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「感情社会学」に出会って、もう一度自分の傷について考えるー母と私ー

嗚呼、おわった。
今日は大学のレポートの締切日でして、日本史科目の4,000字レポート(手書き)×2本の提出が無事に終わりました。ほっ。
なので、息抜きのnoteしにきました。

さて、前回の記事には、個別にメッセージをくれた友人やお客様(写真仕事のお客様ママ)が何人かいらっしゃって、嬉しかったです。ありがとうございました!

みなさん、「私もヌマさんと一緒!一緒すぎてびっくりした!」という様なメッセージで、私の気持ちの、ハートの、肩をそっと抱いてもらったような気持ちになり、少し心が軽くなりました。

友人事情後編も書こうかと思っていたのですが、日本の歴史に思いを馳せているうちに内容の旬が自分の中で終わってしまったので違う話を書きます。
先に書いておくと、今回は「リストカット」や「虐待」という言葉などがでてきます。苦手な方はお控えください。

1.大学のオンライン講義で社会学を学んでいたら大号泣してしまった話

私が学んでいる慶應の通信大学には様々な受講形式がありますが、基本は「自分でテキストや参考文献を読んでレポート書く、試験受けて合格する、単位もらう」という作業をひたすら続けることになります。
お楽しみとしては、夏秋のスクーリングです。これは実際に大学に通って教室で授業を受けます。
他に、メディア授業というのがありまして、先生の講義をオンラインで受講して、課題と試験をこなしていくのですが、現在このメディア授業で「社会学」を受講中です。
撮影のない日の午前中に、1本か2本の講義を、次男を保育園に送った帰りにセブンイレブンに寄って買ってきたカフェラテを飲みながら自宅で受講しています。

慶應の有名な社会学の先生の他、計3人の先生が「感情社会学」や「オートエスノグラフィ」や「アートベース・リサーチ」について教えてくれますが、とある回で境界性パーソナリティ障害の方のリストカット事例が出てきました。
母子家庭で、幼い頃にお母さんに虐待されていて、成長してからリストカットをするようになり境界性パーソナリティ障害と診断された女の子への、先生がしたインタビューの読み上げを聞いていたら、ドバッと大号泣してしまいました。

これは、生の講義だったらアカンかった。
「おえっ」とか言って、涙がとまらなくて、教室がザワザワしただろう。
後にクラスメイトから、「号泣おばさん」とかあだ名を付けられて、「GKBBA」(号泣ババア)、略してGKとかGBとか裏で呼ばれていただろうと思います。
それ位涙がドバーッと出てしまいました。

母親になってから涙腺が緩み、全ての事例を「我が子」のように感じて泣いてしまう現象はあるものの、今回はそのような感情移入ではなく、「娘」としての「痛み」をリアルに感じてしまったからだと思います。

2.私のその感情的な行為は何を生きようとしていたのか

このタイトルは、先生から最後に出された問いを自分で考えようと試みるタイトルです。
その回の講義にはリストカットの事例と一緒に、摂食障害の事例も出てきました。
ほとんどの友人にも言ったことはありませんが、私は20代の頃長い摂食障害に悩まされていました。私が克服?できたのは長男を妊娠したからです。私は、私の為には決して過食嘔吐という行為をやめることができませんでした。

事例のリストカットという行為も、過食嘔吐という行為も、合理的に解決できない自分が抱えた「痛み」みたいなものを、「切ったり」「からっぽにしたり」「透明にしたり」しようとする行為として理解できました。(勿論、そのような完全な結論がだせるものではないという前提のもと)

リストカット事例の女の子のインタビューは、母子家庭において不安定な母親の様子、母親がその子にする精神的な言葉の責め事、身体的な虐待、その子が高校生になる頃に母親が再婚して穏やかになっていき、今ではこんな事はなかったかのように娘に振舞う母親の様子と、それを合理的に処理することなんかできなくて苦しむその子の生の声が書かれていました。

私も母子家庭で育ちました。でも、大丈夫ですよ。
私は虐待もされていませんし、経済的にすごく不自由した経験などもありません。私の母は私たちを(私には弟がいます)第一に頑張ってくれていましたし、私も幸せに育っています。
しかし、「母と娘」というお題で、私には何らかの傷があります。
私が過剰に泣いてしまったのは、私にも、リストカットの女の子ほどではないにしても、まだ、傷があるからだと感じました。

リストカットの女の子のインタビューの中に感じられた、母親の不安定な様子や、精神的に追い詰めるような物言いや、母から漂う孤独や怒りややりきれなさのようなものは私もよく知っています。
私は、その子のような明らかな虐待は決してされていないし、死にたいと思ったこともありません。たいていを楽しく不自由なく暮らせてきました。

