眼鏡


このところどうにも家の中での視界が悪い、そう思わずにはいられなかった。

なに、別に我が家が霞がかっているわけでもなければ、眼球に疾患があるわけでもない。
ただ眼鏡のレンズが汚れているのである。


なんだ、レンズの汚れならば拭き取ればしまいではないか。
まったくバンドマンという輩は、そんな事までなおざりにしてしまうのか、まったくけしからん。
そう思った方は早計である。

私とてバンドマンである前に、きちんと教育を受けた人間である。
中学生の自分には学級委員長を務めあげた経歴も持ち合わせている。
即ちレンズが汚れる度に、拭き取るだけの素養は持ち合わせているのである。
素養があるので、事細かにレンズを拭きとっている。
にもかかわらず、レンズが絶えず汚れているのである。


思い返せばその眼鏡はまだ私が大学生の自分に買ったもので、もう十余年は使っている。
ジェームズ・ディーンがつけていたものに形が似ているという理由で購入したのだが、家に帰って鏡で見てみるとちっともジェームズ・ディーンではない。
見るも無惨な、ただ眼鏡をかけただけの私なのであった。
まったくとんだバッタモンをつかまされたものだと、当時の私は憤慨した。
私は近代国家で教育を受けた人間であったからよかったものの、戦国武将であれば憤死をしていた可能性が高い。
それ程に憤慨したのである。


以来その眼鏡は家でかけるばかりとなり、共に入浴をしたり、ハンドソープでごしごしと洗ったりと、眼鏡にとっては幾分タフな時間を過ごすこととなった。
それは決して高価なものではなかったが、フレームは未だガタひとずなく、かけ心地もすっかり顔に馴染んでいる。
しかしながら、レンズの方はすっかり草臥れてしまい、コーティングも最早無いのも同然で、よって少しの事で直ぐに汚れが付着してしまう始末。
これもここいらが潮時か。
そう思った私は、早速眼鏡屋へ向かう事にした。


携帯電話の地図を開いて「眼鏡屋」と入力すると、街には思いの外眼鏡屋で溢れかえっていた。
なかなかに迷うところではあったが、どうせ家でかけるだけのものなので、格安眼鏡量販店ですませることにした。


格安眼鏡量販店の敷居を跨ぎ、早速眼鏡を物色し始めたが店員は誰も声をかけてこなかった。
以前、別の眼鏡屋で他所行きの眼鏡を新調しに行った際には、熱心な店員の猛烈な熱量に屈服してしまったところであったので、放っておかれてかえって安堵した。
私はどうにも押しに弱いたちなのである。


一通り店をぐるりしたところで、私は大きな過ちをおかした事に気がついた。
眼鏡を作る際には、通常視力を測定する事が慣例となっているのだが、コンタクトレンズをつけて行くと、その検査の際に着脱しなければならない。
それは少し面倒なのである。
なのでその手間を解消すべく、私は眼鏡をかけて来たのだが、これが大きな間違いであった。
眼鏡を試着し、鏡を覗いてみると、なんと私らしき顔の人間の目の周りに、眼鏡らしきものがついている程度にしか見えないのである。
これでは何の為の試着なのだかわからない。

試しに鏡に顔がつきそうなくらいに近接してみると、辛うじて見える。
だがこの手はどうにも使い難い。
こちらの事情など何も知らない店員が、私を見るなり、自分の顔が好きすぎて、己の魔力で鏡に吸い込まれそうになっている男だと早合点してしまうかもしれないのである。

無論私にはそんなつもりは毛頭無い。
だがそんな私をニュータイプの気狂いであると断定した店員は、視力検査で意地悪をしてやろうなんて気を起こして、度数を少し弱めに作ったりだとか、眼鏡を少し歪ませて調整しないとも言い切れない。


よって私は「男の勘」によって眼鏡を選定する事にした。
そして私は「男の勘」によって選定した眼鏡を店員の元へ持って行った。

少し待たされて、視力検査の段取りになると、私がかけている眼鏡から度数を押し測る事ができるが、如何いたしましょう、という旨を述べた。
私は検査の手間が省けるのなら、それで宜しく頼みたい、という旨を伝えた。

そして店員は「男の勘」によって選定された眼鏡を私につけさせ、顔に合わせて少し調整した。
何だかしっくり来ないような思いがしたが、どうせ家でかけるばかりなので、そこまで気に留めなかった。
小一時間程で出来上がるから、表をぐるりと回って来なさい、という旨を伝えられたので、私は表をぐるりしに行った。



店に戻ってくると、眼鏡はすっかりできており、勘定を済ませて家に帰った。
そして家に着くなり早速眼鏡をつけてみた。
すると、矢張り顔にしっくりこない思いがした。
如何にも耳の辺りの引っ掛かりが心許ない。
私は眼鏡のツルの部分を指でたぐってみた。
すると、なんということだろうか。
私が日頃かけている眼鏡のそれに比べて、圧倒的に短いのである。

もしや、と思い、私はその眼鏡の品番からインターネットサイトで、その眼鏡の詳細を調べた。
するとそこには驚愕の刻印が見られたのである。
そう、そこには「Women」という文字が書かれていたのである。
そりゃあ、男の私が女性用の眼鏡をかければ、しっくりくるはずもない。


「ジェンダーレス」という言葉が広く叫ばれるようになった昨今、男も化粧をするようになり、女性も猿股を履いたって結構な時代となったわけで、つまるところ、男だからどうの女だからどうのという事はナンセンスで、みんな同じ人間で垣根無しで、イッツオーライ、といった具合なのだが、そんな皆がハッピーで幸福な時代の、後ろ暗い皺寄せのにあたる部分が私の身に降り注いだのである。

確かに私は男であるのに、髪が長い。
ジェンダーレスの権化といっても過言ではない。
だから店員も何か思うところがあったかもしれない。
だがしかし、男が「Women」の商品を購入する際には一言、「こちらご婦人用ですが、宜しおま」と言ってくれてもよかったのではないだろうか。
ジェンダーがレスしてゆくと、今後もこのような事態が起こりうるのかと思うと、難しい話だと思わずにはいられない。

そしてひとつわかった事は、「男の勘」は信用ならない。
直感といえば「女の勘」と、相場で決まっているのである。

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