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思い込み

午後遅くなって雲行きが怪しくなってきた。

冷たい沢の流れに浸かったまま見上げる空は高層雲で埋まり、その下を黒味を帯びた片積雲が西から東へ流れていく。気象の入門書に出てくる典型的な天候悪化の兆候だ。雨になりそうだった。

(天気予報が当たったなあ)

太ももまで浸かれば容易に渡渉できそうな幅5メートルほどの渓流は、今夜の宿となるキャンプ場の脇を流れていた。キャンプ場といっても小さな橋のたもとにトイレと炊事場があるだけで管理人もいない、見た目は草の生えたただの広場だった。

東京から車を運転して岩手県早池峰山の山裾にあるキャンプ場に到着したのは2時間ほど前。テントを設営し下の街まで食料の買い出しに行った帰り道、橋のたもとで車から下してもらい釣り始めた。

その橋はキャンプ場から車で少し下った所にあり、橋から下流は農村地帯を流れる里川、上流は小規模ながら山岳渓流の様相を示していた。ここから釣り上ればキャンプ場にたどり着くはずだ。

「じゃあ,キャンプ場のところまで釣り遡ってみるよ」

「了解! 2匹は釣ってきてね~」

と言って妻と別れ、支度をして釣り始めたのはもう夕暮れ時だったが、同時に一番釣りに適した”夕まずめ”の時間でもある。小さな渓流だから大物は期待していないが、はるばる東北まで来たのだ。少しでもいいから釣りをしたかった。

ケースから小さめの毛鉤を選び、白泡の切れ目に振り込んで流れに乗せる。

何回か流すが反応はなし。

フッと息を吹きかけて毛鉤の水気を払い、再び流れのなかに振り込む。

時折、小さな岩魚らしき魚影が突っつきにくるもののサイズが大きすぎて口に入らないのか、なかなか掛らない。やっとのことで15センチほどの岩魚釣り上げたものの、その後はすっかり反応がなくなってしまった。

橋から近い場所だから魚がスレていても仕方がないのだが、遠く東北まで来ていい魚が釣れないというのもなんだか寂しい。

(まあ,夕飯前の手慰みってことだから…)

釣れない言い訳を呟きながら、日の傾きも気になってきたので少しテンポを上げて釣りあがっていく。

どれくらい遡っただうか。

振り向けば、もうとっくに入渓した橋は見えず、右岸は傾斜のきつい広葉樹林,左岸は植林された杉の森が続いている。それほど遠くない所を車道が通っているはずなのだが、ここからでは薄暗い杉林が奥まで延々と続くだけで道は全く見えない。

(もうそろそろキャンプ場の脇に掛かっている橋が見えてくるころだ)

買い物に出かけるとき、入渓地点の橋を渡って街へ出た。そのときの感覚ではキャンプ場から橋まではせいぜい車で1~2分の距離というイメージだった。

(もう少し距離があったのかな……)

そう思いながらさらに釣り遡っていく。

普通なら毛鉤を2回流すところを1回で見切りをつけ、どんどん遡っていった。

10分ほど経っただろうか空はますます暮れていき、あたりは薄暗くなってきた。沢は屈曲して流れているので先の方は見えない。

(いくなんでも次のコーナーを曲がればキャンプ場の橋が見えるだろう)

そう自分に言い聞かせて先を急ぐ。正直に言えば、このころから少し不安を感じはじめていた。もはや釣果はどうでも良くなっていた。

しかし、コーナーを曲がっても橋は現れず、流れは50メートルほど先でまた右に曲がって深い森の中へ消えていた。

(暗くなっちゃうとやばいから、もう切り上げてサッサと遡っていくか)

その時、ふとある思いを抱いた。

(待てよ、この沢は本当にキャンプ場の横を流れている沢なんだろうか……)

               〇

釣りはじめた時から、いや買い物に行くときからずっと、いま釣りをしている沢はキャンプ場の横を流れている沢だと思っていた。今でもそう思っている……。

(でも,もし違う沢だったとしたら……)

この沢を遡ればキャンプ場にたどり着くというのは思い込みで、本当はまったく違う沢で釣りをしているのではないか。

そんなはずはない。キャンプ場から下流の橋までは沢に沿った道だったはず……。

でも、もし途中に支流が流れ込んでいたとしたらどうなる。水面の毛鉤ばかりを見ていて分岐に気づかず、その支流に入り込んでしまった、ということはないだろうか……。

いや、周りの地形から考えても、もう一本別の沢が流れているとは考えにくいし、いま自分がいる沢にはかなりの水量がある。仮に支流があったとしても本流と間違えるほどの水流があるとは考えにくい。間違って入り込むなんてことはあり得ないだろう。

疑心を打ち消そうと、いろいろな反証を挙げてみるのだが、一度抱いてしまった疑心はそう簡単に消せるものではない。こんなとき地図を持っていれば問題はすぐに解決するのだが、地図はキャンプ場においてきていた。

