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過越し祭と最後の晩餐【ルカ22:14-23】【やさしい聖書のお話】

2023年3月26日(日)の教会学校でのお話をもとに。

お祭りとは

今日は最後の晩餐の場面からのお話ですが、その前に。

お祭りって、なんだろう。
たとえばフジロックフェスのような「音楽の祭り」もありますが、そういうのは別にしましょう。

いろいろな宗教にそれぞれの祭りがあります。神社だと夜店が出たりしますが、それはお祭りの中心ではありません。祭りというのは、祈りや感謝や賛美をささげる「礼拝」なんです。
日本では春の田植え祭りでは豊作を祈り、秋祭りでは収穫を感謝する。七五三では子供のすこやかな成長を祈る。神社だと、そうした祈りや感謝の前に一番最初に神の徳をたたえます。

お祭りとは、祈りと感謝と賛美

キリスト教でいうと、クリスマス、復活祭、ペンテコステという三大祭があります。他にもいろいろと記念することがありますが、プロテスタントではだいたいこの三つでしょうか。
いえいえ、実は日曜日の礼拝もお祭りなんです。

祭りに欠かせないことは、神様をほめたたえること、そして記憶を伝えることです。
ぼくが子供の頃、近所に氷川神社がありました。氷川神社というのは全国にあるけどスサノオノミコトという神様をまつっているので、秋まつりではスサノオノミコトがクシナダヒメを助けるためにヤマタノオロチを退治する物語が舞台でささげられます。物語の記憶を伝えていくのです。

氷川神社の祭神は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト。祭りではこの物語が受け継がれていく。

聖書の祭りでは、神様である主がイスラエルに「こういう祭りを行いなさい。それによって、あなたたちの神が何をしてくださったのかを子供たちに伝えていきなさい」と命じています。
過ぎ越しの祭りもその一つです。主はイスラエルに、過ぎ越しの祭りではこのようにしなさいと命じました。そして最後にこう教えています。

あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。

出エジプト記12:26-27(新共同訳)

日曜日の礼拝も祭りだといったのは、賛美歌で主をたたえ、献金で主に感謝し、主に祈り、そして聖書が伝える記憶を牧師などにメッセージによって伝えていくからです。
聖書には「日曜日には教会に集まって礼拝しなければならない」なんていうことは、ひとことも書いてありません。「日曜日が安息日だから」という間違った教えもありますが、安息日は主が「週の終わりの日(土曜日)」に定めたまま変更されていません。じゃあなぜ私たちは日曜日に集まるのかというと、安息日の次の日の朝にイエス様が復活したというできごとを記念するためなのです。(イエス様が安息日に会堂に行ったように、土曜日に集まって礼拝する教会もあります)

過ぎ越しの祭り

イスラエルがエジプトで奴隷だったのを、主がモーセとアロンを送って救い出したました。
その脱出の直前、イスラエルは主の指示で、家族ごとに小羊を用意し、その血を家の入口の柱と鴨居に塗り、小羊の肉を料理して食べました。
主の災いがエジプト人の赤ちゃんを殺したとき、入り口に小羊の血が塗られた家は災いが過ぎ越して(通り過ぎて)いきました。
これがエジプトに対する最後の災いで、これでエジプトはイスラエル人を出て行かせた、主がエジプトからイスラエルを救い出すとどめの一撃になったのです。

このできごと、主が主の民をエジプトから救い出したことを記念するために。子供たちへ、孫たちへ、さらに子孫たちへ、主がしてくださったことを伝えるために。
過ぎ越しの祭りでは家族ごとに羊を用意し、小羊の血を入り口に塗り、小羊の肉で祭りの食事をするのです。

ミハル・メロンが描いた「ペサッハ(過ぎ越し祭)」では、家族で食卓を囲む様子が中央に大きく描かれています。左右と上には出エジプト記の10の災厄の場面、そして下にはエジプトを出たイスラエルが荒れ野を進んでいく様子が描かれています。

ミハル・メロンの画集『ユダヤ教の祝祭日』より、「ペサッハ 過ぎ越し祭」

そしてイエス様は、過ぎ越しの祭りの夜、祭りの食事の席で弟子たちにこう言いました。

イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」

ルカによる福音書22:15(新共同訳)

