安売りされるベーブ・ルース

どうしてこうもベーブ・ルースを引き合いに出されるのか。

大谷翔平が10勝目で史上初の快挙 ベーブ・ルースも成し得なかった2年連続の「ダブル2ケタ」(スポーツ報知)

快挙!大谷翔平がベーブ・ルース超え史上初2年連続2桁勝利&2桁本塁打 6回1失点に自ら決勝ホーム踏む(スポニチ)

大谷翔平が素晴らしい選手であるのは否定するつもりもない。
あれだけ不可能と言われたMLBでのツーウェイプレイヤーを成立させた初の男として球史に残る選手であるだろう。それを疑うほど私も愚かではないし、なによりもはや今の私に大谷翔平をわがことのように語るのは力不足もいいところだ。
だが、いつも彼はベーブ・ルースと比較されるところには苦い顔をしてしまう。

私は以前彼がエースでありながら本塁打王になった1918年のベーブ・ルースを調べている。

10勝二桁本塁打のあった1918年 ~ベーブ・ルースの二刀流を追う~ 前編

10勝二桁本塁打のあった1918年 ~ベーブ・ルースの二刀流を追う~ 後編

そこで私は選手不足におけるボストン・レッドソックスがエースであったベーブ・ルースの打棒に期待して四番を打ち始めた、という結論に至った。彼はもともとエースピッチャーであり、ハリー・フーパーの進言によって打者としてもプレーする事になり、そのまま野手へ転向していくという結論に至った。
結果としてツーハンドマンであっただけで彼が望んでツーウェイプレイヤーになったわけではない。実際ニューヨーク・ヤンキース以降野手に専念している。

そこが結果としてツーウェイプレイヤーになったベーブ・ルースと本人が望んでツーウェイプレイヤーになった大谷翔平との差である、と述べている。

だからこそ比較のしようがないのだ。

両者の数字から時代の比較は可能であるもののその優劣を決めるのは難しい。そうでなくても100年前の記録だ。どちらが素晴らしいかどうかを話すのはあまりにもおおざっぱすぎやしないだろうか。

そうでなくとも記録というものは取り扱いが難しい。
記録そのものだけでは時代の周辺事情を読み取れず、周辺事情を取り込むと成績をどこまで信用していいのかという問題が発生する。
そのためにやたらに数値の低い時代を指さして
「昔は選手の能力が低かった」「今の選手の能力が高い」
などの評価の揺れが発生し、それが喧騒の原因になったりする。スポーツは人間がやるものだからどこまでそれを考えればいいのかわかりかねるし、藍よりいでで藍より青し、というようにその能力の低いと揶揄された選手たちを参考にして今に至ったと思えば一概に否定はできない。ローマに続く道の一石がどこに転がっていたのかわからない石だとしてもそれがなければ次の一石が置けなかったことを思えば一概にその石を批判できないのと一緒だ。

人間がやらない競馬ですらどれだけ育成法が確立された現代でもアンタッチャブルと呼ばれる数字に到達していないことは少なからずあるし、必ずしも未来が過去に勝つわけではない。ましてや人間ならなおさらだ。
今の時代にテッド・ウィリアムスが登場したとして彼が成績を残せないかどうかを数字だけでは判断しかねるのだ。そんな彼も戦争による出兵がなければ残された成績が変わるように、だ。

確かに野球の成績や数値はその人となりを表す。
しかしそれは一部分だけであり、全てを書き表すものではない。
ここを特に近年の野球は勘違いしがちだ。
数字は自己理解の補助になるがその本質までを突くことは少ない。

私自身も先人に言われたことがある。
「トニー・グゥインはなぜあれだけ安打を放てたか。彼の才能だけのものだったか」
というものだ。
先人は
「彼の前にはアラン・ウィギンスという一番がいていつでも走れる体制があったからボールを絞りやすい状況にあった。彼がいつでも走れる状況であったから高めのまっすぐをバッテリーは投げざるをえなくなり、自然とグゥインは高めのまっすぐを基本とする戦略が立てられた。だから彼がいなくなってからやはり成績が落ちている。戦い方の変更を求められたからだ。だから選手一人の成績だけを見てはならないよ」
と言われたものだった。

選手の成績とはそういうものではなかろうか。
10勝40本という大台を打つ選手がいてなぜエンゼルスは勝てないのか。彼以外の成績はどうなのか。彼のチームに及ぼしている影響は。
こういったものを精査する事こそ野球の成績を読み取る、ということなのではなかろうか。

残念ながら野球は一人でやるスポーツではない。
多くの選手が絡み合ってなすスポーツだ。だからこそ一人の成績がすべてを書き表さない時がある。だからFAなどでチームを去ったあと、同じような成績を必ずしも残せるのかという問題が発生する。
やはり野球はチームプレーのゲームなのだ。
だからこそ、成績から時代を読み取らなければならない。当時なにが素晴らしかったのか、今と何が違うのか。

それが出来なければこのようなベーブ・ルースの成績を超えた、と鼻高々に話してしまうおおざっぱな成績の扱い方しかできなくなるのだ。

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