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医者に言われた「貴女はお母さんを殺すんですね」


貴女はいのちの選択の決定を迫られた事がありますか?

86歳の母が入院した。年齢だけを聞くともう良いお年頃。
そろそろ入院だって想定内の年齢と普通なら思うでしょう。
しかしうちの母が入院?そんなの考えられません。
自転車のスリと戦い溝に落とされても鞄は奪われない、荒野の荒れ地を耕したほどの擦り傷は出来ようとも骨折さえ無縁のスーパーおばあちゃん。
年齢よりは若いのは見た目だけでなく、毎日が高校生の部活動かと思うくらいのレクリエーション三昧。
2日前だって1人で電車に乗りデパートまで美味しい鮭をわざわざ買いに行っていた。なので、まさかね、そんなバカな・・・
私の想像の斜めうえを越えた事件が起こった。

この日は早朝から仕事のため私はもう駅のホームにたっていた。
消音にしている携帯電話が ブルルル ブルルルと震える。誰なん?
人も多いし電話に出るのも・・・なんて思いながらしばらく震えるがまま
放っておいたしかし、一向に震えは止まない。
仕方なく確認すると全く見たことがない番号。一向に切ってくれる気配は
ない、仕方なく出ることにした。
「もしもし」と言うのと同時ぐらいに「こちら○○消防局救急ですが」
救急隊??
「お母様がご自宅で転倒されて頭を打ったといっておられます、意識はありますが念のため頭と言われているので少し遠い脳外科のある○○病院まで搬送します。今すぐ搬送先の病院まで来てもらえますか。」
この返事に断ると言う選択肢は探しても見つけられない事は知っている。
「分かりました」と言ったと思う。そこから電車と人の雑音に消されないように大きな声とペコペコ頭を果てしなく上下させながら仕事のキャンセルを入れた。
きっと近くで見ていた人は工事中の看板のヘルメットおじさんを思い浮かべたに違いない。

そこから電車の行き先を変更し連絡のあった病院へ
混み混みの電車に圧死されそうになりながらやっと到着。
しかしそこには母の姿が見つけられない。そーっと近づいてきた人から
「医師の検査の結果、頭には異常がなかった様で、腰に痛みがあると言うことだったのでそのまま整形外科のある病院へ再搬送していただきました」と説明された。

そんな・・・。その場でくるくるバット3回転されたようだった。
私は自他共に認める筋金入りの方向音痴、右も左も訳分からないまま地図アプリの音声に言われるがままやっと母が存在する病院までたどり着いた。
たまたま前から痛いと言って湿布貼っていた場所、腰椎の圧迫骨折が偶然見つかったらしい。自転車で振り回されて溝に落下しても青たんの湖が出来ても骨折なんてしなかったのに圧迫?骨折?
「しばらく入院してコルセットを作ってリハビリしてから退院しましょう」鳩が豆鉄砲を食らったような表情の私に医師はそう言った。
スーパーおばあちゃんでもね圧迫骨折するんです。元気でも骨が弱くなっている高齢者には良くあること。さほど心配もしなかったし見つけてもらえて良かったとさえ思った。母には「痛かったね コルセット作ってもらってしっかりリハビリして早く帰ろうね」と言ったのになぜかその日の母にいつもの元気はみられ無かった。
整形外科の入院は内臓が悪い訳じゃない、リハビリがメイン、長引くなんて無い無い。それなのになぜか毎日元気がなくなっていく。
1週間経っても一向に元気にならない。寂しいのかな?
でも仕事をしている私が病院に行けるのは夕方じゃないと無理。

