見出し画像

青春18きっぷを使ってみたかったので使ってみたときの話

去年の話になる。ちょうど、8月の終わりくらいだった。

家族旅行で別府に行こうという話になった。
夏季休暇の使い途を考えあぐねていたのでちょうどよかった。どうせなら、合わせて長めに休みを取ることで、ついでに一人旅でもしようかと思い立った。ちなみに一人旅なんてしたことはない。

合計で5日間の旅程となった。3日目の夜までに、別府に辿り着いて家族と合流。それから別府を2日間回って東京に帰ってくる。大雑把なプランとしてはそれだけ。

合流までの3日間をどう過ごそうか考えて、青春18きっぷで別府までいくことにした。理由は、青春18きっぷを使ってみたかったからである。「青春」の名を冠するその商品に、漠然とした憧れがあった。しかし自分は基本的に出不精であったので、学生時代は終ぞそのアイテムを手にすることがなかった。それで余計に憧憬が膨らんでいったのかもしれない。

今まで自分から旅行をしようということがなかったので、鈍行列車で別府に3日で辿り着くという旅程がどの程度なのかは全く理解していなかった。終わってみてから振り返ると、あまり余裕のないスケジュールだったかなとも思う。けれど、目的が「青春18きっぷを使ってみたい!」というところにあったので、旅行の内容については二の次でも構わなかった。

予め断っておくと、この旅行において面白い出来事があったかというと、別にない。地元の人に話しかけるような積極性も持ち合わせてはいないので、心温まる交流のエピソードとか全然ない。ただ、置き忘れていた気がする「青春」を取り戻そうとして、特になにがあったという訳でもなく日常に帰ってきた人間の日記に過ぎない。

なんというか、後悔を残しておきたくなかった。「やらないで後悔するのと、やって後悔するのとどっちがいい?」というのは、聞かされすぎて最近では寧ろ耳にしなくなったような気もする命題だけれど、それに則れば、「後悔するのはわかっているのだけれど、それでもやって後悔する」方を選択したのだと思う。

青春なんて幻想は最初から存在せず。
取り戻すことなんてできやしないのに。

自分の中で、どうせ掴めやしないのに憧れだけが残っているのが気持ち悪かった。だからこれは、分かりきった後悔を辿る旅路だった。後ろ向きな感傷と向き合うための儀式だった。



前置きが長くなった。
とりあえず、1日目の夜に名古屋で知人と会う約束だけをして、あとは特に何も決めずに電車に乗った。

最寄りの東海道線の駅までたどり着き、18きっぷにスタンプを押してもらう。少しずつ知らない場所になっていく車窓を眺めながら、自分が何をしていたかというと、特別何をするでもなく普通にスマホでゲームをしていた。そんなにすぐには旅行気分には切り替えられなかった。

神奈川県から静岡県に入り、何度か乗り換えをしていく。
まだ年齢が一桁の頃、静岡に住んでいた。
電車がその土地が近づいてくるに従って、あの場所は今どうなっているのだろうかという興味が大きくなってきた。という訳で電車を降りる。

画像1

あんまりうまく撮れてないですが、
こういう海に続く道っていいですよね

かつて暮らした場所とはいえ、連絡を取り続けている相手がいるわけではない。なので、することといえば、昔見た風景を辿って懐かしさを呼び起こすことくらいだった。それらの景色は、懐かしく郷愁を抱かせるには十分なものではあったが、どちらかと言えばその場所がもはや自分の居場所ではないという疎外感の方が大きかった。

画像3

海だーーー!!!
港町で育ったからか、海に郷愁を覚えることが多い

画像2

夏の空はいつもより自由な気がする

この場所に住んでいた頃の自分は、今ほどに人生の意義だとかそういうものについて考えを巡らせたりすることもなく、無邪気な幸福を甘受していたように思う。

地元の友達、という存在が自分にいるとしたら、この場所になるのだろうか。でも残念なことに、少年時代を過ごしたこの町に、もはや自分と関わりのある人間はいない。
いたとしても思い出せないだろう。
漠然と楽しかったという感情の記憶は残っているものの、それ以上の誰と過ごしたのかといった細部まではよく覚えていない。
仲の良かった幼馴染とかも、別にいない。

