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チャネリングの準備運動~我慢だけ生きていました(@ ̄□ ̄@;)!!

 2020/05~スピリチュアルの勉強を始めた。ひとまず講座は終わりその時のメンバーでチャネリングの練習を続けている。

 チャネリングとはエンティティ、宇宙人、高次の存在、ガイドと繋がる事、一体化することのことでありエゴと調和していくことである。エゴも魂も人生も肉体も思考も行動も意識も一緒になっていく、つまりは一致させていくことである。これが統合である。エゴも魂も人生も身体も思考も行動も意識が統合していくと現実が変わる、これまでの経験も変わるのである。但しそれら意識の統合を実現して生まれ変わるには「恐れ」と向き合う必要がある。恐れとは、自分を認識することが低下している状態である。愛の認知が不足しているのである。ではなぜ自分を認識することが低下したのか、その出来事は何か?いい加減にしろよって思うが、また母親が出てきた。
「あんたたちは橋の下から拾ってきた。動物園の檻の中から拾ってきた」
←また捨てるのかな。怖い。宝物って言っておきながら捨てる、裏切られる。
「世間が見ているんだから。ご近所さんが見ているのだから」
←これって、思いっきり他人軸じゃん。人は人、よそはよそ、うちはうちって言っておきながらなんでこういう言い方で怒るだろう。
「人様には迷惑をかけない、相手の立場になって考える」
←自分にウソをついて生きていけってことなの??もういいよ、我慢して、でもずるいって気持ちもあったけど、持っていると(あると)つらいから無くす、自分も無くすね。そうすれば相手の気分、やってもらいたいことを察して決めるし動くね。そしてなるべく目立たないようにする。少しでも目立つと生意気に思われて、何度も発言、行動をなじってくるし、だから口は開けない、話さない。
「恩を仇で返された。どんだけ苦労してきたのかなんて分かっていないでしょ!!」
←そんなこと分かるわけないでしょ、なぜ子が母親の機嫌にお伺いを立てて、あたなが欲しいそうな、喜びそうな行動をするなんでできないよ
この出来事での感情が←の部分であるが、その先に続くのが「でも我慢すればいいんだ」である。辛抱なんてものじゃない、忍耐、我慢である。母親のお小言もいずれは終わる、我慢しよう。世間とか、人様とか誰かのことを指しているか分からないがここで口を挟めばさらに小言が長くなるので考えるのをやめよう、あとでトイレに行って一人になった時に考えよう、ひとまずここは我慢だ。トイレまで持ち込めばゴングがなり今日は眠れるのである。つまり、我慢する気持ちが睡眠欲は満たされるに変換して、我慢することが「上手くいく方法」であるという<成功体験>へとさらに変換していく。
だから母親と離れた今でも歯を食いしばっていることが多く、寝ているときも歯を食いしばって寝ていることがあり朝起きても気を失って目を醒ましただけで睡眠が取れたという感覚がないことがある。そうなってしまっているのだ。
ということは・・・・・???私は我慢するという感覚で肉体を維持してきたのか??
思考のパターンは肉体が存在する為には必要なことであってこれが無くなると肉体は死体になる。思考のパターンは過去のデータ、過去の自分、プラクルティつまりはエゴからより色眼鏡を通して抜き出して頭に指示するものである。つまり、我慢すれば上手くいくという誤学習が思考のパターン化として定着して頭に指示して肉体を維持している状態になっていたのである。
えっ、マジで?!我慢だけで生きているの??すごいじゃん(笑)せっかく手にした肉体を我慢だけで生かしているなんて。ネガティブじゃん。でもネガティブもポジティブも両方あって当たり前。当たり前とはバランスが取れていること、安心しました☆これが愛なのかな、私は愛である。

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