その日は面会に行くとちょうど配膳車が廊下をガラガラと音を立ててやってきた所夕食の時間だ。くたくたのほうれん草とか到底美味しいとは思えないものが出てくるのは想定内。
「お食事です」とベットサイドテーブルの上に置かれたトレーの上にはゼリーが2つだけ。 えっ!なにそれ?目を疑った、想定外。
おもわず声が出た。「嘘やろ~」
慌てて主治医を探した。
「あの、食事がゼリーだけなんですけど、どうしてですか?」
「ああ、お母さんね、お食事食べないから食べやすいゼリー食にしました」
「ちょ、ちょっとまってください、食べます、食べさせますから」
いくら食べないからって内臓疾患じゃないんです、おやつじゃない夕食だよ可哀想過ぎる。
「せめて粥食にしてください」言った声は少し怒りで震えていた。
で、その後追加されたのは味のついていないおかゆが一つ、ただそれが増えただけ、おかずはないなのに変わらず150Kcalのゼリー2個は鎮座している。
「いらんけど・・・」 心の声が出そうだった。
美味しくないし食べないからと言っても食事は治療の一環。美味しくないけど、味もついてないけどちゃんと食べさせてよ。こんな事をしていたら食べられなくなってしまう。食べない母の気持ちより先に、食べていない現実だけでゼリーのみにしてしまえる医療者の治療方針看護計画が聞きたい。なぜ食べないのか?どうだったら食べようと思うのか誰か母に聞いてくれた?
不信感ばかりが募った。
そして母は食べなくなって元気が無くなって生きる気力を失って行った。
それから1ヶ月。
食べないままリハビリもせずと言うか出来る体力が無くなって治療は一向に進まず時間だけが無意味に過ぎていった。
毎日なるべく仕事から早く帰り自宅でおかずを作っては病院に運ぶようにした。ただ食べて欲しくて、親が子どもの健康を考えて手作りの食事を作るように私も母にしてもらったように今度は私が一生懸命作った。

小さめのスプーンで口に運ぶ「美味しいわ」と言っても一口二口しか食べない。もう胃袋は食べ物をためられるスペースが無くなっているようだった。
「なんでリハビリしないの?」
「嫌だから・・・」弱々しくもそんな会話はまだ出来ていた。
そうだよね、言わなかったけど食べていないのに元気にリハビリしましょうなんて年齢に関係なく無理だよね。

短期間であんなに風貌が変わって元気がなくなってしまった姿を見ていても毎日の日常業務に紛れてしまえばたった1人の患者の事なんて気になら無くなるのか?私もそうだった?いや、違う絶対に違うそう思うと不思議でしかない。
母は夜間になると不穏状態がでるらしく精神安定剤が点滴に入れられていた。後にそう告げられた。
そうか。だから会いに行ってもボーっとしているんだ。あんなに元気だった母は毎日会いに行ってももうそこには居ない。会話もはっきり出来なくなって、食事も毎日食べず、リハビリも全くしない。立ち上がることもなくずっとベッドに横になったまま無機質な綺麗でもない病院の天井を眺めるだけの日々を過ごせば誰だって認知症になるし、不穏状態にもなる。
高齢者が入院すると認知症を発症しやすくなるはそのためだ。
元気こそ無いけど夜間の不穏状態も見たことがない。それなのに説明もされず安定剤を入れられる意味が分からない。母のためには本当に認知症になってしまった方が中途半端に状況が分かってしまうより辛さは半減したのかも知れない。本当にかわいそうとっても辛かっただろう。

リハビリを拒否し続ける母に困り果てた先生から
「娘さんが来た時だけは頑張るから」
ほんまか?
「来られたときは先にリハ室に声をかけてください」
はいはい分かりました。
と言ってはみたものの仕事をしている私がずっと休みをとるのは無理がある。行けるのは平日の夕方以降か仕事が休みの土日だけ。そうしたらリハビリの先生もお休みじゃん!これでは一生リハビリなんて出来るはずもない。
家族頼りだけでいいわけないやろ!すごーくモヤモヤした気持ちを抱えながら頭の中でこれから先の事を、暗いトンネルの中で一筋の光を探すように考えながら歩いて駐車場に向かっていた。

