夢の虫
〈夢の虫〉
我夢詠ずれば
日々是虚し
我夢詠ずれば
日々是哀し
されど秋の虫のごと
ただただ
夢を詠ずれば
時に愉しき
こともありなむ
〈デパート〉
明るい照明
ピカピカの床にガラス扉
わたしは人の流れの中をあるく
二階では新入社員の若者たちが
整列して研修を受けている
そんなデパートの光景が夢に現れたら
わたしの時間は何も選択せず
思考が拡散していく日々を
送っているということだ
すると時の瓦礫の向こうから
白い陽が
デパートの前を走る国道の渋滞に
降り注ぐ
翌日には
ご当地アイドルの写真集を
見せびらかしに
例のオタクが
わたしの夢にやってくる
わたしはそんな写真集を眺めながら
へぇ うらやましいな
などと彼に言うのだった
〈彷徨〉
この時の欠落を
わたしの乏しい知恵と
萎えた意志の力では
どうにもできない
このまま時の麻痺の夜闇に
突き動かされて
死ぬまで彷徨することを
宿命として負わされているのだろう
そうやって命尽きるその時まで
羽をもがれた蝉のように
惨めに這いつくばれと
いうことなのだろう
これまでと同じように
老いてなお 大地なき
大地を恐々と歩め
そういうことなのだろう
よろしい
それならそれで
明日も明後日も
コンビニ弁当を手に雑踏に没し
夢にては囚徒となりて
坂の町を延々と
彷徨いあるこうと思うのである
桜や菜の花の季節がくれば
心も浮き立つし
雨の坂では紫陽花も咲くだろう
道端の荻だって風に鳴る
それはそれで
たいそう上出来な風景ではないか
ところで〈彷徨〉は
夢の普遍項であり
おそらく誰の夢にとっても
〈彷徨〉だろう
しかし〈彷徨〉が
どのような物語のなかに立ち現れるか
それはわたしと人々では異なるだろう
闇に沈んだ街路樹の枝は垂れ
建築中の家々の工事は滞り
月の光のない坂の街路をわたしは
とぼとぼと歩いている
わたしの夢にはそのように
〈彷徨〉は立ち現れる
〈彷徨〉はわたしの夢の中で
そのような街に依り憑く
〈聖婚〉
グリムの童話のハッピーエンド
その〈結婚〉のイメージを
「山間の門構え」という言葉で言い表すこともできるだろう
しかし なぜその言葉が選ばれたかは
わたしの夢にしかわからない
その言葉はわたしの夢の中でのみ
〈結婚〉というほかいの時の
依り代となるのである
〈絵画〉
ミレーの「晩鐘」が夕毎に立ち現れ
地下街の雑踏に
黄金の沈黙を発酵させる
人々が押し黙ったまま
階段を上り下りすると
風が起こり
地下鉄の車両が
ホームに滑り込む
そんな時
卑しくまた貧しき人生にしては
過分な日々をおしいただき
わたしはわたしの時間を捥ぎ削いで
神々に感謝の印を
捧げるのである
〈焦燥〉
わたしはあと数分後に舞台に立つ
だというのに
まったく台詞を覚えていない
あるいはすぐにでも
トラック競技が始まるというのに
わたしはなんの準備もしていない百メートル走者だ
わたしは皆の期待を背負い
晴れの舞台を与えられたというのに
まったく用意ができていない
台詞は覚えられず
筋肉はふにゃふにゃで役に立たない
これほど恐ろしい夢を
これまでみたことはない
いや
実は小さな子どもだった頃
何度もなんども
階段から落ちる夢をみた
今すぐ破滅がやってくる…
惰眠を貪ろうものなら
その破滅はいつでも夢に反復しようとする
〈影〉
あの夢で見かけたのも
三人の若者たちだった
彼らは鳶職の若者といった風貌をしていた
ある夢では今時の若者風なダブダブの服を着ていた
おおよそ自分とは縁のない
まったく別の世界の若者たちと思えた
彼らは氷雨に打ち沈んだ郊外の
廃材置き場に現れたり
あるいは都会のビルの
地下通路の袋小路で見かけたりした
そしてまた今朝彼らは夢の中で
繁華街を自転車に乗ってわたしを追い越していった
そして振り返るとにやにや笑う
彼らは麻痺した時間の海底からやってきた
我が影
閉め出された時間的身体が
取り憑いた憑座なのだ
〈破滅〉
道々には名も知らぬ黄色い草花が咲き
風はなんと心地よく
イヌムギを揺らすことか
やはり同じ道だというのに
夢の中では常に破滅の予感に吹きさらされていた
何かちょっとしたことが起こり
生活が破滅する
そんな予感に怯えている
わたしは病んでいるに違いないが
わたしが正気でいられるのは
この破滅の感覚を
隣人や神々や
影の政府に
投影しないですんでいるからに過ぎない
それは外からやってくるのではない
統覚された
わたしの過去からやってくる
しかし細い川を一跨ぎして
向こう側に渡れば
妄想が統覚の堰を切って
脳を侵襲するだろう
〈海の底〉
肚に胎なく
ここは深い海であり
凍った竹叢である
かんたんに豊饒な大地は宿るものだと
思ってきた
明日すぐにでも
子猫たちが竹林を駆け回るだろうと
そうやって四半世紀が過ぎ
やはり深い海は深く
底がない
終わりなき試練に
英雄は潰える
帰還は叶わず
国土は荒廃し続ける
城は眠りにつき
荊に覆われる
〈帰り道〉
電線の向こうに
赤い空がどこまでも広がる
帰り道
雨は午前のうちに止んだ
子どもたちが舗道で一輪車の練習をしたり
サッカーボールでリフティングをしたり
縄跳びをしたりしている
保育園帰りのお母さんが
子どもの手を引き
歌でも歌いそうに
