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観劇メモ:宙組『夢千鳥』(4/25 改)

『夢千鳥』、初日公演を観てきました。

ということでメモを書いていたのですが(4/23)、予定していたもう1回の観劇が緊急事態宣言により叶わぬことになりました。また現状で配信等も発表されていないため、もうちょい書き足すこととしました。

演者さんに対する感想→シーンごとの感想です。ネタバレしています。めちゃくちゃ長いです。あと言うても1回しか観られておりませんので、シーン間違い等あるかもしれません。



『夢千鳥』。演技者、和希そらを見せつけられた。そんな感想です。

わたしが和希さんの舞台を見るのは『アナスタシア』に次いで2本目なので、何を知っているんだという感じの発言なんですけれど。もともとなんだよ、って言われたら平伏して「おすすめの作品教えてください!」になるだけで、本当に知りたい。この演技力を見られる作品。

そもそも、わたしが和希さんをこの人好きだな!となったのが「強さと美しさと優しさ、あとちょっとズルさも演じられる素敵な娘役さんだな」という認識からなので(男役の方が女性を演じることもある、ということすら知らなかったのです)。そのくらい、美しい女性として違和感のない方であると思ったところからのスタート。男性というよりは少年の役が似合う雰囲気を持っていらっしゃる、そういう認識。

そして時代柄、足元が裸足や下駄になるため、身長他でそこまでの補正もできない。男らしさ、を表現するのに視覚的なブーストをかけるのが難しい。はずなのに、舞台の上に立つのは、圧倒的な色香を持ち、その色香に多くの女性が惑わされる、そんな大人の男性でした。女性が夢二という男性の役を演じている、のではなく、和希そら(女性でも男性でもなく、そういう役者)が竹久夢二を演じている、という認識が容易で、違和感がない。

和希さんが演じる夢二は、美しく、多くの人にその作品を求められ・認められていて、彼を愛する人がおり、けれどコンプレックスの塊で、独善的。女性をどこか道具として見なしているところがあり、自分と同じことを女がすることは許せない。女に手を挙げ、自分が泣かせた女を前に一心不乱にその姿をスケッチをはじめる狂気を持つ。

取り繕いようのないほどにクズ男。けれど、才能、寂しさ、苦しみをも含めて愛してしまわずにいられない男。恋愛をいくら他でしようと、自分にだけ見せる顔があり、「私が唯一」と思わせてしまう。そうしてその顔を愛してしまったならば女はもう逃れようがない。夢二を試してしまいながら、そこにあるのは愛ゆえ。そして自分が唯一ではない、と気づいてしまえば、絶望しかない。蟻地獄みたいな、麻薬みたいな男。

という、圧倒的な「男」の姿を、和希さんが体現してらした。今の時代から見たならば、夢二のやっていることを要素を取り上げてみていけば最低最悪。なのに、舞台の上では胸糞悪い話ではなく、美しい悪夢のような舞台が繰り広げられている。夢二という人間の魅力を、彼が愛されてしまった理由を、見事に表現しているからなのでは、としみじみ考えたのでした。

夢二=クズというその人間像は、まぁ、元々よく知られているもので。クズというか、時代的なところもあるのだけれど、現代の女性の目で見れば「これを題材にするん?」ってなる時代と人物。なのに、宝塚という舞台装置の中で、美化することなく真正面から描いているのが凄かった。がっちり描いているのに、エグくもなく、きちんと愛の物語として成立させている。脚本、演出、そして演者への信頼があってこそだなぁ、という感想です。


一方で他万喜を演じた天彩峰里さん。

開演前にパンフこうたろ、とキャトルに行ったらお写真出てて、「あーーー、これダメな奴ですわ」って和希さんのとともに複数買いしたんだけど、写真1枚の奇跡とかじゃない。あのまんまの他万喜がいた。ミューズであるとともに、夢二のコンプレックスを刺激する存在でもある彼女。その彼女の、夢二への愛が故におかしくなっていく様が、その美しさの中に滲ませる狂気、という感じに表現されていて「嘘やろ……この子、この前アナスタシアの少女時代演じていた子って嘘やろ……??」ってなりました。美しい狂気って、少女アナスタシアにその要素いっこもないじゃん?どうなっているの???

物語の最初の方、港屋の奥から和装の他万喜が出てくるのだけれど、先のシーンで演じていた女優・赤羽礼奈とはまた異なる首筋に浮かぶ気怠さ。あのスッとした立ち姿だけで、夢二が描く美人画が思い浮かぶほどでした。



以下、シーンごとに、特に印象に残った辺りを。

プロローグ、に入る前に、場内のアナウンスがもう世界観出してました。かすれたウィスパーボイスの和希さんの声。これから始まる耽美な世界観が、あの開演前のごあいさつだけでも伝わるの、天才過ぎやしませんか。

幼少期時代を経て、冒頭で夢二としての踊り。そこに絡み合う3人の女性たち。「はい、こういう話ですよー!」という名刺がピシッと出された感。ところで素朴な疑問なのですが、着物であれだけ踊っていて、膝から下以外見えないの、どうなってるんだろう?あの乱れなさはすごいなぁ、もう一回見たいなぁ、ってしみじみと。

再び幼少期時代。少年夢二の、石投げの所作。鳥居に向かって投げるところ、高いところにそっと置くように投げるその動きが、とてもリアルで。その後、姉と指切りをする際に、手に掴んだ小石をわざわざ反対の手に握り直す、というシーンがあって、その動きもリアルで。つい見入ってしまった記憶が残っている。

あと印象的と言えば、セット。全体的にセットがシンプルな舞台だったのだけれど、再び戻った幼少期シーン、空っぽの舞台で鳥居のシルエットが背景に映し出されていて、それで十分その場面を説明できている。この後の場面もまた、割とシンプルなセットで、背景作りこみがなくて、なのに物足りないのではなく凄い奥行きを感じさせるものだった。栗田先生、元々小劇場のお芝居をやっていた方なのかしら……?


