泣く男をあなたは最近、見ましたか

むかし、何かの本で江戸時代の武士の生活ぶりにまつわる文章を読んだことがある。当時の武士が残した日記などを手掛かりにしたものだが、興味深い記述があった。残念ながら著者や書名を想いだせないので、分かり次第参照元を挙げたいと思う。

そこには、江戸時代の武士はよく泣いたと書かれていたのである。感動したり悲しかったり、さまざまな場面で武士は泣いた。そういえば江戸時代ではないが、平安の歌人であった在原業平も「みやこどり」という野鳥をを見て、その名前から京の都を想い泣いている。

ところでその本によれば、「男は泣くな」という価値観が広まったのは明治時代、富国強兵策が行きわたったあとだという。日本男児としてのあるべき姿として、泣かない強い男が要請されたのである。これはわたしの推測に過ぎないが、フランス式から代わってドイツ式となった軍事訓練で、鉄拳制裁が盛んになったことにも関係があるのかもしれない。少なくとも江戸時代までは、切腹=泣かない男ではなかったことは確かである。泣く男が同時に、切腹をも厭わなかったのである。

厳密な歴史はさておき、現代である。今日やった「聖書を読む会」のなかで、参加者からこんな話をうかがった。次男が保育園在園時、男の子たちがよく泣いていて驚いたと。自分が子どもの頃も、またその子より10歳上の長男のときも、そんなことはなかったのだがと。わたしはその話をお聞きして、とても嬉しかった。そしてその人にこう答えたのである、その子たちがそのまま大人になってくれたらいいですねと。

あえて大きな主語で語らせてもらえば、教会に相談や打ち明け話をしに来る人は女性が多いし、女性のほうがよく涙を流す。男性の相談者は少ないうえに、ほぼ泣くことがない(もちろん例外もある上での、傾向としての話である)。わたしはこのことに、男性であるがゆえの苦しみを見る。フェミニズムが女性であるがゆえの苦しみを発見したように。

ここから先は

1,835字
この記事のみ ¥ 300

記事に共感していただけたら、献金をよろしくお願い申し上げます。教会に来る相談者の方への応対など、活動に用いさせていただきます。