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日記:月の話

『月姫 -A piece of blue glass moon-』の話を下の方でしているのでネタバレタグをつけます!


そういえば昨日クラゲの話をしたけれど、クラゲも漢字で海月と書けるので月が含まれている。ひとつの作品に嵌まると、そのモチーフを日常で見かけるたびに過剰に反応してしまうようになる。

シャニマスの三峰結華さんというアイドルに惹き込まれたときは、彼女の出会いに関わる「雨」の存在を日常で強く意識してしまうようになり、雨が降るたびに彼女に想いを馳せるようになっていた。今でもそれなりにそう。物語が日常を侵食していく。それは日常に色彩が増えていくという点では一概に悪いことではないとは思うけれど、しかし生活に意味が増えすぎてしまうというのも考え物ではあるかなという気もする。



月姫の話をしようかな…………。

ずっとプレイしていたらこんな時間になってしまった。ノベルゲームに没頭して夜を更かすのも久々の体験という気がする。と思ったけど最近FGO2部6章でもやっていた。



月姫の話をするよ!!






最後までクリアした!!

厳密に言うと全選択肢とか全バッドエンドの回収はまだ残っているものの、大きなエンドとしては全部見ることができた。


以前アルクルートの話は書いたので、シエルルートの話を。

アルクルートは以前からの正統進化というか綺麗なアップデート、という感があったけれど、シエルルートはそれはもう新キャラいっぱい出るわシエル先輩の装備もすごいわ街もとんでもないことになってるわで、アルクルート以上に驚きがたくさんあった。自分の同人版をプレイした記憶がかなり薄れているというのもあるけれど……。

アルクルートは志貴とアルクェイドとの関係性に焦点が当てられていて、シエルが殆ど登場しないのだけれど、シエルルートは(恐らく)アルクルートを前提に、「アルクェイドを選ばない」というノベルゲームにおける選択肢の重さを強調しているかのような物語の印象があり、それがシエル先輩と歩いていくという意味の重厚さを意味づけていて心に深くのしかかってくる。

アルクェイドは志貴に対して恋愛感情にも似た好意を向けるのだが、それは一対一の関係でしか成り立たず、そこに他者が介入する余地はない。だからこそ、シエル先輩を選ぶことによりそこに歪みが生じる。

問題なのは、選ばれなかったヒロインであるアルクェイドが、強大な力を持つ真祖であったこと。そして、自身の好意が届かなかった際の感情の処理を理性的に行えるほど、アルクェイドは無垢さを失ってはいなかったし、そもそもそのような感情を他者に向けた経験もなかったということだ。そしてシエルは吸血鬼を狩る代行者であり、歪みは2人の殺し合いに繋がっていく。

物語のはじまりにアルクェイドが大きく関わっている以上、そして志貴が彼女を手にかけたその夜に、シエル先輩が手を差し伸べてくれたことがターニングポイントとなっている以上、シエルルートには「アルクェイドを選ばない」という選択の結果がどうしても重くのしかかってくる。それでも「シエル先輩を選んだ」という選択をプレイヤーにも意識させる作りになっている気がする。そこに決意と覚悟が籠められている。


また、シエルルートは、シエル先輩との仲睦まじい日常の描写があり、そこから「あの優しかった態度は代行者としての任務を果たす上での演技であった」と先輩から明かされるとともに自分を殺す存在として志貴の前にシエル先輩が立ちはだかり、そこから2人がお互いの感情をぶつけ合い結束していくという流れの起伏が非常に綺麗に展開していて、とても好き。

というか、幸福な光景が嘘だったと暴かれる瞬間が好きで、そこから「それでも」と幸福に手を伸ばす展開がさらに好き。「easy come, easy go」というか、簡単に手に入ってしまった幸福は簡単に消えてしまうのではないかという恐れのような疑懼が頭から離れなくて、それを覆すような意思の強さを示されたいという欲求がある。

物語は結末に説得力を持たせる必要があり、それが幸福な終わりなのだとしたらそれを裏付けるだけの「理由」が見る者に納得されるかというのが重要になってくる。そのために物語としては緩急をつけるために例えば主人公とヒロインの間をいったん引き裂いたりするのだけれど、シエルルートはそういう「志貴から見た先輩との距離」という点でも高低差のある展開がとても刺さってきた。

単に自分が「先輩が近づいてきたのは他の理由の為で、別に好意があるわけではなかったんだよ」という関係性の崩し方に惹かれる感傷マゾ的な志向があるというだけでもあると思うけれど。でも、そういう「実は誤解だった」系の関係性の終わりって、現実でもままあることで、だからこそ心に刺さりやすいという側面はあるのかもしれない。


シエルルートにはノーマルエンドとトゥルーエンドがある。トゥルーエンドの幸福な結末があってこそなのはわかっているけれど、ノーマルエンドの喪失感が心の奥に重く沈んでくる感覚がそれでも好き……というのは否めない。Fate/stay nightのHFノーマルエンドが好きという感覚にもそれは似ている。やっぱり、現実はいつも幸福な結末を迎えられるという訳ではなくて、だからこそ上述の理由と同様に心に刺さるのかもしれない。

いやでもやっぱりトゥルーがいいんだけどね!!ノーマルのカタルシスをちゃんと受け止められるのはトゥルーあってこそだから!!


トゥルーの最終決戦、バトルの規模がとんでもないことになっていて非常に楽しかった。志貴の身体能力が変容を遂げているのもあるけれど、まさかあの規模の戦闘を月姫で見られようとは……。ロアが志貴の誘いに乗りアルクェイドに対して一撃を食らわせる場面も非常に熱い。


あとは……電車や路地裏で出会う謎の少女がとても好きなのだけれど殆ど出番がなかったので次のルートが……見たい……!!総じて月姫の体験がとても楽しかっただけに喪失感も大きいが、まだ次のルートがあるであろうということは同時に大きな希望でもある。死ねない理由が増えてしまったな……。

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