人との関わり

映画『種をまく人』のトークイベントにゲストとして呼んで頂いた。本作品の内容やその美しさについてはぜひ、各位ご覧になって頂きたいのだが、そこで一つだけわたしが言えることがあるとすれば、それは「他人と関わることのめんどうくささ」および「めんどうくさいからこそ、なにかが起こる」ということである。

『種をまく人』の主人公、光雄は精神障害者であり、精神科病棟から退院したばかりである。そして独身で、まだ住む場所も決まっていない。これから行政などの支援を受けつつ、生活場所その他を決めていく過程にある。そこで当面は弟夫婦の家に住まわせてもらうことになった。そこである重大なトラブルが起こる、というのが映画の展開である。

弟の妻は、義兄に対してやさしい配慮をみせる。いかにもドラマチックな、わかりやすい差別などしない。しかも「ほんとうは差別したいが、表向きはやさしいふりをしている」的な、これまたわかりやすい振る舞いもしない。たぶん本心から親切である。夫の大切なお兄さんなのだからと、彼女には彼を少しでも助けたいという思いしかない。

だが映画内で展開されるトラブルをとおして、次第にこうした親切心に限界が来る。まずは彼女の実母がキレる。「だからあの人(たち)と結婚するのは反対だったのよ」と露骨に言う。もっと露骨な言葉も吐くが、それはストーリーに関わることなので、ここではご紹介できない。彼女は次第に追い詰められてゆく。そして彼女自身もまたいつのまにか、精神障害の義兄を排斥し、そしてその「血筋」である夫をも忌避するようになってゆく。

差別する人間イコール悪役、というようなチープな展開がそこにはない。ある程度おだやかに育っている人であれば、安定した状況下で誰かをその属性で面と向かって露骨に差別することは、今ではあまりない。そして「ほんとうは差別したいが、そうすると自分が社会的にパージされるから、とりあえず差別しないふりをしておこう」的な感覚さえ、たいていの人の場合、ふだんは意識にのぼらないだろう。多くの人は出会う相手に対して本心から親切である。だが自分も巻き込まれる事件や事故、その他さまざまな対人トラブルによって追い詰められたとき、「だからこういう人は困るんだ!」という怒りや憎しみが沸騰する。

映画を観ていて想わされる。そうした人の「だから~な人は困るんだ!」的な想いは、果たして「本音」なのだろうかと。それがいわゆる不都合な真実なのであって、ふだんのやさしい笑顔は偽善でしかないのかと。わたしは違うと思う。映画冒頭の、光雄を本気で受け容れ、支えようとしている彼女もまた真実の彼女である。これが真実だからこそ、トラブルの後で光雄どころかその弟である夫まで排斥しようとする彼女もまた真実の姿なのだ。どちらかがほんとうで、どちらかがうそでもないし、ましてや差別や排斥をする彼女だけが本物で、親切な彼女は偽善者だというような、そんな薄っぺらい話ではない。

だからこそ差別の問題は困難なのである。「あなたのこの部分こそが差別なのです」と、目の前に置いてあるマグカップを指さすように差別を指定できるのであれば問題は単純である。だが現実はそうではない。ふだん、ほんとうに親切で分け隔てをしない人は、ほんとうに心から分け隔てなく接しているのだ。そういう人「であっても」、追い詰められれば人を排斥するし、差別もするのである。そういう人の場合、「あなたのこの部分が差別なのです」などと名指しすることは不可能である。ふだんはそんな差別的行為の片鱗すら見えないし、しかもそれは差別を内心に隠しているのではない。ほんとうに差別をしていないのだ。

他人との関わりというのは、単純なことではない。「もうこんなやつと関わるのは御免蒙りたい」というようなトラブルに巻き込まれることが、人づきあいにはしばしば起こる。そしてそれを限界まで回避する努力の結果が現代なのかもしれない。こういう属性を持った人にはこう対処すればよい。こういう属性の人からは距離を置きましょう。そうすれば表立って差別だと糾弾されることもなく、トラブルを避けることができます────そうやって誰もが自分にとって最適な人を選択して行けば、人々の選択からこぼれ落ちていった人は最終的に孤立する。そして、それだけではない。選択に選択を重ねていった結果、選択するあなた、あるいはわたしの周りにもまた、誰も残らない。選択するわたしは、たしかに対人トラブルに巻き込まれる煩わしさがない。その代わりもう誰も、トラブルのリスクを背負い、そんな骨を折ってまで、わたしとわざわざ関わりを持とうとはしなくなるだろう。

『種をまく人』は映画ではあるし、たしかにそこで描かれるような大きなトラブルは、そう簡単には起こらない。だがそこで浮き彫りとなる人間関係の距離感の問題は、わたしが相談を受ける多くの「ふつうの」人たちに共通するテーマでもある。精神障害その他の持病や障害。性。職業の種類、あるいは無職であること。学歴。その他さまざまなスティグマを背負った人。周りの誰もが親切にしてくれる。だが、誰に対しても心を開くことが出来ない。心を開けば、きっとトラブルになるから...「迷惑をかけることはできない」というつらさは、そもそもトラブルが起こる以前から、わたしたちを支配してはいないだろうか。

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