例えば、冴えない社会人の主人公が、少年時代にタイムリープして、そこから人生をやり直すみたいな物語があるとする。もし自分がそうなったとして、この町に戻ってきたとしても、何かが変わるのだろうか。
答えは見つからない。

きっと、今以上の正解は多分いくらでもあって、だからどうすればいいのかなんてわかりようもない。沢山の正解のルートのどれを通ることもなかった結果、沢山の不幸せの中のひとつに現在の自分はいた。酷くありふれた不幸で、だからこそ、救いようもない現実だった。

結局、幼馴染と再会することも当然あるわけなく(幼馴染なんていない)、その土地を後にした。


画像4

移動中、豊橋駅


名古屋で久々に会う先輩と食事をした。先輩後輩という関係性が変わるわけでもないが、ただ自分たちの立場だけが学生から社会人に変わっていた。きっと昔と変わらないような話に笑いながら、それが学生時代の残響のようなもので、このまま社会人という立場を続けていけばいつか失われてしまう、薄氷のような関係ではないかということがなんとなく恐ろしかった。

いつまでも、旧知の仲で笑い合える時間が続けばいいのに。そうは思っていても、そして例え自分たちの心が変わらなくとも、年齢や、周囲の目や、時代の流れや、とにかくそういったあれこれが変わっていく中で、かつての姿を維持することは到底できない。

永遠の愛というものがきっと僕たちには容易に手にすることができないように、永遠の友情だとか、そういうものもまた手にするのは難しく思えた。

永遠とか、そういった壊れ難い存在は、きっと何かを犠牲にしなければ手に入れることができないのではないか。それに値するだけの努力だとか運命だとか、そういった対価と引き換えにあるような、尊ぶべき概念なのではないか。

だからこそ、世界はそれを隠したのだ。
そう簡単に、手に入れられないように。
——「とらドラ!」より

そして恐らく、自分がそんな概念を手にすることはできないのだと思う。いま自分の持っている色々なもの(人間関係とか趣味とか)に対して、おしなべてそれなりに愛着を抱いている人間には、手にできない概念であるのだろうと感じた。

今だって、そんなに悪くはないと思えるのだ。
けれど、このままで良いのだろうかという漠然とした不安が消えることはない。

いま自分が抱えている幸福の、そのどれもを手放す決心ができないし、手放した先にある永遠を見出せる何かを持っているわけでもないから。いまのぬるい幸福の中に漂っている。いつか崩れてしまう砂上の楼閣に座していることを何となく感じながら。

あらゆる世界に対する、絶対的な存在。それを永遠と呼ぶとして、そんなものはきっと、誰もみたことがないのかもしれない。



名古屋で一泊して明くる2日目。とりあえず、直島に向かうことを目標に電車に乗った。京都、大阪、神戸と通過していったが特に何処に寄り道をするわけでもなかった。18切符での移動に、単純に時間がなかったということもある(あと起きたのが9:00ごろで遅かった)。

なぜ直島に行こうと思ったのかというと、『Summer Pockets』というKeyのゲームの舞台のひとつである、と聞いていたためだ。PC版が発売された折に購入して、とても気に入っていた作品だった。

この旅の目的は「青春18切符を使うこと」と先に述べたが、それは要するに「青春を感じる場所を回ること」でもある。そして、青春を自分の記憶に見つけられない人間は、フィクションによってそれを擬製する。

つまり、自分にとって「理想の青春」「理想の夏」が描かれた作品の舞台を訪うことは、青春を取り戻そうという試みに他ならないという訳だ。なんか言ってて悲しくなってきた。

