見て、観る

ニュースを見ても、ツイッターを見ても、また、わたし自身が発信している言葉自体も、コロナウイルスにまつわることばかりである。そして今、わたしはひとり聖書を読みながら、先駆者たちのことを想っている。

教父たちにせよ、宗教改革者と呼ばれる人々にせよ、異端として処断されていった数々のセクトにせよ、近代の神学者たちにせよ。彼ら彼女らは戦乱や気候の変動、あるいは疫病に直面したときに、その思索を巡らせたのであった。いや、思索を巡らせる前に、まず祈ったのであった。祈りのなかで紡ぎ出された言葉こそが、後代に普遍性を持つ知恵として伝えられたのであった。

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