「すみません、娘さん」と走ってくる声が後ろから聞こえた。振り返ると主治医です。
「あの、聞くの忘れていたのですが延命措置どうされます?お母さんの」
「えっ!先生ちょっと待ってください。母は腰椎の圧迫骨折で入院したんですよね?延命措置どうしますか?ってどういうことですか?」
そしてその言葉がこだましている場所は病院の駐車場。
他の患者や家族もいるこの場で医者がいのちの選択について
あっ、ちょっと忘れてたわ~ごめんごめん
って言って無くてもそんなついでのように聞きます?あり得ない。
「そんな大切なこと、この場でお答えなんてできません。とっても失礼です。」怒りを通り越して情けない。悔しい 悔しい。目から涙があふれ止まらなくなった、とにかくこの場所を離れたい。涙で前が見えてないまま急いで車に乗り込みアクセルを一気に踏み込んだ。逃げたかった。
         
どれだけ車を走らせただろう まだ窓の景色は変わっていないようにも色がついていない様にも見えた。生きるってなんだろう。生きているってどういうことなんだろう。答えのない問いに頭の中はメリーゴーラウンドみたいに訳の分からない感情がグルグル回転していた。
看護師である私が患者の臨終の場に立ち会う事はもちろんあった。人の生き様は死が近づいた時に垣間見られる事が多い。家族との関係性やその人が生きてきた人生の縮小図のような場面に遭遇する事がある。
母の心臓はまだ動いている。呼吸もしている。話しかければ元気はないけど会話だって出来る。でも気力はないただ呼吸をしているだけ。生きることをやめてしまったようにも感じ取れる、だけどまだ寿命の終わりは来ていない、命はある。寿命は娘であっても主治医であっても決められるものではない。もちろん本人にだって決められない事。それなのに、悔しいとっても悔しい。お母さん、私悔しいです。 
このままではきっと母は死んでしまう。そしてこのまま今死なせてしまったら私は一生後悔する。とにかく1度元気になってもらって生きるってどういうことなのかきちんと話したい。どのような人生を過ごして最後はどうありたいのか本人に確かめたい。
母は強く賢い人だけど怖がりで強がりだから人に弱みを見せられない。
特に娘には。
だけどねお母さん、今死なないでちゃんと話そうよ。話がしたいです。 
貴女が生きてきた人生を娘として全て肯定したいです。

私は1度も行ったことのない初めての病院を母の診察券でゲリラ受診する事にした。
母が元気な時通っていた病院。なんで元気な時に病院に行くの?いつも同じ時に受診する人を見かけないと「あら今日は体調悪いんかな?」って言うらしい。知らんけど
母をよく知ってくれている先生ならきっと今の状況をちゃんと聞いてくれるはず。なんとか力を貸してくれるはず。根拠も確信もなかったけどとにかく今は誰かに話を聞いてもらいたかった。看護師としてでなく患者家族として。今湧き出ている医療者への不信感、怒り、悔しさ、寂しさ、諦め・・・色んな感情の渋滞を解消させたかった。

