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人の心はとっても流動的だ。

深夜に失礼。あまこちです。
noteを書こう書こうと下書きばかり溜めていた、あまこちです。

最近、というか、もう二ヶ月ぐらい、僕の心は不安定だ。
原因は、何度も言っているかもしれないけど、仕事でいま担当している案件。

なんでこんなにも案件に心が振り回されているのか、詳細は話しづらい。

あまこちのリアルに関わる情報だし、守秘義務的なのもあるし、というのもあるが、なにより状況が刻々と変わっているし、様々な問題が絡み合っているし、なんだかもう一生かけてもこの複雑さを言語化する自信がない。言語化しようとすると嫌な記憶が再生されまくるし、語り切る前にショックで気絶してしまうかもしれない。

ともかく、なかなか悲惨な状況が改善されずに継続ダメージでガシガシ心に来ている。
ほんとうになんとかしたい。してほしい。

そんな状況だからだろうか、逆にハイというか、「なんかもう投げ出しちゃえ!遊べぇ!!」みたいなスイッチが仕事終わりにパチンと入ることが多く、
結果配信頻度がとても高くなっている。
(1日おきに夜2h配信するほど。ボリュームの重いキムタク如くがどんどん進んでいる

まぁ、それ自体は、良いことだ。
楽しいし、積みゲーは進むし。

ただ一方、毎日仕事に取り掛かれば「あーでもない」「こーでもない」と悶々としながらタスクをこなし、重苦しいため息を1時間に1回はつき、関係者への愚痴をぶつぶつと唱える日中。

そして夜にはハイテンション(は言い過ぎか)で配信。2h喋りっぱなし。

なんだか、その闇と光の反復横跳び具合に、ふとめまいのようなクラクラとした気持ち悪さを感じている。

躁鬱、と表現するには不適格かもしれないが、ふと視点を引いて自分の気分の波をグラフ化したときに、あまりに上下が短い周期でやってきている不健康さを感じる。

とはいえ、
心療内科を受診だの、休職だの、そこまでの大事にはしたくない。
少なくとも、まだ、そこまでの段階じゃないと認識しているし、仮にそういったアクションを起こしたとして「こうこうこういう状態で」「これが辛くて」という説明に説得力ブーストする燃料が足りない感覚がある。万が一「あなたは危ないです、休みなさい」と診断されたとしても、「いや、全然、働けるな。暇だな」と自身が納得できない感覚もある。

なので、大丈夫だ。今は。
心配してくれてありがとう。


今日話したかった話題の核は、僕のそんな近況ではないんだ。
正確には、そんなメンタル乱高下の近況と、最近目に入ったニュースがなんとなくリンクして、「あぁ人の心は、かくも儚き。。」みたいな気持ちになった話だ。

ニュースというのは、某東海オンエアの某トラブルだ。
もはや某ってなんの意味があるんだろうね。

自己紹介でも書いている通り、僕は系統でいうと、二次元ジャンルのオタクだ。だからというのは安易なゾーニングかもしれないが、YouTuberはあまり見ない。最近はもっぱらVtuberだ。

でも東海オンエアは知っていた。
知っていたし、僕の得意分野の声優の島崎信長さんと、虫眼鏡さんが一緒に「音泉」でラジオをやっていて、そこきっかけのちょいファンだ。
むしころラジオは7週ぐらいは追いかけた。逆再生を逆再生してみた、の動画が大好きで10回は見た。コントしてみたも何度も見た。
それぐらいの、ファンだ。

ふとTwitterトレンドにあがっている、騒動はじめのタイミングをなんとなくの興味でリアルタイムで見てしまい、
そこから燃え広がる様を、某深夜、ずっと見てしまっていた。


絶句、とはまさにこれのことだろう。

なんというか、今でも、感想、意見を一言にまとめるのが難しい。
というか彼らと彼ら周囲の人を応援したい気持ちがあるからこそ、一切言及しない方がいいとさえ、思っている。

結果としてとてつもないことが起こってしまったし、でもそれは決して一夜だけのアクシデントではなく、大きな大きな、長く根深い問題が表面化してしまったのだと認識している。

ついさっき、このnoteを書く前に、僕と同じような感覚で事態を見守っている人の記事を見つけて、いいね、してきた。

僕は、今回の登場人物3人、全員に共感してしまった。
共感、というと言い過ぎかもしれないが。3人全員、それぞれの立場に自分が立ったら「そう」感じ「そう」思い、「そう」判断してしまうかもしれないと納得できてしまった。「わかって」しまった。
もちろん僕から見えた、今回僕が知ることができた情報の中で、感じたことだ。情報として不足、過多あるだろう。
正しいとは言わない。僕のように思えとも言わない。

ただ、なんと言うのだろうか、
仕事で疲れていたのも相まったか、なんだか泣きそうなぐらい、それぞれを気の毒に感じた。

急な話だけど、僕は結構「性善説」な人間だ。
「誰も好き好んで、世界を破壊しようとは思わない」という前提で人を見る。
結果として世界の破壊を願う人がいたして、その人にはそうせざるを得ない、そうするしか選べる道がないと本人が感じてしまうほどの「何か」が必ずある、と定義している。
だからそういう作品が好きだし、ハッピーエンドがやっぱり好きだ。

なので。
僕は彼らに対しても「そうするしか、なかったんだよね」と思っている。

誰もが「正解」を選び取ろうとそれなりに努力し、それなりに周囲に働きかけたとて、ハッピーエンドにたどり着けるとは限らない。たどり着けるこのほうが稀とさえ思う。

こういう話をすると僕はどうも抽象的な表現になってしまうのだけど、
彼らの判断も、行動も、一見すると軽率だったり粗暴だったりすると思う。でも僕は、それは「正解」をたどり着こうとする意志で、選び取られた一手であり、間違ってはなかったんだと定義したい。しようと思う。

そう言うと、
「じゃあこの世のあるゆる人の行動は肯定されてしまうじゃないか」となってしまうが、
僕はそれでいいと思っている。そうあるべきだと、思っている。

無論、法律は遵守されるべきだし、論理として一方と他方を比べたとき「正」と「誤」が判別されるのは然るべきことだと思っている。

ただ、これは心の話。
心として、意志として、あらゆる人の行動は肯定したい。
それが僕の立場だ。


なんだか着地が見えない大きな話になりつつあるが、
仕事で振り回されている僕然り、渦中の東海オンエア然り、
「人の心はとっても流動的だ。」と改めて感じたな、という話。

僕も、彼も、その場で「正解」だろうという選択肢を選び取る。
ものすごくざっくりな例を出すなら、僕が今日「ピーマン嫌いだ!」と言ったからといって、明日「ピーマン好きかも!」と言っていけない理由にはならない。

なんだか、話を変な方向に膨らませすぎたような気もしてくる。
僕が言いたいこと、なんとなく、伝わっただろうか。


僕ごとき、200人少しのチャンネル登録者の男の言葉なんて、ほんの少しの範囲にしか広がらない。
そんなことはわかっている。

大きな話をすればするほど、薄っぺらく、安っぽく、炭酸の抜けた三ツ矢サイダーみたいな味になるって知っている。

でも、僕の言葉で、誰かと、そのまた知り合いの誰かが、
少しでも健やかな気持ちになれたら良いのになぁ。

東海オンエアにも、あなたにも、僕自身にも。
めいっぱいの、幸あれ。


寝ましょう。

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