なぜ?
それはイエス様が、過ぎ越しの祭りの小羊だからです。
だから洗礼者ヨハネは一番最初にイエス様のことを「世の罪を取り除く神の小羊」と言ったんだ。

最後の晩餐

エジプトからイスラエルを救い出したように。
罪と、罪による滅びから私たち主の民を救い出すために、救い主メシアはこの世に来たんです。

エジプトの人々が、主からの災厄に襲われた時、小羊の血によってその災厄を回避したように。
私たちは、自分の罪に対する神の裁きによって滅びるはずだったのが、イエス様の十字架の血によって裁きを免れるのです。

御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

ヨハネによる福音書3:18(新共同訳)

この過ぎ越し祭の夕食が、ダビンチなど多くの人が作品にした「最後の晩餐」です。
その食卓には、祭りの伝統に従って、小羊の肉もあったはず。でもイエス様は、パンとぶどう酒で記念するようにと弟子たちに命じました。
小羊の肉にかわって、十字架で傷つけられたイエス様の体をあらわすパン。
小羊の血にかわって、十字架で流されたイエス様の血をあらわすぶどう酒。
それによって、主がエジプトから民を救ったことよりも、主が罪から私たちを救ったことを記念するのです。

それで、主の晩餐式(聖餐式)によって主の死を告げ知らせることが命じられています。

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

コリントの信徒への手紙一11:26

聖書には、主の降誕(クリスマス)を告げ知らせなさいとは書かれていません。でも、主の死を告げ知らせなさいと命じられています。それくらい大事なことです。
子供たちへ、孫たちへ、子孫たちへ、そしてまだ十字架のイエス様による救いを知らない人たちへ、主の死を告げ知らせるんです。

家族

 イエス様は、この杯を回して飲みなさいと言いました。ひとつの杯を回してみんなで飲んだんです。

イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。」

ルカによる福音書22:17(新共同訳)

先ほど紹介したミハル・メロンの絵でも、家族の食卓が中心でした。
現代でもユダヤ人はこのように食事をします。
ぼくがイスラエルであるホテルに泊まった時、それは過ぎ越しの祭りじゃなくて安息日だったのだけど、ホテルのレストランで、ユダヤ人の家族を見ました。お父さんらしい人が立ち上がって、聖書の言葉を読んだあと、お祈りして、そして杯を回して家族がそれを飲んでいました。

イエス様が弟子たちに杯を回して飲ませたのは、家族だということです。
父の御心を行う者が私の兄弟、姉妹、母だとイエス様は言いました(マタイ12:50)。イエス様を信じて従ってきた弟子たちはイエス様の家族なのです。

ルカによる福音書では、イスカリオテのユダがイエス様を裏切るために出て行くのは、この「最後の晩餐」のあとです。ユダもイエス様から、パンとぶどう酒をいただいたのです。
イエス様はユダが裏切ることを知っていたのに、です。ユダもイエス様の家族なんだ。だからイエス様はユダのことも最後まで心配していたんだ。

ぼくは小さい頃から教会学校で聖書のお話を聞いてきて、ユダは「わるもの!」と思ってた。
確かにユダはイエス様を裏切ったけど、でも、イエス様が十字架にかかったのは、ユダが裏切ったせいじゃなくて、ぼくたちの罪のせいだってことを間違えちゃいけない。

ユダが失敗したのは、イエス様を裏切ったことじゃなくて、イエス様のゆるしを信じられなかったことだ。タラレバだけど、もし復活したイエス様にユダが会っていたら、ユダが悔い改めなかったはずがない。そうしたらユダは誰よりもすごい伝道者になったはず。多く赦された人ほど多く主を愛すのだから(ルカ7:47)。なのにユダはイエス様のゆるしを信じられず、イエス様にゆるしてくださいということができなかった。それがユダの一番の間違いだったんだ。

イエス様を裏切るユダのことも、イエス様は愛して、主の晩餐に招いた。
そのイエス様が、ぼくたちのことも愛して、ぼくたちを主の晩餐に招いてくださっているんだということを、おぼえておいてください。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年3月26日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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