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服と私

2018年12月28日のメモより。

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フリルがついたコートを売り、フリルがついたワンピースを買った。

好きなブランドの新作への興味が薄れて、昔の商品を集めるようになった。すっかりフリマアプリに慣れて、捨てるかどうか迷うけどいつか着るだろうからと仕舞っておいた服を手放すまでに時間がかからなくなった。売れたら、売上金をまるっと新しい服(古着)に費やす。つまりクローゼットは絶対に縮小することがない。部屋が狭くなって困りました。はて、さて、もうどうしよう。わかりません。

私は服に執着しすぎている。オシャレ好きとか自分なりのこだわりをもっているという程度じゃなく、服は私の心を覆う皮膚と思っている、比喩じゃなく皮膚。私が選んで着る服は他人に"私らしさ"を感じさせる「他者の中に存在する私」。世界では布のかたちをとって存在する私である。服は体の一部なので、服を着た私は裸と同じ。

昔の話。私は学校での学習速度にうんざりして塾や予備校にずっと通っていた。小学校高学年のころは、中学受験への熱意が凝縮されたやばい雰囲気の塾にいた。学校も塾も「勉強するためだけの場所」と認識していたガリ勉の私は、着るもののことなんか考えたことが無かった。ましてやオシャレなどとは縁がない。いつも母や近所の人のお下がりを着て靴は瞬足、母はしばしば自分が着られなくなったのを私に渡して、それが普通で、着るものってそういうものだと思っていた。
しかしある日、同級生が休み明けに塾に来ると、やけに綺麗であまり見ないデザインの上着とかを着てくることに気付いた。もこもこしてフードのまわりに白い毛が生えている。それは新品の服だった。新品の服なんか着れるのか、へぇ〜あの子がいつも成績トップだから特別に着れるの?いやそうでもない、他のみんなもよく見たら、女子はとくに新品の服を着てる…。男子はわからない、全体的に私のと似た色だから同じお古かなあ。私は急に新品の服が気になりだして、母に買いに行こうとせがんだらokが出た。駅前のスーパーがあるビルの3階の広い服屋さんに連れてこられた。でも服を自力で選んだことがないから本当にわけがわからなくなって、片付け方がわからない子供みたいに立ち尽くした。母に見繕ってもらったら、お下がりのやつと同じっぽい服が持ってこられた。それでも嬉しくて、買ってもらってしばらくしたら一人で来て、また同じようなのの新品を買った。塾でも公園でもたくさん外に着ていった。
中学に上がり、同級生と私服で会うと私が着ているものがダサすぎることを直感で理解した。全身がくすんで目立たない私と、テレビのコマーシャルを思い出すような色鮮やかなクラスの女子。つらかった。ダサくない服を着たいと思った。久しぶりに母と駅前の服屋さんに来た。端から端までダサすぎて目眩がした。母は隣駅のモールにあるなんか良い感じのお店にも連れて行ってくれた。ハニーズでした。友達が着ていた服をコピーするように全身コーディネートして母とレジに行ったら「買いすぎ」「高い」などと苦言を呈された。後日、友達には「服がかわいくなった」と褒められて嬉しかったが、おしゃれはお金がかかるからうちの母は嫌うものなんだと認識した。お母さんのことは好きだから嫌なことをしたくない。でも私の服がダサいのは気になる。私は罪悪感を抱えながら洋服を追求した。お父さんは快く洋服代をくれるし、着ない服は捨てればと言う。母は服が高いとかまだ着れる服は捨てるなと言う。
どうすればいいのか分からなくなった。私にとって、両親は私の憲法で法律だった。

高校の初めのころはよくいるフェミニン女子みたいな服で安定していた。母が多用する「白黒」「ボーダー柄」「ジーパン」を絶対に避けた。お気に入りのコーデはミント色のプリーツスカートに襟が薄桃色のシフォンのプルオーバーだった。ブサイクじゃ服に着られるので、化粧も覚えた。母は化粧の基礎程度までは教えてくれたが、自分はプリマの下地や9800円の美容液を使うわりに私には全部キャンメイクでいいと仰った。やがて肌荒れしたので大量のキャンメイクを捨て、お金を強奪して、資生堂のファンデーションとかを買いに行った。

高校の中盤で天変地異が起こって、私はロリータファッションに目覚める。初めてAngelic Prettyのホームページを見た時からときめきが止まらなくなった。クリスマスプレゼントにBABYの福袋を買わせて、全身着てみたらときめきが本物になった。化粧もアイプチとかドールメイクを勉強して、より本物になろうとした。
父からより多く洋服代をもらい、全てロリータファッションに費やした。
今に始まったことではないが、両親は私についていろいろなことを諦めた。節約とか、奇抜な服装、目の下が赤い変な化粧、カラコン。ときめきに忠実に生きることを始めたら、日常に悩みと楽しみが絶えなくなった。

ところで、母は鬱がこんで、私が18になる前に命を絶った。遺品を漁ると、今私が着るような純白のロリータを纏った人形が出てきた。陶器のフランス人形とかファンシーな写真立てなどを集めていたらしい。母がけっこうな少女趣味であることがわかった。しかし家は貧乏で贅沢ができなかった。穴が空いたセーターは何度でも縫って着たらしい。結婚してからはかなり裕福な暮らしができて毎年ハワイに行くなどしたにも関わらず、変な貧乏性を引きずって私に押し付けた。母と私は外も中もよく似ているし姉妹みたいだったが、最悪なことに金のかかる少女趣味まで遺伝してしまった。

母の死後。私は浪人中にナイショの仕事でこっそり大金を稼ぎ、ロリータを買いまくった。父親の財布から抜いたりもして、狂ったようにロリータだけ集めた。どれだけ痛くて汚れる仕事でも、洗ってお化粧直せばいーじゃんで何とも思わなかった。アースとか普通の服を全部捨てた。普段着はフィントに差し替えた。その後はスナイデル、レストローズ、ジルスチュアートなどキラキラ女子のコスプレやモードもどきに遷移していく。

母は温厚で可愛げがあってよく見れば綺麗な顔で素敵なお母さんだと思っていたけれど、今思えば無意味に貧乏性なところで私を抑圧していた。着るという表現を抑圧された私はものすごく鬱屈したエネルギーを抱えて、母が死んだ今、17年分のアイデンティティをクローゼットに放出し続ける大災害となっている。

ロリータファッションは、私が初めて自分で手に入れた、自分のものにしたいと思った大切な表現方法。自分のジェンダーがあやふやでどこにも行けなくて悩んでいたところに「女の子」でいる楽しさをくれたもの。

そのようにして、今がある。
最期まで母に肯定してもらえなかったロリータ、母が憧れたカネコイサオの世界観を、本物のMILKを、私は心臓に直接着て生きている。私はもう自由に私を肯定できる。よけいな法が死んだから。

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