日記:光の在り方

もうムゲンビート当日なのマジですか? 大雨のセツナビートがつい昨日のことのよう。今日は別件で配信も見れなさそうなのですが明日は現地行きます。楽しみ……。

PANOR@MA WING楽曲は来ないだろうと思ってあまり予習していない。いまのところアルストが2曲ともかなり好き。そういえばノクチルはまだ聴いてないや……聴かなければ……。

シャニマスへのパワーを高めるために、読んでいなかったイベントシナリオ2編を読んでいた。面白かった……。

特に「かいぶつのうた」は高い評判を耳にしていたので楽しみにしていたのだがとてもよかった。タイトルが「かいぶつのうた」で、イベントシナリオのあらすじ画面で「このせかいに、かいぶつはいない」とだけ短く載せているのが凄まじい。ここだけで期待の形成と裏をかく意外性が成立している(もちろん、「シャニマスのイベント」という文脈を踏まえた上で成り立つものではあると思うが)。そしてその両極の間を結ぶ過程に読者の興味が向けられ、それが断片的に紐解かれていく形で語られていく。以前のイベントに、「ストーリー・ストーリー」というタイトルで、「生きることは物語じゃないから」という言葉で締めくくるものがあったのだが、それを少し思い返していた。1つのテーゼをタイトルで提示し、それに対するアンチテーゼで締めくくることで、その先の止揚を想起させるような感覚。止揚の使い方合ってる?

「かいぶつのうた」で語られるテーマは「YOUR/MY Love letter」に近いものを感じる。要はすべてのひとに向けられた讃歌。それは「Catch the shiny tail」から語られてきたような、「みんな特別だしみんな普通」という在り方、光の当て方。私は「シャニマスはいつか世界のすべてを救おうとしている」と思っている。それはアイドルという存在がもたらそうとしているものだったりするのだろうか。

また、「For Your Eyes Only」と「かいぶつのうた」に共通して印象的だったのが、ドラマや人狼風ゲームにおける劇中劇だった。そこに演じられるキャラクターはアイドルたちそのものではないのだが、異なる設定を提示することで通常の舞台設定では難しい語り口が実現できる。シャニマスにおける極北はエイプリルフールイベントや先年までのハロウィンイベントなどであるが、時に死すらをも直接に語りうる形式として劇中劇(あるいは夢)がある。そこから周縁を見出す形で想像される人物の内面が感じられる。もっとやってください。

最近「左ききのエレン」を読んでいたので、「かいぶつのうた」の舞台監督が佐久間威風のイメージで想像されていた。

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