『AIR』の聖地にもいつか行きたいですね。

画像6

フェリーに乗って直島へ

画像6

近づいてくるとテンションが上がる

直島についた。どうやら島を巡るには、レンタサイクルが良いらしい。だがその時点で時間は16:00で、新規の貸し出しはもう終了しているとのことだった。歩くのはそんなに嫌いではなかったので、徒歩で島を回ることにした。しかしそれが間違いだった。

直島は結構広い。少なくとも、徒歩で回るには。

画像7

回り始めなのに既に日が傾いている

画像8

『Summer Pockets』にも登場する溜池

上記の溜池は島の真ん中くらいなのだが、ここにたどり着いた時点で18:00頃だった。最終フェリーの時間は19:45。ここから島の反対側まで行って、それから帰ってくるとなると、時間は結構厳しい。

画像9

草に沈んだ電柱と小屋が見える

画像10

夏が沈む

画像11

夕焼けがとても綺麗だった

画像12

夜が近づいてくる

結構山道も多い。「警笛鳴らせ」の標識があるくらいの山道である。しかしフェリーの時間があるのでひたすら走る。坂がしんどい。

画像13

直島は美術関連の展示が多い。
美術館も回りたかったが閉館時間を過ぎていた

なんとかフェリー乗り場に戻ってきた時にはもうすっかり夜だった。
この日は回るのに必死で日記もあまり残っていなかった。

とても良かったです。直島。今度はゆっくり回ります。

最終フェリーで高松に渡り、前日の夜に予約したカプセルホテルへ。折角なのでうどんを食べたいなと思っていたのだけれど、風呂に入り洗濯機を利用していたら遅くなり、どの店も閉まっていた。牛丼を食べた。



3日目。今日の夜に家族と別府で合流する。愛媛の八幡浜まで電車を乗り継ぎ、あとは別府までフェリーである。この日は殆ど移動していた。

「電車で3日間かけて別府まで行こう」と思いたつような人間なので、ただ電車に乗っている時間は嫌いではない。車窓を眺めながら、感傷に浸っていた。

画像14

移動中。1両編成の車両がとてもかわいい

青春18きっぷは途中下車に制限がないが、鈍行に限られる以上移動時間はどうしても大きくなる。最終的な目的地が遠くにあるのなら、自然と寄り道の数は限られてくる。長距離移動の低廉な手段と見るか、制限なしの途中下車パスと見るか。その両立は不可能であることを今更ながらに理解した。

3日で東京から九州まで鈍行で移動する場合、殆どが移動時間に費やされるであろうことはなんとなく分かっていた。それを知りながら、旅行の詳細な予定を立てようとはしなかった。青春18きっぷで、長距離の電車の旅。学生時代にそれを経験しなかったから、18きっぷというアイテムの価値は自分の中で勝手に膨らんでいった。それを使えば、どこかに忘れてきた青春を手に入れることができるのではないかとすら思うこともあった。そして青春というのは、ある種の無鉄砲な衝動が齎す存在であるような気がしていた。なればこそ、青春18きっぷでの旅に計画は要らないのだと。そう考えていた。

別に、本当に青春じみた何かをこの旅に期待しているわけではなかった。なんでもない旅であることは想定していた。ひたすらに移動するだけの辛い旅であることを望んですらいた。

要するに、自分は心の裡で際限なく膨れ続ける青春への憧憬を否定したかった。青春18きっぷで旅に出たけれど、やっぱりそこには青春なんてのはなかったよ、と自分に言い聞かせたかった。自分の中ではじまることも終わることもなかった青春に蹴りをつけるための通過儀礼。そんな茶番だった。

画像15

フェリーまでの時間があったので八幡浜を回っていた。
階段が多い印象で、自分は階段が好きなのでとてもよかった

わざと失敗したかったんだと思う。それでいて、ほら、やっぱりダメだったでしょ、と笑いながら嘯く道化でいることで、普段少しでも成功を得られない自分の心を守りたかった。
成功に向けて挑戦し続けて、結果が出なくて心を削るよりも。
失敗すると分かっていることを敢えて進んで取り組んで、敢えてバカなことをやって、失敗して、「はじめからそうなることはわかっていたよ」なんて変に落ち着いて見せることで心を守りたかった。

