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ある日の朝

薄目を開けると、カーテンの隙間から朝陽が差し込んでいた。
それはいつもより柔らかな光であった。
部屋はいつもよりしんと静まり返っており、「清潔感」を具象化したような、真っ白なふかふかとした布に私は包まれていた。
きっとここはシャボン玉の中なのだと思った。


そうだ、ここはまだ夢の中なのだ。


もう一度目を瞑ったら、いつものような朝に戻るのかしらん。
そう思って目を閉じ、再び暗闇に潜ろうとした。
しかし次の瞬間、突然に目の前がぐらぐらと揺れ始めたのである。

部屋全体が、オフロードを走る車のルームミラーに吊るされたぬいぐるみのように、前後左右に乱雑に振り回された。
きっとあのぬいぐるみ達も、こんな風に迷惑な気持ちに違いないと思った。

その揺れは、夢にしてはえらく輪郭のある揺れ方で、もう二度と止まることはないのではないかと思うくらいに揺れ続けた。
そのうちに、砂埃がひいてゆくように、次第に意識がはっきりとし始めた。


ああ、これは地震だ。


ここはシャボン玉の中でもなければ、オフロードを走る車の中でもなかったのだ。
朧げに意識を取り戻しはじめた私は、尚も地震に揺られていた。
部屋中の引き出しが、吐瀉物でも吐くような勢いで開き、クローゼットの扉は酔いどれのようにふがふがとレールの上を滑っていた。
程なくして、揺れはおさまった。

なんだかよくわからないままに、バスルームで顔を洗い流して、それから用を足した。
便器には「TOTO」でもなく「INAX」でもない、「HCG」というロゴが刻まれていた。
その時ようやく、自分が台湾で地震にあったのだということを悟った。


カーテンを開けて外を覗いてみると、ずっと遠くの方まで見渡せるような青空が広がっていたが、真下の方が見えない構造になっており、外の様子は判然としなかった。
そうしているうちに、また部屋がぐらぐらと揺れたので、いよいよこれは大きな地震に違いないと思った。

そうだ、と思い携帯電話を開いてみたが、どういうわけだか、インターネットに繋がらなかった。
よく見れば、台湾で借りたWi-Fiの機械の具合がよくなかったようであった。
なんの役にも立たない、石ころと同じだと思った。

テレビをつけてみると、どの番組も知らない言葉があれこれと飛び交っていたが、どれも地震について言及しているようではなかった。
大きな地震というのは自分の思い過ごしなのかしら、そう思いながらリモコンのチャンネルボタンをぽちぽちと押していると、国営放送らしき番組に辿り着いた。

その番組には、私にもわかる文字で「地震速報」というテロップが大きく書いてあり、その文字は仰々しくぷるぷると小刻みに震えていた。
何を言っているのかは一寸も理解はできなかったが、キャスターの面持ちからも、矢張り深刻な地震であろうことが察せられた。

そうしているうちに、インターネットにも繋がるようになって、ことの次第がわかってきた。
どうやら花蓮という地域で、特に大きな被害があったということであった。
テレビの方でも、大きなビルが崩れている映像が流れ始めた。
台北ではあったが、その日に演奏する予定であった施設の方にも地震の被害があって、予定していた公演ができなくなってしまった。
あまりにも不条理だ、そう思っても既にどうしようもないことであった。

日本から足を運んでくれている人もいると聞いていたし、折角現地で楽しみにしてくれていた人にも申し訳の立たない気持ちがあったが、結局私は、台湾で何もできぬままに日本に帰ってきた。


今回のことはどのように言い表してよいものか難しく、言葉が足りなくても、膨らませ過ぎても真意をトレースすることは困難なことである。
しかしながら、この無念はきっとまた台湾の地で晴らしたいと思う次第であり、その時は皆でにこにこちゃんちゃんで終えられればと願うばかりである。

請好好保重、再見。

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