だけど、私が約10年抜け出せなかった摂食障害という行為は、決して健康的なものではないし、当時の近しい人にはかなり迷惑をかけました。摂食障害だと公言はしていなかったけど、分かってた人は分かっていたと思うし、そのせいで生理中によく倒れたりして会社に迷惑をかけていました。(会社員だったこともあるのです)
私の摂食障害は母親との関係によるものなのか、ただ食べても太りたくなかっただけなのか。そして私の傷って何なのだろう。

3.映画『JOKER』を何となくたまたま観たら

そう、バットマンの敵役として人気のあるジョーカーの、その名も『JOKER』というホアキン・フェニックス主演のあの映画です。あれを、なんだかまた観たくなって、仕事の写真をレタッチしながら観ていたのです、数日前。

私は、『STARWARS』において、アナキンが闇に落ちていく怒りがとても理解できるし、まあ『JOKER』も闇落ち映画だと思うのですが、こういう映画は好きなのです。(以下、ネタバレあります!)

で、このジョーカーになってしまうアーサーは障がい者です。母親と2人暮らしで母の面倒をみています。アーサーは緊張状態になると笑い出していまう障害がありますが、それは子供の頃に母親の恋人に受けた虐待が原因であることが後にわかります。母親が虐待をとめなかったのは、アーサーが「笑っているから」だと。

この映画で、アーサーはお母さんの面倒をみる時はとても優しい表情をしていますし、子供の頃の虐待の記憶はないようです。

ここで、社会学の事例のリストカットの女の子とアーサーが私の中で重なってきました。
よく分かったのは、家庭内における異常な事を子供は異常と認識できないことと、お母さんが悪いと言い切ることがとても難しいということでした。
リストカットの女の子が、大人になって自傷行為をしたことの語りに、

「今現在のお母さんは優しく、過去のことなどなかった様に振舞う(勿論、謝るなどもない)。けど、私はなかったことにはできないし、許すこともできない。けど、今はお母さんは私を大好きだし、応えたい。だから、お母さんを憎いことや過去のことを今のお母さんに言えない。」

というようなことがありました。
外から見れば、この母親には自分がどんな酷いことをしたか思い知らせてやれ!と乱暴に思えるのですが、子供にとってお母さんを否定することがどんなに難しいかは、誰にでもよく分かると思います。

私は結婚してから、夫に、自分と母親の事を話して自分の育った環境をやっと少し客観的に認識できました。というか、実母とはまっったく違うタイプの穏やかな義母に出会ったのも衝撃だった(笑)

4.まとめ

○家庭内における異常な事を子供は異常と認識できないこと
○お母さんが悪いと言い切ることがとても難しいということ

社会学の事例と『JOKER』がつながって、私の中にモワモワ〜っと出てきた上記の2つのこと。

これが、私が号泣おばさんしてしまったことと繋がるような感覚が私には今あります。
私は、自分の母子家庭時代を語る時、いつも「お母さんは私たちを一番に考え頑張ってくれていた。経済的な苦しさもなかったし、寂しい思いも特にしたことがない。」と言っていましたし、それは事実です。母は大好きでしたし、今も好きです。
だけど、もしかしたら母のこういう部分に私は苦しめられていたかも、という、具体的にハッキリと言葉にできるとこまで、この数日で到達しました。(「こういう部分」についてはブログに書くことではないと思うので書きませんが)
それを母に伝えるつもりは勿論なくて、私が自分で分かったことに意味がありそうです。

過食嘔吐という、私の感情的な行為もやはりそこにつながっていたような気がします。私は母に受け入れてほしい感情があったけれど、母は自分が傷付き自分が娘に否定されているようで、母は私を受け入れることができなかったのだと思います。
母を今更責めたいとか、謝ってほしいとか、認めてほしいとかではなく、でも私が今しちゃっていることは、ズバリ母親のせいにすることです。

私も自分が母になり、自分の弱さというか、母親なんて大したもんじゃないということが(私はね。世の母親たちは偉大だと思う。)よく分かります。でも、息子たちをみてると、息子たちは私に、いつでも大きく手を広げて胸に受け入れてくれる母でいて欲しいことがよく分かります。
私も母にそうしてほしかった。

講義のあと考えてみて、母が私にしていたと思われることは、子供に求めるべきことではなく母親として未熟であったと、お母さんを悪く言いたくないって気持ちは一先ず置いておき、そう言い切ってしまうことに意味があると思いました。
でもそれは、母が悪いのだと開き直ること自体ではなく、ただ私を楽にすることとして、そうすれば、リストカットの女の子の様な、自分の「傷」に触れてしまう出来事にあたった時に、号泣おばさんにならずに済む自分になれる気がしました。

私は、今回の大学の講義で社会学、とりわけ感情社会学やオートエスノグラフィにビビビビー!!っときてしまったので、歴史学者にもなりたいけど社会学者にもなりたくなってきました。
今回は、3個目の記事で思っきし自分語りしてるやんという感じになってしまいましたが、感情社会学という学問としての、自己省察というつもりでやってみました。
4,000字のレポート2本手書きして、またここで4,000字の記事書いてるじゃんか。いいトレーニングです。

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