初めて話す初老の医師は表情が無い人だった。パソコン画面を見つめたまま全くリアクションなくあっさりと話を聞いてくれた。
一通り私が話し終わった、と同時に今度は医師が淡々と言葉を発した。
「後1週間なんとか頑張って、ベッドが空く予定があるからそこに転院受け入れるよ」
視線が合う事も無く、笑顔も愛想の良さも優しい言葉もないけどこの時ばかりはパソコンに向かっている顔が神様に見えた。
「ありがとうございます。宜しくお願いします」椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。
良かった助かった。状況が変わった訳でもないのに一気に安心感でいっぱいになった。
たったこれだけの言葉で笑顔も何もない医師が神様に見えるって・・・
医療者の一言って本当に重いのです。
自分ではどうしようもないなすすべが見つからない時に共感してもらえた、受け入れてもらえたと感じるだけでこんなにも感情は変わる。
そこから1週間 母に食べるものを作り届けとにかく口に運び食べさせる。
そんなに食が進む事も状態が良くなることも無かったけどとにかく1週間後この病院から転院させる。それまで絶対に命の灯火を消さないように私が出来る全ての事をとにかく頑張った。
晴れてやっと転院の日の朝が来た。いつもの様に薄暗く古くて無機質な病室で初めて母に「病院変わるよ」と伝えた。
すると母は意外な言葉を発した。
「嫌!行きたくない、どこに行くの?○○病院だけは嫌だから」
え~~変わりたくない?○○病院だけは嫌?いったいどういうこと? 良かれと思ったのに母が拒絶した。言葉を発する力も無くなっていたはずなのにあんなにはっきり意思表示したのは入院して初めてじゃないか?めちゃ驚いた。
とにかく介護タクシーのお迎えが来るまで時間が無い、説得?納得?させないと。
「ここは私が無理だから病院を変わってほしいの、お願い」
「嫌よ○○病院は嫌」という会話を何度か交わしたが嫌がっても抵抗出来る体力が残っていない母は迎えに来た介護タクシーのストレッチャーに揺られて転院する事になった。
ごめんお母さん、言葉には出さなかったけど心で思いながら私の選択は間違っていないとも言い聞かせていた。絶対に間違っていなかったはず転院して環境が変わって友達も面会に来てくれる環境になれば気力も戻りこれで食べるようにもなるはず。絶対に元気になる助かった、そんな気持ちになっていた。
車の中で母は何も言わない。言葉を発する事無く表情を変えることなくただ黙ってずっと上を向いたままストレッチャーに揺られている。
いつもの病院に着くとそのまますぐ検査に連れて行かれた。
私は主治医に呼ばれて診察室に入った。パソコンの前には例の表情を変えない先生が座っていた。
「先生、転院受け入れてくだりありがとうございました」まずはお礼を言った。
先生はお辞儀を返してくれたのか分からないぐらいの動きから表情も変えず
言葉少なく説明を始めた。病状、入院での治療計画、諸々を話した最後に「これは決まりだから聞いておかないといけないので、今聞いたことでも途中で気持ちが変わればいつでも変更出来るから気軽に一応きかせてね」
前回とは違って言葉は優しかった。
内容は結構な細かさで医療用語が多かった。私には耳なじみのある言葉なので理解は出来るが医療の知識がないと難しいと思った。
「一応ね、途中で変えて良いから」念を押すように何度も医師が言った。
口から食べることが困難になったらどうする?経鼻経管栄養チューブ入れる胃瘻造設する?急変時に人工呼吸心臓マッサージ除細動を使う?酸素マスク気管切開は?沢山の項目を確認だけと言いながら淡々読み上げた。確認というよりは決して意見はしませんという念書をとられている感じだ。
高カロリー輸液は前の病院でされていたため点滴治療の選択はなかったが食事を口にすることを拒否しているため経鼻経管栄養か胃瘻の造設をしつこく勧められた。
「いいえ、それはしません、食事は口から食べたいから胃瘻とか胃へ
のチューブとかは絶対に嫌と常々言っていたのでそれは希望しません」
「じゃあ急変したときはどうするの、心臓マッサージするでしょ?」
「いえいえ、それも積極的な延命治療はせず自然経過に任せたいです」
そこまで強く迷い無く答えられたのは私が看護師だからじゃなくて以前から母は自分の延命措置のことを色んな所に書いて貼ってあったし同じ内容を保険証に挟んであったからだ。
【延命措置は決してしないでください】と直筆のメモを見せながら医師に伝えた



容体が変わらず本当に延命措置について選択しないといけなくなるのなら母が希望している通りにしてあげたいそれが1番良い選択だと思うから。
「あーそれね、前からお母さん私にも良く言ってた見せてくれたこともあるけど、じゃあ例えば今病室に上がる時に突然心臓が止まったらどうすの?」「えっ!そんな・・・」
「ねっ!それだったら心臓マッサージするでしょ?」
「まあ・・・」 困惑する私に
「だったら心臓マッサージするにチェックでしょ」 と言った。
そんなの確認か?誘導だろ。もちろん死なせるつもりも見捨てるつもりもないそんなひどい娘じゃない。元気になってもらうために転院させたのに食べられるようになって欲しいと思っているのに口から食べられなくなったら食事じゃない。美味しいと思って口から食べてたとえ喉に詰めて死んでしまうことがあったとしてもそれでも口から食べさせてあげたい。極端な事を言っているかも知れないけれどその方がきっと幸せ。そんな母の気持ちを尊重しただけなのに「貴女はお母さんを殺すんだね、心臓マッサージもしない胃瘻もしないあれも嫌これも嫌。それなら家につれて帰りなさい。点滴も抜いて家に帰ったら3日で死ぬわ。」と冷たく言った。私が母を殺すのですか?さっき気持ちが変わればいつでも変えられるからって言いましたよね、それなのに【貴女はお母さんを殺すんだね】また医者に心をえぐられた。

