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ポケモンの絵

絵が描けるのを昔からよく不思議がられる。抽象画ではなく具象的な方で、どんな特殊な訓練を受けてきたのかと。

東大に行く人も芸大に行く人も、親から強制されてその分野を極めたわけがないだろう。幼い私が欲しがっただけ、親がそういう環境を用意してくれたから、勝手に突き進んでいつのまにかすごくなったというだけの話だ。親が勝手に環境を与えても子が理想通りに育ちはしないし、子にどれだけ才能があっても本すら買い与えて貰えない家に生まれたら芽は生えない。

私はポケモンがめちゃくちゃ好きだった。

生まれた時からピカチュウがそばにいたような気もする。最初にプレイしたゲームは第三世代と呼ばれるルビー・サファイア・エメラルド。視聴したアニメはアドバンスジェネレーションだと思う。どこから見始めたとかどうでもよくなるくらい、全シリーズのVHSをTSUTAYAさんでレンタルして見た。サトシのリザードンの話が印象的だった。ルギア爆誕の画面全体の冷たい空気感に引き込まれて、繰り返し見すぎてテープがぐちゃぐちゃになってしまった。

小学校で与えられた「鉛筆」を比較的コントロールできるようになったくらいから、なぜか私は、ピカチュウをアニメと同じタッチで描けるようにする訓練を始めた。

幼稚園ではクレヨンで抽象画を量産しまくっていたらしいが、なぜいきなりアニメのピカチュウにこだわり始めたかというと、文房具だ。筆箱、下敷き、道具箱、体操着を入れる巾着など、小学生の身の回りのアイテムは好きなキャラクターものと決まっているが、私のそれは全部ピカチュウがプリントされているやつだった。気持ち悪いくらいピカチュウが好きだった。ピカチュウが好きすぎて、既製品にプリントされているピカチュウと同じピカチュウを自分の自由帳にも出現させたかったのだ。

ピカチュウの躍動感はすごい。小学生の私の自己流な練習内容は、自由帳のページ1枚の下にピカチュウの下敷きをしいて、上にうっすら見える線を上から鉛筆でなぞり、線画を抽出することだった。今で言うトレースを、当時の私は何も参照せず行っていた。そしてそれは、ものすごく勉強になった。ただ見ていたときは、ピカチュウってめっちゃ可愛いーくらいにしか思っていなかったが、アニメイラストをトレースしてみると、その滑らかな1本1本の線がとんでもない立体感と躍動感をもっていて、アニメの絵を描いている人はめちゃめちゃすごいんだと気付いた。

多くの、デッサンなどを教わったことがない人々が記憶の中から描き起こすピカチュウやドラえもんは、立方体の展開図のようで、無機質で、まさに「図」でしかない。「絵」たるためには、線に命が宿っていて表情があることが不可欠なのだと、ピカチュウの下敷きをトレースして思った。

それから私はピカチュウ以外のポケモンもトレースした。下敷きは表と裏で絵柄が違って、その2パターンに飽きたら今度はポケモンが表紙のノートとか、別のものをひたすらトレースした。

トレースするものがなくなったら、今度は自分で創り出すしかない。アニメで動いてるみたいなピカチュウを。私は、記憶の中から取り出した様々なポケモンを描いた。後ろを向いて落ち込むピカチュウ、サトシの肩から降りてるピカチュウ、かみなりを起こすピカチュウ、二足歩行と四足歩行のニャース、泳ぐラプラス、かっこいいジュプトル、チコリータのはっぱカッター、なんか願ってるジラーチなど……違う被写体に挑戦するたびに新たな気付きがあって、まったく飽きなかった。

高学年のころは少女漫画にハマってその絵柄もコピーしたし、小学校6年生でペンタブレットを買い与えられてからは、デジタルイラストに進出した。デジタルなら紙も消しゴムも消費しないから、1日で信じられない量のイラストを描くことが出来た。

やがて不登校になってひきこもって睡眠障害になって生きるのが辛くても、絵を描くことだけは熱中できて、生きている実感をくれた。それから描くことをやめられなくなって、授業を無視して描く癖は大学をやめるまで続いた。

学校でデッサンのお勉強さえすれば誰でもある程度できるようになるが、表現欲求とか、絵を描く気持ちよさ、中毒性は生まれ持ったものだと思う。かなり貴重な才能かもしれない。美術大学の同じ美術学部でも、デザイン系の学科では絵を描くのが好きという人は少ないのだ。裏を返せば、生計を立てるのに絵の才能は要らない。もし淡々と働いてお金を稼いでそこそこの生活ができるようになるなら、絵の才能なんて今すぐ神様に捧げたい。

私、23年も絵のことだけで人に褒められて、でも絵のことで食っていく能力は無くて、ただ惨めだとしか思えない。なんだったんだろうなぁ。

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