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ネプチューンよりもポセイドンよりも【使徒言行録27章】【やさしい聖書のお話】

ローマへの旅

パウロはローマに向かっていました。
他人から見ると、旅というほど楽しそうなワクワクするものには見えないかもしれません。皇帝から裁判を受けるためにローマに連行されているのだから。
でもそれはパウロ本人が望んだことで、裁判を口実にローマ皇帝に救い主を伝えに行こうとしているのだから、パウロとしては(危険も覚悟しながらそれでも)ワクワクする旅でもあったでことでしょう。

で、ローマの百人隊長がパウロを連れて船でローマに向かっていた時のこと。
この船、小舟を積んでたとか、船尾だけで錨が4つ、船首に少なくとも1つあったとか、帆がメインのほかに船首にもあったとか、けっこう大型の船だったようです。
けれど、暴風に巻き込まれ漂流してしまいます。

「地中海性気候」とかいうやつ

断食の日を過ぎていて、すでに航海のシーズンではなかったと書かれています。この「断食の日」というのは、ユダヤ新年の正月10日の「大贖罪日ヨム・キプール」のこと。今でもユダヤ人は、一年の始めを自分の罪と向き合うことから始めるのだけど、これは今年2022年だと10月4日の夕方から5日の夕方にかけて。つまり秋が終わって冬が始まろうという頃です。

中学校の地理で「地中海性気候」について勉強するけど、地中海あたりでは夏の風向きは、北大西洋高気圧の影響でヨーロッパから地中海沿岸へ、北から、または北東からの風がゆるやかに吹く。この高気圧のおかげで偏西風の影響もそれほどではないそうです。
これが冬になると、北大西洋高気圧がアフリカ大陸まで南下して、地中海付近は北大西洋高気圧とシベリア高気圧にはさまれた低圧部となって、雨が多くなってくる。さらにこの低圧部からは、熱帯性低気圧が生まれることもある。というわけで、航海するには天気が不安定な季節ということらしい。

・・・のぶおリーダーも中学生以来で地中海性気候について調べたのだけど。「こんなこと勉強しても、大人になったら使わねーだろ」と思ってたことが、意外なところで必要になったりするね。

ちょっとそこまでのはずが

パウロたちの船は、現代でも観光地としても有名なクレタ島で、南側の「良い港」にいました。ところが、ここが「良い港」なのは航海のシーズンだけだったらしく、冬を越すには向いていなかった。それで船長たちは、クレタ島をもう少し西にいった、フェニクス港まで移動しようとします。
実はこのときパウロが「今出港するのは危険だ」と警告したのだけど、こういう場面では素人の不安よりもプロの経験が優先されるもの。船乗りたちだって、この季節に外洋航海の危険はわかっていたでしょうけれど、風向きがいい間に島にそって少し移動するくらいなら、オレたちなら楽勝だと思ったのでしょう。
ところが出港したとたんに、船を島から遠ざける方向へ暴風が吹きます。

風に押されて進む帆船やヨットは、逆風には弱いようでいて、実は風上に向かって進むことができるのだけど、それはラテンセイル(三角の帆を縦(進行方向と水平)に張る)なら向かい風に対してジグザグに進むことができるから。アラビア人がラテンセイルの船で地中海の覇権をヨーロッパ人から奪ったのは7世紀だけど、3世紀頃には地中海でもラテンセイルの船があったらしい。
でもパウロの時代はまだスクウェアセイル(四角い帆を横(進行方向と垂直)に張る)しかない。後ろからの風を受けて前に進むので、風に向かって進むことはできなかった。なので、どんなに優秀な船乗りでも、島のほうから風が、しかも暴風が吹いてきてるとき、島に戻ることはできなかった。

ローマの貿易船の看板(モザイク画)。左のポンタ船が、船首に帆があることなどパウロの乗っていた船の描写に近いかも。
http://www.ostia-antica.org/portus/lighthouse-depictions-mosaics.htmより。