はじめから失敗すると分かっていることをするのは楽だった。期待して裏切られることはないから。でもそれは成功を得るために努力をする気のない愚昧な人間の戯言だった。青春や成功は期待して訪れるような受動的態度で臨むものではなく、努力と挑戦の末に得られるべきものだ。

自分は努力をするのがあまり好きではない方の人間だと思う。期待が時に裏切られるように、努力も報われるものとは限らないから。どうせ失敗するのなら、じゃあ努力をせず期待をするだけで、与えられた幸運を享受する生き方の方が良いのではないか。そういう風に生きてきたと思う。
でも最近は何かを与えられることを期待するような歳でもとっくにないので(遅すぎるとは思うけれど)、期待もあまりしなくなった。努力も期待もしないのなら、小さなことでも嬉しかった。世界は地獄だと解するのなら、些細な幸福でも暖かかった。

待っているだけでは、与えられるものしか手に入れることはできない。享受するものが自分の望むものではない場合、自分の手で掴みに行くしかない。そのための努力を今まで放棄してきたのだ。努力にした末に、それが徒労に終わるのが嫌だったから。努力に裏切られるのが、それに割いた時間が無駄になってしまうのが怖かったから。そうして黙して過ごしてきた時間が無駄でなかったというのなら、なんだというのだろう。何かを失うのが怖くて、何も手に入れられなかったのだろうか。

時々、電車で遠くに向かうとき、車窓から見える景色やそこにある人々の生活に想いを馳せるのが好きだった。思えば、電車はただ乗っているだけで自分を遠くに運んでくれる。レールが敷かれた上を、ただ進んでいく。自分はそれに乗っているだけだった。そうやって過ぎていく景色から与えられる情報をなんとなく好ましく思っていた。酷く受動的な感傷だ。自分のものでもない場所に、勝手に感傷を感じているのだから。

画像18

フェリーに乗るので、青春18きっぷの旅はここで終わり

電車を降りて、好きなところに行くことをしなければならないと思った。結局のところ、3日間で九州に至る鈍行の旅というのがそもそも無理があった。それは分かっていることだったけれど、なぜ自分がそれをしようと思ったのかを、旅の中で何となく回答らしきものに至ることができた気がする。区切りをつけたかったのだ。
存在しない青春への憧憬と、ただ身を任せるだけで遠くへ運んでくれる電車という存在への依存のような怠惰。そして、それはもう今回で終わりにしようと思った。

画像16

フェリーの甲板に出ると、『天気の子』を思い出す

ひとまず、次に旅をするときは、どこへ行って何をするのかを定めてみようと思った。当たり前といえば当たり前かもしれないけれど。

自分は計画を立てることに意識的に逃げてきていた気がする。今回の旅の無計画さも、それに起因するところなのだろう。計画を定めて仕舞えば、それに束縛されてしまう気がして嫌だった。確定してしまうものが、逃げられなくなってしまうものが嫌だった。きっと、自分の計画がうまくいかなかった時の精神的な損傷を避けようとしていたのだと思う。

うまくいかなかったのなら、また次の旅で活かせば良い。それこそ、長い人生の間、旅は一つで終わるものではなく、何度だってやり直せるのだから。それが、青春というタイムリミットを失った大人の利点なのかもしれない。

だから、もっといろいろなところに旅に出てみたいなと思う。長い旅程の旅でなくても良い。目的地を一つ定めるのなら、「どこかにたどり着く」という思いに、別段長い時間は必要はないのだ。一日中散策できる体力があるわけでもないのだし、回りきれなかったらもういちど行けばよい。
存在もしない青春を取り戻すことはできないけれど、きっと何度だって旅に出よう、そう思った。

画像17

別府もとても楽しかったです


そんなことを考えていたのが大体1年前。特にあれから旅には出ていないです。そのうち行きたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?