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【目 [mé] 非常にはっきりとわからない】

空間を大規模に変容させる表現などで、現実世界の不確かさを人びとの実感に引き寄せる作品を展開し、国内外で大きく注目を集める現代アートチーム「目」の、美術館における初の大規模個展を開催します。
千葉県の地球磁場逆転地層(チバニアン)や、それらの地質学によって示されるように、未だに原因が解明できないような天変地異の連続の上に、私たちの現実という地表の世界は成り立っています。本展では、展示物に加え、鑑賞者の動きや気づきを含む千葉市美術館の施設全体の状況をインスタレーション作品として展開し、突き放された現実としての美術館に人々を誘います。様々な状況が集積されてゆく動的な展示空間は、訪れる人々が理解していたはずの意味や本質を剥がしてゆくように、当たり前のものとしてどこか見過されているような現実世界を、新たな感覚で捉え直させる機会となるでしょう。

これは、この“展示”にあたり掲載されていた概要である。千葉市美術館で開催されている【目 [mé]非常にはっきりとわからない】

12/28が最終日を迎えたので感想を残しておく。
ネタバレ禁止とのことで、会場内スマートフォン等撮影およびその操作も禁止。ネット上の感想を見ると、賛否両論。さて、一体どんなインスタレーションが見られるのか。

この美術展の概要を読んで、わたしは高を括っていた。一部出ている展示の風景を見る限り、通常の美術品、あくまで“美しい芸術品”が並ぶ美術館のイメージを、改装中の千葉市美術館を逆手にとって、普段見ている現実だって、“美しく整理されている”ものではない、といった趣旨をぶつけてくるようなもんだろうと。そういうの、嫌いじゃないよ、程度のスタンスだった。

しかし、訪れてみるとそんな簡単なことではないことに、言い様のない不安を感じた。わたしの見ているこの展示、一体何であろうか。
会期が終了したので、概要と感想を。

展示の概要はこうだ。1階のエントランスには、未完成の展示が散見される。ある意味無造作とも思える展示物が存在する。そして、展示の本番はこの建物の7階と8階。どちらを先に見ても良いとのこと。エレベーターで7階に上がると、これまた養生テープやビニールに覆われた“モノ”が並ぶ。美術館の展示というのは、このように作られるものなのか、と最初は感心しながら回るうち、何か違和感を感じる。自然にそこにあるように置かれている“モノ”たちが、人の作為によって置かれている作られた自然さ、そして、この一見雑多に見えるこの展示の意図に対して、段々不可思議さや不安さを覚えてきた。

そして、順路の通り8階に上がる。

え・・・

そこで一気に鳥肌が立った。7階で見た同じ光景が広がっている。今たしかに自分は8階に上がってきたはずだが・・・。

そこで周囲の声に耳を澄ます。驚きと混乱と、そして、少しずつその差異を見つけようとする人々。もしかすると、差があるのか・・・と思い、先程の7階でみた光景を思い浮かべながら観察していく。確かにこれはなかった気もする・・・そして、あの展示物の間に人はいなかった気がする・・・。きっとこの差異が何かの鍵を握っているのだろうと思い、7階に戻る。

そして、気がついた差異の答え合わせはというと・・・

どう見ても全く同じなのだ。あのようなモノや人は無かった気がするんだけど。そして、注意深く周囲を見ていくと、何となく違和感のある訪問者がいる。

自分の記憶の不確かさや、見ている現実の何たるや、体感することができ、何となく怖いような感覚で、外に出る。そして、訪問者に義務付けられた【AUDIENCE】のラベルを入り口の柱に貼りつけ、外に出ると終了となる。

それにしても、AUDIENCEとは何だろう。

何となく、ぐらつく感じを覚えながら展示の会期を終えて、主催者のトークイベント等の記事が一気に出始めた。

そうか、そういうことか。

わたしが感じていた違和感には、しっかりと意図があって作り込まれたものだった。展示が変化していく“動的空間”や、違和感のある訪問者が我々【AUDIENCE】と別の仕掛けとして溶け込んでいたこと。観客として参加することで、見ることー見られること、見ていると感じていることのバランスが絶妙なバランスで成立しており、それが少しの作為で崩されることで見えて来ることを体感できた。

感じているものの確かさと不確かさ、その狭間で感じることできることを大切に、私の形作る世界を感じていきたい。

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