日記:療養6

咳が少し残る以外には割と復調している。とりあえず明日から業務に復帰する予定。家から一歩も出ていないので歩く体力があるかどうかが不安。


休みの間に読んだもの。シャニマスとブルアカのシナリオいくつか。以上。退廃的な休日だ……。新しい小説を開こうにも頭にかかる負荷が重かったりするので……。

以下、その中で三峰結華の「S.T.E.P.」編に関する感想まとめ。

アイドルたちの過去を描くシナリオである「S.T.E.P.」は、現在月1人のペースで実装されており、先日実装されたのが三峰結華のS.T.E.P.シナリオであった。最近あまりシャニマスに触れられておらず、他のアイドルのS.T.E.P.を読了すること叶わぬ私も、今回ばかりかは襟を正して臨まなければと思った。三峰結華は私がシャニマスをはじめるきっかけとなったアイドルだからだ。

なぜ彼女に惹かれるようになったのかといえば、その心理の動きに対して自分もよく共感を覚えるところがあったためである。予防線を張ってそのうえであえて道化を演じて見せることで、本当の心の底は覆い隠す。いや、それ以上は踏み込むなと暗に示している。こういうのは、ちゃんと察して引いてくれる相手だからこそ通用する手札でもあるのだけれど。察してくれない相手は道化の仮面で騙し通す。そういう生存戦略。

自分はそんなにうまく立ち回っているわけではないけれど、でも心のどこかでそんなことを意識していて、そんな仮面を巧みに使いこなす三峰結華という存在にいつしか惹かれていったのだった。だから、そんな彼女の過去をS.T.E.P.編で覗いたとき、感じたのは「自分もそういうところあるかもなあ」という共感と、「自分はそんなふうにうまくできないなあ」という羨望だった。

共感。自分みたいなどうしようもない成人男性がなにをアイドルに共感することがあるんだと思われるかもしれない。自分もそう思う。思い上がりもいい加減にせい。しかしまあ、共感の範囲を限定的にすればどうだろう。

三峰結華 S.T.E.P.編「道端の石と変わらない」より

例えばこの「バイト先を固定したくない」という感情。学生の折、自分もバイトを入れようとして、しかし新しい人間関係を築くのは負荷が大きかったので、単発のバイトを選んだ記憶がある。結局単発のバイトは1回しか行かず、知人の伝手のバイトを続けていたけれど。しかし、人間関係を増やすことに対して躊躇う気持ちはなんとなくわかる気がする。それを戦略的に自らへと課すことも。『ぼっち・ざ・ろっく!』を見るときも、ぼっちちゃんのコミュニケーションを厭う気持ちには痛く共感した。でも違うのは、自分は特に取り柄もない人間で、彼女たちはアイドルだったりギタリストだったりするのだ。だからまあ羨望。それは彼女たちの積み上げてきたものなので、不公平だともなんとも思わないけれど。

三峰結華さんは人との距離を大切に慮る人だけれど、それは自分の精神的パーソナルスペースを確保するための副次的な効果であって、「自分を大切にしてほしい」から「相手を大切にする」という利己的な利他主義なのかもしれない。いやどんな人だってそうなのだろうけれど。三峰はそのことに対して人一倍意識的で、そして人一倍自罰的なのかもしれない。別に悪くなんてないのにね。

一方で利己的であることは良いことでもあって、例えば自分の欲求に素直になれることは、チャンスに対する握力を増強する。「アイドルになりませんか」という、もともとアイドルを好んでいた彼女にとっては最大級のチャンスを前に、他者との境界を気にする精神性を持ち合わせながら、それでも手を伸ばしたのは、「主人公」でありたいという彼女自身の利己的な渇望があったからこそだ。

三峰結華 S.T.E.P.編「憧憬・脳内会議」より

三峰結華は、利己的に相手のことを考え、同時に自らの欲求も満たそうとすることができる人間だと思う。だからこのままたくさんのものを掴み取って欲しい。願ったものは叶えられるほうが、希望のある世界なのだろうから、きっとそういう世界を見せて欲しいのだと、どこか縋るように願っている。

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