リズミカルに歩く
なんとも美しい夕暮れだというのに
同時にわたしは夢の中で
破滅した世界を歩いている
その世界の空は病んだ赤色をしていて
時という時は止まったまま
ゴミ屋敷が氷雨に打たれている
引きこもった子どもたちが
あっという間に老いさらばえて
死んだ親の年金をもらい続け
自由な自由なアジールが
いつしか無縁社会と呼ばれるようになり
誰もが木賃アパートの一室で
ひとりきりで死んでいった
廃村には黄泉の虫たちばかりが繁殖し
神社の鳥居も古寺の墓石も朽ちていく
わたしは二重の世界を生きている
穏やかな夕暮れと
破滅した赤い夢の世界を
〈同期する形象たち〉
娘の世界には
深い思いやりと
無私の支えに満ちた
視線が必要である
わたしはその視線を空間の形態へと翻訳し
固有な夢の中で
いくらでも象徴化して
同期することができるだろう
野菜を刻む
missing
弁天水
赤い金曜日
…
その形象の秘密を解く者のみが
娘の伴侶たり得るだろう
その形象を継承する者のみが
娘の眠りを覚ますことができるだろう
その者よ
疾く来よ
〈血圧〉
身体は統覚されず
強迫性の太陽から
酸のような陽が降り注ぐ
同じ時の中で
月と木々と土壌が凍りつくと
血圧は上昇し
眠りを忘れた目が見開いて
架空の興奮に酔う
闘争に備えて
不眠の夜に灼熱の太陽が輝く
部屋の外は そして
ベットの下は
敵で満ちている
〈夢統べる時〉
夢よ 夢統べる時よ
かつて神と呼ばれ
人々の夢に自らを現し
明日を告げ知らせし者よ
時に観音ともお釈迦様ともあるいは
白髪の老人ともなったそれ
自己と呼ばれた
心理学者たちの幻
あらゆる民族の最高神
わたしは滅び去った者として
時間の頂上にそれを見る
シジフォスに力を与え
時を駆動する不可視の太陽
観念の至上形態
そしてそれを
わたしは畏怖の念を込めてこう呼ぶ
夢よ 夢統べる時よ
〈混沌の街〉
巨大なぼんぼりのような
工事用夜間照明の眩しい光
クレーンやブルドーザーや
街中に重機の音が鳴り響き
アスファルトが引き剥がされる
高速道路の真ん中に
山を削った土が盛られ
まるでオフロードのようだ
堤防工事は延々と続く
建築中の駅舎で
養生シートがあちこちで風に揺れ
研磨機が耳障りな金属音を響かせている
この街ではいつまでたっても
工事が終わらない
この街はいつまでたっても夜のままだ
〈罪と罰〉
誰にも知られてはならない
人を殺しある場所に遺体を隠したという過去を
しかし捜査の手はすぐそこまで迫っている
犯罪が露見してしまうことを
わたしはただただ怖れている…
その夢はあまりにも生々しくリアルだったので
目覚めた後も
そうか自分は人殺しだった
一生この罪を背負って生きていかないといけないのだ
などと繰り返し考えているのだった
しかしそれはいつのことだったろう?
寝ぼけた頭でわたしは考える
いつどこでわたしは犯罪者になったのだったか…
そうやって子どもの頃から現在までの記憶を何度もたどるのだ
しかしどこにも人を殺したという記憶が見つからない
わたしは確かに殺人者であるのに
人を殺した記憶がない…
そこでようやく
そうかこれは夢だったのだ
と気づく
そしてようやく安堵するのだった
よかった
夢だった
夢で本当によかった…
人殺しの過去は夢だったとして
しかしどういうわけか
やはりわたしは人知れない囚徒のひとりだ
夢は容赦なく
繰り返し人殺しの烙印をわたしに押す
烙印は元型となりシナリオとなって
何度も何度も
架空の人殺しの過去を反復する
そしてその度にわたしは跳ね起きて思う
これが夢だなんてことがあり得るだろうか
これは本当のことなのではないだろうか…
〈沼と原〉
街中にありまた街から遠く
暮れなずむ古い古い原っぱに
鱗粉の剥がれ落ちた蝶らが集う
沼の瘴気にあたれば
それぞれ醜く哀しい妖怪の姿に
変ずるのである
人外のものどもが
互いを互いの夢に映し出せば
それが夜闇の祝祭の灯火になろう
互いの沈黙に互いの沈黙を響かせれば
それが百鬼夜行の賑わいになろう
さすればきりもなく生まれ出ずる
人外のものどものため
彼らは古き古き沼原に
夢の碑を
いくつもいくつも
建て置くのである
〈暗い橋〉
暗い駅を降り
暗い橋を渡る
橋の向こうは闇に没し
見渡すことができない
わたしは恐ろしくなって橋を戻り
その橋を避け
日曜の公園のように人々が集う
賑やかな橋を選んだ
しかし次の場面では
駅を降りると凄まじい雨が降り
わたしは家に帰ることができなくなった
わたしはいつまでも駅で待っていた
夕立が去り
道が明るくなるのを
でなければ家人が車で
迎えにきてくれるはずだ
またも場面は変わり
わたしはやはり家を目指して
バスに乗っている
しかしいつまでたっても
家の近くの停留所には着かない
あの暗い橋は
我が家までの
ラストワンマイルだったのだ
避けてはいけなかった
おそらく渡りきるまでに
蛇の室屋や薄汚い公衆トイレや
黄泉の虫たちが立ちはだかるだろう
あるいは突然反り上がる急斜面や
いくつもの岐路が人の行く手を阻むだろう
それでも避けてはいけなかった
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