結局パウロたちは、流されるにまかせるしかなかった。

二日目には、船が沈みそうなので荷物を捨てて船を軽くしました。
損害保険の歴史」によると、古代ギリシャの時代には、嵐や海賊などのために積荷を海に捨てることもになった場合は、損害は荷主と船主で負担する習慣があったそうです。この船はエジプトの穀物をローマに輸送するものだったのだろうという説があるのだけど、確かにエジプトのアレキサンドリア船籍だったし(27:6)、出港するかの判断をローマの百人隊長と船長や船主が相談しているし(27:11)、ローマ政府が荷主で百人隊長が責任者だったのかも。

三日目には船具、つまり船を維持し航海するために必要な道具も海に捨て始めました。優先度や重要性の低いものから捨てたのでしょうけど、そのあとも何日も太陽や星が見えない状態が続きます。太陽や星座の位置で方角を知ることも、自分たちが今どこにいるのかも判断できない状態が続いたということです。地中海は陸地に囲まれてるので狭そうな気がするけど、けっこう広いからね。

船には276人が乗っていたというのだけど、もうみんな絶望だったでしょう。
ただ、パウロは違った。パウロはみんなに向かって、この船は沈没するけれど誰も死なないって断言したんだ。

私の神は、あなたたちの神とはちょっと違うんだ

パウロは、船の中で絶望している人たちにこう言い切った。

わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。

日本でも、漁師や船乗りなど海の男は信心深いそうです。「板子(いたご)一枚下は地獄」といって、船底の板をはさんで「死」と隣り合わせで生きているからこそでしょう。
それはパウロの時代のヨーロッパの海の男も同じだったろうなと思う。まして、宗教と科学が今のようにはっきりわかれていなかった時代でもある。
ローマ人なら海の神ネプチューンに、ギリシャ人ならポセイドンに、助けを求めて祈っていたかもしれない。
でもパウロのようにはっきり「助かる」と信じて祈っていた人がどれくらいいただろう。パウロが「わたしが仕え、礼拝している神」と強調しているのは、そんじょそこらの「神と呼ばれて祀られているだけのなにか」じゃないんだ、あなたたちが名を呼んでも応えない神じゃないんだ、ということをはっきりさせることを意図しているんだ。

ローマはギリシャ文化を受け継いでいて、ギリシャの神々もローマの神々と同一視される。ギリシャ神話の海の神ポセイドンは、ローマ神話ではネプチューンと呼ばれる。三つ又の鉾で武装がお約束。

パウロは「助かると思った」とか「助かると信じた」というよりは、「事実として私は助かるし、私と一緒にいる人も助かる」という勢いだった。
だって主が、パウロを皇帝の前に立たせるためにローマに向かわせてるんだから。
自分がいつか死ぬとしても、それは皇帝の前に立ってキリストを伝えたあとだ。たとえばローマ皇帝から死刑を命じられることはあるかもしれないけれど、少なくとも皇帝に会うまでは自分が死ぬことはない。スターをとったマリオ以上の無双無敵。そのときまでは、仮に自殺しようとしたって助かってしまったことでしょう。
わたしたちの天の父が許可しなければ、私たちは、いえスズメ一羽だって、死ぬことはないのだから。

ところで「パウロはハゲだった」という言い伝えがあるのだけど

パウロが宣言したとおり、全員が助かりました。
15日目にマルタ島というところで、船はぶっ壊れたのだけど全員砂浜にたどりついて助かった。

ただ、その前日の14日目に、パウロはこんなこといってんるだ。

夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。
34 だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」

使徒言行録27:33-34(新共同訳)

イエス様も「あなたがたの天の父は、あなたがたの髪の毛が何本あるかまで全部知ってるほどあなたを愛してる」って言ってたね(マタイ10:30)
あなた方の髪の毛一本までも、というのは、主があなたがたを完全に、毛の一本も残さずに愛して守っている、そういう意味なんだ。

ただね。実はパウロはハゲだったっていう伝承があるんですよ。パウロより100年くらいあとに書かれたと思われる文献に、パウロは小柄でハゲてたって書かれてる。まあ、その史料がどれくらい信頼できるかはともかくね。
でも、14日も漂流してきて、心も体もくたくたで、それが海に落ちて波の中を島に打ち上げられるって、物理的に「髪の毛一本もなくならなない」って、ありえるのかな。

