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早起きは三文の徳

近頃の私といえば、つい眠気を追い越してしまい、必要以上に早く目が覚めてしまう。
その日も私は十一時に宿をチェックアウトする予定だったのだが、うっかり八時に目が覚めた。
嫌な夢の残り香が、脳裏にこびりついていた。


私は見知らぬ車に乗っていた。
誰なのかはわからなかったが、おそらく親しい人とドライブをしていた。
私は判然としない親しい人と後部座席で隣り合って談話をしていた。
ふと天井を見上げると、小さな穴が空いていた。
黒くて気味の悪い穴だった。
何故だか私はその中に手を入れて中を弄った。

すると私の手は何かを掴んだ。
恐る恐る手を穴から引き上げてみると、私の手の中には鼠がいた。
それはすでに生き絶えていた。
そして腐敗してドロドロに溶けて、ヘドロのようであった。
驚いた私は、それを窓の外に放り投げた。


そこで私の目が覚めた。
いつもなら夢など見ても目覚めた頃にはすっかり忘れてしまっているのだが、その日の夢は脳裏にこびりついていた。
それはどこか象徴的で啓示であるような思いがした。


私は気分転換に外に散歩に出た。
昨日歩いた街は日曜日だとは思えない程に静まり返っていたが、月曜日の朝の駅前は少しばかり活気があるように思われた。
私はスターバックスでホットコーヒーを買って、駅前の広場で腰を下ろした。
片栗粉で溶かしたような朝日が辺りに降り注いでいた。
先程の車内の方が余程現実であるように思われた。


その時、なにかぶつぶつと唱える声がした。
その声は次第に此方に近づいてきた。
そしてその声の主は私の隣に腰掛けた。
それはワンカップを持った老人であった。
そして腰掛けて尚、一人でぶつぶつと何かを呟いていた。

その光景はパウロ・コエーリョの「アルケミスト」のワンシーンを思い出させた。
広場で自分が王様だという老人に話しかけられるシーンである。
私が羊飼いであれば、羊を手放して宝物を探す旅に出る契機となるのである。
これも何かの啓示なのかもしれない。
私は老人の声に耳を傾けた。


「%¥÷〒○☆♪5……。

この街の警察は柔道が弱い。話にならん。


@☆○〒÷×%………。

こっちが柔道着持って挑んでるのに、相手もせん。
腰抜けばっかりじゃ。

ぺっ、ぺっ、ぺっ。

○*☆♪€$3〒………。

どいつもこいつも頭がいいんか悪いんかわからん髪型しやがって。

かーっ、ぺっ、ぺっ。


÷×°%6○*+………」


この様な具合いであった。
彼は啓示などではなかったのである。
彼はただ、私なのだと思った。
それと同時に彼は私でもあった。
何かが腑に落ちた。
私は立ち上がりホテルへと歩いた。


道中で白い野良猫が前を通った。
細っそりとした体に、白く白濁した目をしたそいつは、私に背を向けて炉端の草をはむはむと貪った。
私が近づくと、ギョロリと此方をにらみつけ、そのまま互いに動かなかった。
一分程してこちらが何も害を与えないという事がわかったのか、そいつはまた私に背を向けて草をハムハムした。
この猫もまた私なのであった。

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