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夢の記号

〈少年の夢〉

その晩の
あまりに寒きに
少年は思ひを奪はれたり
時凍つままに
時虚しく流れ去ぬ
夢の街に槌音の絶え
木々の枝の垂れ沈む
雪凍つ晩に
思ひの灯は
灰燼に消え入りぬ


〈終末〉

戦争らしい
避難所に大勢の人たちが集まり
あわてた様子で行き交っている
野戦病院なのか
わたしが廊下を出口に向かって走っていると
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした女の子に出くわした
どこの誰かもわからず
身内らしき人もいないと
周囲の人らは困り果てている
わたしは何も考えず自分が引き取ろうと決め
その女の子をおぶると
配給された弁当を二つ輪ゴムで止め合わせて
戦火の及んでいない西へと向かった

平行する夢の中では
黒く不気味な雲が
夕暮れの空を覆っている
今にも天が二つに割れて
溜まりに溜まった天の水が
落っこちてくるのではないか
そんな終末の光景の中
わたしは丈高い雑草のトンネルの中
家に向かって急いでいる
周囲の人たちを見回すと
なぜかベビーカーを押すお母さんたちばかりだ
途中白黒の大きな猫に出くわす
わたしは猫と一緒に走る
早くしろとわたしは猫の尻を押す
草のトンネルを抜けると
そこは町を見下ろす坂上だ
猫とわたしはただならぬ気配のなか
町を見下ろしている
戦火か大地震か
何が起こっているのかはわからないが

戦火と女の子と大きな猫と
そして弁当が二つ…

わたしにはこの夢が何を言っているのか
とてもよくわかるが
どう人に説明していいかさっばりわからない

災厄と草のトンネルと
ベビーカーを押したお母さんたち…

それもこれもわたしにしかわからない言語で書かれている


〈朝ならぬ朝〉

吐瀉物が撒き散らされた
駅構内の夢を見た
いつも乗り換え時に通る通路…
ひどい朝だ
まったくもってひどすぎる朝だ
わたしはやっといつものカフェに
たどり着いた
誇るべき何ものもなく
語るべき物語もない
ぼろ雑巾のような
情けない朝だ


〈産屋〉

夢の中でも海風は冷たかった
波は高く
掘っ建て小屋は隙間だらけで
びゅーびゆーと音をたてている
入口側の道具置き場に
生まれたばかりの赤ん坊がいた
息子なのか
とするとここは海岸に建てられた産屋なのか
しかし母親はどこだろう
それににてもなんとうそ寒いのか
そしてなんと波は高く黒いのか
嬰児は常に
母親の胸に抱かれていてしかるべきではないか
だがここでは
息子を抱いているのは廃屋のような産屋と
冷たい海風ばかりなのである

生まれた直後に母親から離され
新生児ICUで
人工呼吸器をつけられた
息子の手を
わたしはただただ握りしめていた
母親の代わりになれないことが歯痒かった
何度もそう思ったのを今でも覚えている


〈失意の構造〉

この間までたくさんの本が並べられていた店頭に
空き箱や包み紙が乱雑に置かれている
この店は閉まるのか
知り合いの店員さんに声をかけると
まるで見知らぬ他人のように怪訝な顔をする
わたしのほうもその人の名前がでてこない
名前を思い出そうとしていると
夢の場面は転換し
とあるサッカーチームのTシャツを
宝物にしている知り合いが
おかしなヨーロッパのフーリガンの話をしている
そのフーリガンはそのTシャツを販売している店が
棚の中央に置いていないのを不服とし
わざわざそれを万引きして
その店に抗議の意思を表したという
まったく理解を絶した熱狂者の話である

前日の印象や思考の残滓から呼び出された
この二つの夢の場面は全く似てもいない
閉店した本屋とフーリガンと
どう考えても何の関連もない
このつながりを
どんなシュールレアリストも
解くことができないだろう
しかし同じ主題が変奏されただけで
二つは同じ夢だとわたしは気づく
同じ夢が二度繰り返されたのだと

