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むずがゆい

一ヵ月前ほどに、学生時代の友人同士が付き合っているという話を聞いた。
(こんな言い方だけどまだギリギリ学生といったところです。)
双方とも関わりがあり、未だによく会うのでなんだかむずがゆい気持ち。
インスタのストーリーだとかLINEでのやり取りだとか些細な場面で二人の付き合っているという事実が垣間見えて笑みがこぼれてくる。
それはお互いを想っていて、幸せな気持ちで日々を過ごしているのだなと感じさせてくる。
友人だとしても他人の恋愛事情を勝手に妄想してにやにやしている私はかなり気味が悪いかもしれないが、人間一度や二度は他人の幸せを想像して自分に重ね合わせることがあるだろう。

そんな彼、彼女らを見ていていつか私も大切な存在ができるといいなと思う反面、きっとダメなのだろうとか結局信じきれないと思ってしまう自分がいる。
今までそれほどの恋愛をしてはいないけれど、人との関係性を保つのは考えているほど理屈は通用しないし双方の納得できる形を見つけるのが難しいと考えている。結局どちらかが妥協したり、そのままかみ合わずに離れたり、長く続いている人や結婚する人は理解し受け入れる心が存在し精神的にも成熟しているのだろうと思う。

私の失敗例というか未熟で足りない部分はいくつかあって、素直に愛を受け入れられないことや相手の言動を深読みしすぎるだとか、挙げればきりがないほどある。自分で未熟な部分と認めることで余計に言葉に囚われている。
恋愛面の苦手なことも多くあってスキンシップが得意でなかったり、緊張する場面には物怖じしてしまったり苦手なシチュエーションが積み重なり次第に相手に恐怖のような嫌悪感を抱いてしまう。
俗に言う蛙化現象だと友人には言われた。確かにそうかもしれない、でも自分では認めたくなくて変にプライドが高いところがいつまで経っても考えを払拭できない原因だと分かってはいる。

もう1つ、自分に自信がないという点が幾度も私の恋愛人生の中で足を引っ張っている。
随分と前の話だが、当時の彼氏の友人に「あんまり可愛くないね(笑)」というような発言をされた事が、私の中で自分は可愛くないのだと自覚するキッカケを作り出した。いわば、私という個人観にルッキズム的思想が生まれた瞬間だった。
徐々にこの考えに囚われ始め、笑顔が下手くそになり写真を取られることが嫌になり、もはや可愛くなろうと頑張る努力する自分の姿でさえ拒絶し、かわいいを手放した。今は当時よりは考え方も変わりマシになったので、当時の自分を抱きしめてかわいくなっていいよと言いたいと思うこともある。

長々と続けてしまったが、私がむずがゆいと感じるのは恋愛を素直に正直に追い求める友人が羨ましくて仕方なくそれと同時に、なんて不自由のない人なのだろうと嫉妬とはまた違った気持ちを持ち合わせており狭間にいるからなのだろう。

夜も更けて、季節の移り変わりに便乗したかのように大切な存在が恋しくなりました。いつか、いつかを願って。ここまで駄文に付き合ってくれてありがとう、また物思いにふけたらなにか書きます。


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