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おかんとおでん

僕の通っていた中学と高校は弁当持参だった。ほぼ毎日、母は弁当を作ってくれた。それは、年頃の息子と母親が交わす、数少ない会話の機会でもあった。

「魚のフライ美味しかったわ」
「あれ生協さんのやわ。また買っとくな。煮物どやった?」
「なんか、薄かった?」
「あ、やっぱり?食べる頃には味が染み込むかな思ってんけど。
ま、素材の味が分かってええでしょ、ふふふ」
「…」モノは言いようだ。

中高の6年間、僕はぎゅうぎゅうに詰まった弁当箱を持って学校へ行き、空っぽの弁当箱を持って家に帰った。

なかでも好きな弁当があった。それは「おでん弁当」だった。正確に言うと「おでんとご飯のみ」の弁当だ。夕食におでんが出た翌日の定番だった。

クラスメイトに「おかずそれだけなん?」と聞かれたことがある。彼の弁当は彩りが綺麗だった。
唐揚げ、卵焼き、ミニトマト、ほうれん草のお浸し。そんな中身だったと思う。
一方で僕の弁当は、ごぼ天、ちくわ、玉子、こんにゃく、大根、平天、牛すじが入っていた。
僕は「そやで。昨日のやから味がしゅんでるねん」と答えてそのまま食べた。内心では「おれの方が品数多いやん。なんで聞くんやろ」と不思議だった。
いま思えば、僕の答えは答えになっていない。そして彼の疑問も分からなくはない。
世間には、おでんでご飯を食べるなんてオカシイと感じる人が結構いるし、具の一つひとつをおかずにカウントする人は結構いない。
確かに、カレーのじゃがいもとにんじんとたまねぎは、おかずにカウントしない。これらはカレーの一部だ。夕食の品数を増やして欲しいと言われてカレーの具材を増やしたら、きっと揉める。

おでん弁当の一番の楽しみは、蓋を開ける瞬間だ。もちろん、何度開けても中身はおでんに変わりない。3回目に開けたら筑前煮でした、と言われてもちょっと困る。
今回はどの具が入っているのだろう、というワクワク感が好きだった。僕からすれば、2枚ともオリックスの選手が出てくるプロ野球チップスみたいなものだ。

「じゃがいも無かったな」
「今日は温(ぬく)かったやろ。じゃがいもは傷みやすいから止めとこう思て」
「…」なるほど。

僕は一人暮らしがずいぶんと長くなった。あと数年もすれば、母の料理より自分の料理を食べた期間が長くなる。凝ったものは作らないし、手を抜くことも覚えた。母の味とは似て非なるものだ。スーパーの惣菜がウチの味になっているものもある。しかし、毎日の食卓は僕なりに満足している。美味しいものを食べると、一日が少し明るくなる。
きっと、母のおかげだろう。食事の楽しさを教えてくれた人だ。

今朝、母の誕生日がとっくに過ぎていることを思い出した。
この話を母にするのは、まだ照れくさい。


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