夢はわたしの〈失意〉を知覚したのだ
灯りが消えていく我が魂の内部を感知したのだ
変奏による繰り返しが
その主題を強調している
すると繰り返された〈失意〉の構造が浮上する
明日の夢では
続きものの物語のように
〈失意〉は〈寛容〉に反転されるはずである

〈失意〉と〈寛容〉は天地をひっくり返しただけの同型物なのだから


〈湖底の鐘〉

強張った街の網目も緩やかに解かれ
賑やかな夕暮れがやってくる
酸のような過酷な夏の陽射しは去った
風は穏やかに下降し
街路で柔らかな
シフォンスカートを翻した
凍りついた胎児がオドオドと
女たちを見上げ
虐げられた時の歪みを
しばし忘れた
一方懐かしい森では
透明な湖の底で
日没を知らせる鐘が鳴った
夏の夜が更けてゆけば
子どもの寝息だけが
母親たちの夜を満たすだろう


〈猫の街〉

夕暮れ時の小さな公園の真ん中に
街路灯が灯って周囲を丸く照らしている
わたしはその灯りの輪の中で
軽くジョギングの真似事をしている
なにやらとても体が軽やかで
ジョギングなんて珍しいなと自分でも思っている
近隣の人たちが公園を通り抜けていく
ジャージ姿の散歩の親子や
帰途を急ぐメガネのサラリーマンなどなど
わたしは公園から出ると
家と家の間のキャットウォークのような狭い路地に入る
木塀の割れ目のような隙間から顔を出すと
そこには夕暮れ時の普通の町の
普通の静かな通りがあるだけだ
どうもわたしは猫になっているようだ


〈我が街〉

わたしはまたも
年がら年中工事中の我が夢の街にやってきた
今この街は側溝を暗渠にしているのか
でなければ道路を架け替えているのか

わたしは側溝か道路に覆いをする途上の
工事中の通路の上を歩いている
まだ仮の鉄板が敷いてあるだけで
至って危い
ところどころ鉄板もない箇所があり
足を滑らせでもしたら下に落ちてしまう
現場の職人さんたちがわたしの歩みを補助してくれる
とてもありがたい
日焼けした顔に白へルメット
そう言えばこの夢の街で
職人さんたちを見るのは初めてだ
しかも夜じゃない


〈行き違い〉

友人が高校野球の地方大会を熱く語っている
あのピッチャーは注目だとかなんとか…
友人と一緒に電車を降りたが
わたしは網棚に忘れ物をしたことに気づいた
急いで電車の中に戻り
荷物を手に取る
降りようとしたが間に合わず
ドアは閉まってしまった
ホームでは友人があちこち見回して
わたしを探しているが
容赦なく電車は走り出す
まあしかたないと
わたしはそのまま黙って立っている

ちょっとした関係の齟齬や行き違いを
こんなにも意外な人物と小道具を配して
こんな豊かな形象で表現できるとは
夢とは何と優れた作家なのだろうか


〈夢の橋〉

夢が夢を反復する
像を像で表す
像と像が同期する
像と像が吸着する

像と像がずれる
差異が差異のまま白ける
差異が氾濫する
主客がずれる
差異が同一性を失う
類同性が凍る
差異は沸騰する
同一性が強迫化する
強迫が繰り返される
強迫は国家になる
強迫が身体を失う
わたしは内閉する

像と像がずれる
差異が差異のまま白ける
差異が氾濫する
主客がずれる
差異が同一性を失う
類同性が凍る
差異は沸騰する
像と像の間で待つ
像と像の間で沈黙する
像と像の間で目覚め続ける
像が像を映し出す
像が像に変換される
わたしは待ち
像と像の間に橋を架ける
わたしは夢の中で目覚める


〈晩鐘〉

焦燥に吹かれ
千々に乱れた夢が飛び交う
冷たい風の晩に
あらゆる契機を捉えて
わたしは〈晩鐘〉を重ね合わせている

すると灌木が二、三立っているだけの
ただの草はらに
冬の薄陽が射す
風のない
まるで蒼古の風景のように


〈少年の夢2〉

その人の声
こもれ陽のごとくに
夢にさへ
常に少年に寄り添ひあれば
貪瞋痴といふこと
彼はつひに忘れたり


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