歯切れの悪さ、据わりの悪さ

標準語かどうかわからないが、わたしの出身地では「ぼちぼち、やろか」とか「ぼつぼつ、やろか」とかいった表現がある。

たしかに、始めるわけである。だがいつから始めるのか。「ぼつぼつ、やろか」と言いつつ、だらけたままのこともある。「ぼつぼつ、やろか」と言いつつ、ゆっくり立ち上がることもある。「ぼつぼつ、やろか!」と「よっこらしょ!」みたいに勢いをつけて動き始めることもある。ただ、どれも「さあ、やるぞ!」というような、やらない─やるの明快さはない。そういう曖昧さがあるから、わたしは、この「ぼつぼつ」が好きである。

「ぼつぼつ、やろか」と言いつつ、いつまでも始めない場合もあるわけだ。休憩がなかなか終わらない。牧師という仕事柄なのか、わたしはそういう人と出遭うことが多いような気がする。しかし、のんびり休憩ができているのなら幸いだ。他人から「はやくやれよ」と言われようが「今は休憩中」と答えられる人は、見ていてこちらも幸せになる。だが、そうではない人もいる。というより、そうでない人のほうが多いかもしれない。ぼつぼつ、やり始めたい、やり始めねばならぬ。そう思っているのだが、やり始めることができずに苦しんでいる人。

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