日記:心理解体

シャニマスがまた面白そうな(変な)企画をしていた。

事務所に見守りカメラを設置したという体で、アイドルたちの日常の姿を描いていく企画のようだ。カメラといっても、映像はずっと窓の外を映し出していて、アイドルの声だけが聞こえてくる。そして表示されている画面はプロデューサーの端末という設定らしく、時折アイドルたちから送られてくる連絡の通知が見える。とはいってもほとんどが風や車の音などの環境音が流れていて、変化があるのは全体からするととてもわずかな割合である。それが12時から18時まで、6時間ほど続いた。

事前の説明がほとんどなかったので、見ている人たちも当初は困惑していたようだった。たまに動きがあると配信のチャット欄が湧き上がる。音の方向がしっかりしていて、足音が移動する方向などが感じられる。カメラに近寄って声をかけてくる人もいたりして、ASMR動画という側面もあるようだった。

自分は途中から配信をつけて、ひたすらONE PIECEの頂上戦争編を読んでいた。事務所にいるみたいな感覚になれていいですね(気持ち悪い使い方)。

優しい沈黙を共有している時間が好きだ。相手への信頼があるから。

甜花ちゃんがそういうことを考えていたのかどうかはわからない。


細かい部分にもいろいろと考えてしまう。例えばこの部分(経過時間1:29:05あたり)。

大崎甘奈さんがプロデューサーに送信したメッセージの通知が4件表示されるのだが、先の3件と最後の1件に微妙な間がある。おそらく、一度はメッセージを送ったものの、プロデューサーの忙しさを案じてそれを気遣う言葉を添えたのだろう。それを考える間が存在しているのだ(たぶん)。


ところで、こういう人の気持ちを覗き込むような思考をしてしまうのは気持ち悪いかもしれない……。シャニマスが描くのは生々しい感情の動きだったりするわけで、そこに立ち入ろうとすることはあまりよくないことなのではないかと考えてしまう。人の心理を解体しているようで。シャニマスの感想を書こうとするとき、思考に立ち入った言葉を使おうとするといつも迷ってしまう(結局書くけど)。

実際、そういうことをされたらどう思うだろうか? それを考えたときに、自分の経験で似たようなことがあったのを思い出した。大学生のとき、サークルの用事で遠方に行く際に、LINEでグループを立てて予定の調整などをしていた。そのとき、ちょうどいい高速バスのチケットが残り少ないようなので、各自急いで取るようにという流れになった。自分はタイミングよく確保できたのだが、しかしそのぶん他の人が取れなくなった可能性もあるわけで、報告をどのようにすべきか逡巡していた。そのとき、後輩が自分に「先に取ってしまったことに対して罪悪感を覚えなくていいですよ」とメッセージを送ってきた。自分の心理を完全に見抜かれていたのである。

そのとき自分がどう思ったかというと、逡巡を見抜かれていたことに対する気恥ずかしさが半分と、それでも自分の心理を拾い上げてくれたことの嬉しさが半分だった(情けない先輩ですまねえ)。自分の配慮を見抜かれることは、別に悪い気はしなかったのである。

もちろん、それは関係性にもよるだろうし、まるで知らない相手の一挙手一投足に対してその意図を汲み取ろうとする行為の正当性を保証するわけではない。褒めようとする気持ちがあったからといってなにもかも許されるわけではないのだ。

「解釈」とは人の心に立ち入る行為にほかならない。場合によっては相手を傷つけるかもしれない。でもそれは如何様な発信にも言えることで、誰にも影響しない無味乾燥な言葉などありはしないのだ。線引きは場合によって判断するしかない。行き過ぎと感じたら控えるべきだし、そういうことをいつでも考えていかなければならない。それを怠ることによって引き起こされる結果は甘んじて受け入れよう。


ちなみに、自分がシャニマスにおけるチャットの心理描写で好きなのは、【おはようと日向に手を振る】の「今日はおやすみ、気にしいの私」における三峰結華さんの「グループチャットに投稿された自分を応援するメッセージに対して、改めて感謝の気持ちを伝えるが、気恥ずかしくなってそれに対する返信が来る前に寝る」ところ。いろんなことに対して気を遣ってしまうが故に思い悩む三峰が、それでも一歩踏み出して気持ちを伝えるという変化を描いているシーン。優しさゆえの葛藤と、それを捨てる勇気。

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