胡蝶蘭と洗礼者

一人ひとりがかけがえのない人生を生きていることに異論はないし、その一人ひとりが後悔のない生き方ができるなら、それは素晴らしいことだろうと思う。けれども、わたしは一方で、この「かけがえのなさ」そして「自分の人生に後悔しないこと」という、それぞれの個性に委ねられたものが、とても重い、重すぎる責務であるような気もしている。

礼拝堂の胡蝶蘭がいよいよ咲き始めた。この胡蝶蘭は昨年の秋、ある方を天へと見送った際、教会に届けられたものだ。厳密にはご遺族へ贈られたものだが、教会に寄贈してくださったのである。わたしは胡蝶蘭の世話をしたことがなく、母からも「胡蝶蘭は難しい。すぐ腐る」と聞いていた。なんとか枯らさずに育てたいと思い、わたしは母には馴染みのない文明の利器、インターネットを用いた。胡蝶蘭に関するさまざまなアドバイスが初心者に向けて発信されており、どれもおおむね似たようなことが書かれていたため混乱することもなく、わたしは世話と手入れを始めることができた。

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