もちろん神様には、髪の毛の一本もあまさずぼくたちを完璧に守ることはできるよ。
ただね、本当にパウロがハゲだったとするとね。
周囲の人にたちにしてみたら、ハゲの男が出てきて「あなたたちは髪の毛一本も失わない」って言ってるんだよ。聴いてる人は「いや、髪の毛よりも!」って思わなかったかな。
ぼくはね、パウロは、半分は「私の神はすごいんだ」という意味で、あとの半分はみんなを勇気づけるために冗談で、そう言ったんじゃないかなって思うんだ。

エルサレムでの裁判でも、わざとサドカイ派とファリサイ派の議論になるようにぶっこんだり。
カイサリアでの裁判では、アグリッパ2世や総督フェストゥスの前で「あなたたちが私のようになったらいいと思うんですよね。逮捕されて鎖につながってるところは別としてね」なんておちゃめなこと言ったり。
そんなパウロだから、ここでも冗談を言ったんじゃないかな。

一人や二人ならともかく、大勢の大人を落ち着かせるのって、すごく難しいからね。
「ギャグ」という言葉はもともと「黙らせるもの」という意味で、それが「お芝居が始まる前に客を黙らせて舞台に注目させるために、おかしなことをすること」をギャグと呼ぶようになったそうです。
パウロの「ハゲの私が言う。あなたたちは髪の毛一本も失わない」は、絶望しきってる船内の空気をかえるための、渾身のギャグだったんじゃないかな。

それにしてもパウロ、エルサレム裁判のあたりからキャラが変わったよね。
この道ゆきは、危険はある。ローマで殺される可能性だってある。
それでも。
「ユダヤ人パウロ」の、イスラエルの神である主への絶対の信頼。
「ローマ市民パウロ」の、皇帝に私がキリストを伝えるんだ、そのために主が私を遣わしているんだという光栄と高揚。
死ぬとしても主のためという喜びと覚悟。
そうしたものが、パウロに余裕を与えてたんじゃないかって思うんです。

主に従うということは、そういうことなんだ。
「キリストを信じる私を日本は守れ、宗教で差別するな」じゃなくてね。
「キリストを信じる私の安全は主の御心のまま」というところにぼくたちの安心があるんだって、知っておいてほしいと思います。

余談:マルタ島では

パウロたちがたどりついたマルタ島も、現在はリゾート地として有名ですね。こちらには「聖パウロ湾」とか「聖パウロ難破船教会」などで、パウロの到着を記念しています。

聖パウロ湾(St.Paul's Bay)のビーチ

マルタ島にあるマルタ共和国では、2月10日は「聖パウロ難破船記念日」として、マルタ島にパウロがキリスト教を伝えたことを祝う祝日となっているのだそうです。

マルタ共和国の「聖パウロ難破船記念日」の様子。
マルタ共和国大好きブログ」さんで詳しく紹介されています。

余談:「わたしたち」って?

今日の個所も含めて、使徒言行録ではパウロのことを「わたしたち」と書いていることが多いです。
使徒言行録という文書が、ルカがテオフィロさま宛てに書いたレポートなので、「わたしたち」というのはパウロとルカのことでしょう。ほかにも同行者がいた場面もありますが。
使徒言行録は「ルカによる福音書」の続き、というか第二部という感じなのだけど、使徒言行録ではルカは「わたしたち」といってずいぶん主張しているというか、インフルエンサーの元祖みたいな活躍ぶりです。
まあ、ルカによる福音書は、できごとをルカが「あとから調査して」書いたもの、使徒言行録はルカが「実際に一緒に行動し目撃したこと」を書いたものなので、勢いも違うのでしょう。

ただ27:28で、船の現在地の水深をルカが記録しているあたり、船員が必死で状況把握しようとしている周囲で迷惑をかえりみずにユーチューバーがうろうろしている様子を連想してしまうのだけど。

動画版はこちら

この内容は、教会学校動画の原稿に加筆して再構成したものです。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、このページと動画の内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。
動画版は↓のリンクからごらんいただくことができます。


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