を知識としてしか受け取ることが出来なくなった。もうその肌の感覚を覚えている人はほとんどいなくなったという事だ。

もうこのような選手は出てこないのだろう。
そうでなくても新陳代謝の激しくなったメジャーリーグ。これほどの高成績を長く残し続ける選手は我々が生きている遂には厳しいかもしれない。数年間は彼を超えるようなプレーを出来たにしても怪我などでそっと消えていく選手が増えていくだろう。
新陳代謝が激しくなったという事は言い換えれば使い捨てられる選手も増えてきているという事だ。いいところだけ使って出がらしになったら捨てる、メジャーリーグではよく行われていたことが更に激しくなっていくだろう。
そのようなことがなかった、もっとおおらかな時代の空気をウィリー・メイズは持っていた。新陳代謝も比較的緩やかでFAもなかった、まだ球場の空が明るかった時代の、古きメジャーリーグの香りを残した選手の一人であった。

その彼がこの世を去ってしまうのは、少しだけ寂しい。

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