これでは強制です、気持ちに寄り添って話を聞いてくれていません。
私は母を殺すそんなにひどく冷たい人間ですか?
母は相変わらず食べません。
食べなくなってどれくらい経つのでしょう・・・音楽が流れてきそうです。
毎日動かずずっとベッドに横になったまま、なら消費カロリーも必要ないだろう。食べたいと思うのはきっと生きる気力がある時、ダイエットなんて言っている自分を反省した。

この入院病棟は食事の時間になってもデイルームに歩いて来る人も車椅子に乗せられてやって来る人もほぼいない。沢山ある椅子と大きなテーブルはガランとしていてテーブルの端には介護に使ったタオルが洗濯を終えて重ねられているだけだ。それとは対照的にコンパクトで沢山の流動食が吊り下げられた小さなワゴンは食事の時間になると大活躍する。「お食事ですよ」という声かけとガラガラと廊下に響く音。ほとんどの患者の食事を運ぶ配膳車に早変わりをする。お食事なの?そうなの?転院した時に先生にお勧めされた胃瘻経鼻栄養チューブを使っている人が補給してもらう栄養とカロリーそれなら間違いなくお食事ですね。流動食の入ったイリゲーターは口を使わないお食事、でも何かが違うそう思う。食事というのは口から食べるもので栄養だけじゃない心の栄養も補給出来るものじゃないか?もうずいぶん前のように感じてしまう母が最後に「美味しいね」と言って食べたのはミシュラン星付きシェフが作った豪華な料理でもなければ大好きだったお肉でもない、私が仕事から帰って急いで作っただし巻きたまごそれも食べたのは病室。
母が食べなくなったのは生きる事を拒否したからかも知れない。
過活動なくらいフットワークが軽く人と関わることが好きでいつもでもどこでもリーダーでぐいぐい人を引っ張っていく、場合に寄っては面倒なぐらいお節介な人。そんな母が食べなくなり動かなくなっていく現実を受け止めるまでとても時間がかかった。そんな中で仕事として働く看護師としてではなく母の娘でいられた時間はとても大切だった。生きる意味を考えさせられた悔しかった情けなかった反面とても貴重な時間を過ごせたとも思う。
日々弱って痩せて小さくなって行く姿を見るのは嫌だった。発語が少なくなり目を閉じている時間が増えてきた頃、病室に行くと決まって耳元で「来たよ」と声をかけポンポンと肩を叩いて起こす。するとうっすら目を開けて何が起きたのか誰が側にいるのか確認する。認知症はないはずなのに弱々しく発する言葉が変だった。「お通夜終わったの?」
「えっ誰の?」と聞き返すと
「私の」なんて言うこともあり「もう死んでも良いんだけどね、痛いのが嫌なのよ」とか言うこともあった。
寝たままでいる背中と腰くらいは痛いだろうけど、私の反応や答えを確かめて生きていることを確認しているんじゃないのかと思っていたし本当にもう生きていたくない?本当は死にたくないでしょ?とか色んな疑問符が脳裏でかけっこしていた。
【決して延命措置はしないでください】と書いて貼りまくっていた母の本心はどんな方法をとっても助けてくださいという意味だったのではないか?希望は真逆はだったんじゃないか?と疑いまで出てしまう。だとしたら私が【決して延命措置はしないでください】という言葉を母の意思として守ろうとしていること自体間違いで私の決断したことは悪なのではないだろうか?と自分を責めそうになる時もあった。
家族の特別じゃないコミュニケーションはとても大切だと思う。元気な頃から食卓を囲む何気ない会話の尊さを感じる。自分はどのような生き方をして人生の最後をどのように迎えたいのか、順番を考えると多分子どもより先にその時を迎えるはず、残していくだろう家族に素直にあれこれ話しておくのはとても大切なことだと思う。
どのような生き方をしたいのか、最後をどう迎えたいのかなんて元気で死とは無縁の時に話していないと本当のことなんて話せない。