支流に入りこんでいるのだとしたら、遡れば上るほど本来たどり着くべきキャンプ場からは遠ざかり、早池峰山の懐深く入り込んでしまうことになる。

どうしよう……。

少しの間、立ち止まって考える。

唯一、確実な方法がある。

遡ってきた沢を下流に向かって戻ることだ。それなら確実に元の橋に戻ることができる。登山でも迷ったら引き返すが鉄則ではないか。

そう思って振りかえるが、もちろん沢に入った橋は、はるか下流になってしまっている。

早くキャンプ場に着きたい一心で歩を早めたため、今となっては戻ることも難しくなっていた。橋に辿り付く前に完全に日が暮れてしまうだろう。沢の中で暗闇になったら、それこそ厄介なことになる。

もっと早い段階で、戻ることを決意していればよかったのだが、やはり心の中の(もう少し行けば橋が見えるのではないか)という思いが、引き返すという選択肢を打ち消し続けてきたのだ。

そうしている間にも日はますます暮れていく。沢から見上げた稜線は日没間際の雲間から差し込んだ残照で茜色に染まっていた。その稜線に沢筋から夜の幕が静かに這い登っていく。

残照が消えてしまったらライトを持たない自分は歩くことができなくなってしまうだろう。もう悩んでいる時間はないようだった。

(よし、沢から上がろう)。

                〇

完全に日が暮れる前に車道を探し、キャンプ場に辿り付かなければならない。

手早く身支度を済ませ、大小の岩が転がる狭い河原から一段高くなった台地へ上がる。藪の中で引っかからないように毛鉤は外し、ラインもリールの中に収容した。

日中でさえ日が差しにくい杉の林のなかは、すでに暗くなり足元が見えにくいのだが、幸いにも下草があまり生えていないので藪漕ぎをするような状況にはならなかった。

ここからキャンプ場への最短コースは上流に向かって斜め右方向のはずなのだが、いまとなってはその判断に自信がなくなっている。

(とにかく車道を目指そう)

沢の流れと直角方向にまっすぐ進む。30メートルほど進むと沢音も遠のき、それまで平たんだった台地は少しずつ傾斜を増し急な斜面になった。そう遠くはない斜面の途中に車道が通っているはずだった。

(車道には白いガードレールがあったはず……)

そう思って頻繁に前方の斜面を見上げるのだが、ガードレールは見えなかった。

もし、車道に行き当たらず延々と斜面を登り続けるか、下りになって別の沢に行き当たってしまうようなことがあれば、それは心配していたとおり別の沢に入り込んでいたことになる。おそらくその場合は、日没時間切れとなって山中で夜を明かすことになるだろう。

いま登っている斜面の途中で車道に行き当たるという結果以外は、すべてハズレなのだ。

半ば祈るような気持ちで草の生えた土の斜面を登り続けた。

底にフエルトが張られた釣り用のシューズは、踏ん張りがきかずにズルズルと滑って歩きにくい。四つん這いになって草を掴むようにして登っていく。

車道を走る車がいればヘッドライトの明かりが見えるはずなのだが、そんな気配はまったくない。本当に早池峰山の懐深くに入り込んでしまったのだろうか……。

地図もライトも通信手段も持たない状況では歩く以外に方法はなかった。迷ったら動かないほうがいい、という登山の鉄則も頭の中にはなく、遭難しかけているという実感もなかった。

天気予報では、明日から大雨という予報になっていたはずだ。もし、今日中に戻ることができず沢筋でで大雨に降られるようなことになったら、それこそ本当の遭難になってしまうかもしれない。

孤立無援とはこんな状況のことをいうのだろうか。

どれくらい経っただろう。

急斜面を這いつくばるようにして登っていくと、突然、傾斜がなくなり目の前に白いガードレールが現れた。あれだけ探しても見つからなかった車道が唐突にそこにあった。下からでは、階段の踊り場のようになった車道の空間にあるガードレールが見えなかったのだ。

ガードレールを乗り越えて車道に立つと、50メートルほど先にキャンプ場入り口の看板が見えた。

身体から一気に力が抜け、車道にしゃがみ込んでしまいそうになった。

やはり、あの沢はキャンプ場の脇を流れる沢だったのだ。

沢が蛇行していることを考慮しても、あと70~80メートルほど遡ればキャンプ場が見えただろう。

しかし、一度抱いてしまった疑心を最後まで振り払うことができず、自分を信じることができず、夢中で斜面をよじ登るという滑稽な行動をすることになってしまった。

まったくお粗末なことだった。

疑心を抱くことがなければ、(思ったより距離があったな~)という感想だけで済んだはずだった。それが、ふと(本当にこの上流にキャンプ場があるのか?)、という疑心が芽生えたことにより、(沢の分岐を見落してしまったのではないか)(別の沢に迷い込んでしまったのではないか)、悪い方へ悪い方へと考えを巡らせることになってしまったのだ。

こういう状況を疑心暗鬼というのだろうか。

無事に戻れてよかったという安堵感、カッコ悪いことをしてしまったという恥ずかしさ、人間の感覚なんていい加減なものだなという無力感、結果に間違ってはいなかったものの ”思い込み” の怖さ、様々な思いがごちゃまぜになったままトボトボとキャンプ場へ歩いて行った。

「お帰りなさい。釣れた?」

ランタンの明かりに照らされたキャンプテーブルで食事の支度をしていた妻の笑顔を見たら瞬間、なんだか涙が出そうになった。

20年ほど前の真夏の出来事だ。

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