恐らくいっぱい話し合ってその通りの選択をしたとしても後悔はする。そんなセットメニューになっている。でも本音をちゃんと聞いていればその後悔は確実に少なくて済むし、大切な家族を傷付ける事も介護する方も傷つかなくてすむ。たとえ医師が本人の意思とは異なる治療プランを提供したとしても、冷静に内容を聞き判断することだって、本人の意思を尊重する事を頑張ることだって出来る様になるはずだから。無駄に医師と意見が合わずに闘う必要も傷つく必要もない。お母さん、貴女からきいていた通り希望の通りに過剰な延命措置はしなかったよ。先生にはひどい娘だと言われたけど私の選択は間違っていなかったよね。もし今一言だけ話が出来るなら「お母さん貴女は幸せでしたか?」と聞いて見たい。きっとうなずいて「ありがとう」って笑ってくれるはず。
母が寝付いてもうすぐ1年、季節も一巡する頃
高カロリー輸液が入っている刺入部から感染を起こした。抗生剤を投与しても熱は乱高下を繰り返す。一旦抜いて腕からの輸液に変更する事になったが血管が細くなんとか確保できても度々輸液が漏れる、十分なカロリーも水分も行き渡らない。細い腕が紫色に内出血しても「痛いのが嫌なのよね」とももう言わない。何度入れ替えてもやっぱり1日と持たずに漏れてしまう、仕方ないもうこれ以上はかわいそう。
いつの間にか主治医が代わっていた。ご挨拶と延命の話が同時になったが説明がとても丁寧で感じの良い女の先生だった。
「お母さん頑張っているんですけどね、すみません」謝ってくれる。先生は何も悪い事なんてしていない。逆に良くしてもらっていると感謝していた。病院は患者とって最新の設備がされており、1年寝たきりでもその機器と看護してくれるスタッフのおかげで褥瘡はどこにも出来ていなかった。栄養状態が悪い上に寝たきりなのにすごいことだ。点滴の入らない母に先生は再度、胃瘻の話を一応聞いてくれた。でもここまで頑張ってきた母にもうその選択は残っていない。これ以上排泄する事の出来ない体に過剰なカロリーと水分を入れても心臓が動くだけで水難事故に遭って溺れて苦しいだけの様になってしまう。もうこれが寿命なのかも知れない。特別な感情もわかないまま自然とそう思った。点滴もやめもう何もしないと決めた。医師からは「2~3日と思ってください」と告げられた。まだ血圧も維持出来ている尿だって出ている生命力はすごい。何もしなくなって1週間が過ぎた。さすがに奇跡は起きなかった。朝から私はベッドサイドに座り血圧と呼吸の観察、もはや家族じゃなくスタッフ。そうさせてくれたことに感謝した。その日担当の新人看護師がお昼になって血圧が測れないと言うので触診で測る方法を教えたが、慣れていない耳では聞こえない。測るたびに拍動は弱くなり体についている心拍モニターが示す数字もどんどん少なくなっていく、いよいよその時が来た。血圧が測れなくなった、モニターの数字が0を示しアラームがピーピーと高い音を鳴らしたまま波動がまっすぐフラットになった
「あ~、本当に死んじゃった」握った母の手はまだ温かかった。
静かに眠ったまま逝った母に「お疲れ様、よく頑張ったね」と耳元で話しかけた。不思議と涙は出なかった、すごくあっけなくさえ感じた。

亡くなる3日前点滴を入れなくなって更に弱っていく母の耳元で
「しんどい?よく頑張ったよ、もう頑張らなくても良いよ。もう十分良く頑張ったから」と私は言ったすごく素直な気持ちだった。
産み育ててもらい、最後の最期まで娘に自分の命をかけて教えてくれた生きる意味。お母さんありがとう、貴女はやはりすごい人です。

#創作大賞2023
#エッセイ部門


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