2場の監督シーン。現代パート(実際には昭和、あるいは平成初期?ちょっと時代が前な感じだけど、暫定的に) 結構場面が切り替わるのに、完全に暗転する時間が少なくて、お見事だった。パッ、パッと場面が移り、人が変わり、話が進んでいく自然さ。特にバーのシーンに至る、歌手ピンスポ、からの場面転換が美しかった。素敵……(後ろのシーンと混同している可能性もある)。


3場、港屋。さっきも書いたけれど、天彩さんが登場した時点で、ハイ優勝!立ち姿だけで、「大いなる眼の殊に美しき人」と当時の新聞で称された姿、まさにそのまま表現されていた。女学生たちが彼女の姿を見て声をなくし、あるいは男子学生たちが彼女を描きたいと願い、そして彼らをそもそも惹きつけた竹久夢二のミューズ。美しい。

基本的に会話劇で二人の関係性や現在の状況が説明されていくのだけれど、二人の関係性、既に破綻しているそれが明確に見える流れが美しい。

時間飛んで港屋再び。他万喜に思いを寄せる東郷青児、の、夢二にない純朴まっすぐさ!やだ、こんなん、他万喜が揺れちゃうじゃない(揺れているのはわたしでは)という表現が素敵でした。帰宅後、色々調べて驚愕することになるのを、この時のわたしは知らない。


4場、待合。破綻のはじまりが描かれるシーン。前場面で示された、夢二がちゃんと描かないがため、港屋の品ぞろえが悪くなり、他万喜がせっつき、それに夢二が激昂する、というそのシーンの繋がり。東郷青児が夢二の影武者をやる、と名乗り出て、実際にその夢二の画風を真似た作品を売り始めた港屋。その事実を花街で知ってしまった夢二。目と声がスッと冷め、その代わりのように菊子を抱くところが凄くよかったです(※語彙力は失われました)。

同、港屋。他万喜との対立シーン。あるいはドメスティックなバイオレンス。自身の行状を棚に上げ、他万喜をなじり、殴る夢二。そのシーンがタンゴと重なって表現されていて、スヴィッツラハウスで見たビリヤードタンゴに続いて、この世界は奥が深すぎる。煽る他万喜が、嫉妬する夢二に喜びを感じているのが伝わってきて、なんと業が深いのだろう、としみじみしてしまう。こんなにもエキセントリックな女を、あの少女アナスタシアが!と考えてしまうよね。諍いが感情に火をつけ一瞬盛り上がったり、けれどそれをもう一度と求めてしまった他万喜がやりすぎていく。そこから続く刃傷沙汰のシーン。舞う血を赤い羽根で表現していて、見事が過ぎた。そしてうずくまる他万喜を見て筆を走らせる夢二の狂気が見事で、和希さん天才。あとこのシーン作った先生、天才。


5場、バー、現代パート。他万喜の行動と、女優赤羽礼奈の行動が重ね合わされる感じ。「逆効果なのに」という一言で、その後の夢二パートの流れを示唆する感じがお見事。衣装替え等の都合もあっての挿話なのだろうけれど、不自然さがない。


6場、女学校~港屋。彦乃の「他万喜にない無邪気さ」が声でも表現されているのかな?という感じ。自立した女性を目指していたはずの登場シーンで、けれど結局この後夢二に溺れてしまうんだからなぁ……と遠い目をしたくなる。

他万喜をミューズとしたことで夢二は大衆の評価を得て、けれど画壇は彼のことを認めようとしない。そこに強いコンプレックスを持っている。そんな夢二の美人画こそが素晴らしいと、かつて一流の画家に指南を受けていた少女が語ることで、承認欲求が満たされる。どうしても前の夫の存在がチラついてしまう他万喜にでは、満たされ得ぬもの。自ら引き合いに出して、比べさせて、そうして卑下するのだからたちが悪いよな、夢二。「そんなことないわ」って他万喜が言わないとわかっていて、言うのだから。その点、彦乃は何もしらないお嬢さんで、知らぬが故にまっすぐに称賛を寄越してくる。自分を師として仰ぐ、間違いなく自分より「下」の存在。だから惹かれるのだ、というのが短いながらも表現されているし、それぞれに向ける表情も異なっていて面白い。

彦乃が一番の愛された対象だ、というのがよくある現代の解釈で、けれどその点に疑問を持っている、というのが2場のバーのシーンで白澤自身が語ることで提示されているけれど、彦乃が愛してくれた自分像を愛したのかな、とも思えてくる関係性の表現だったなぁ、としみじみと考える。


7場、楽屋。女優の赤羽礼奈とのうわさをされる若手俳優・西条湊。演じているのが東郷青児役のひと、と、見事に重ねてきている。自分自身が利用されている、ということを薄々と感じ取りつつも、それでもという感情を、少ないセリフで表現している。時代の転換は唐突に訪れるのだけれど、どちらも違和感はないし、現代パートは夢二の世界を解説してくれていて、わかりやすいなぁ。


8場、画学校、逢引。9場、祈り~手紙~座礁。10場、列車まで。彦乃の無邪気さ、あるいは明るさがすごくダメージを与えてくる(笑)。東郷青児をけしかけるなど、この子が決して純粋無垢だけの少女ではない、女なのだなぁという表現がされているのが、また。あざとい、というよりもしたたかな女だな、と。セリフに怖さをほとんど出すことなく、彦乃役の山吹さんが演じてらっしゃる。きっとそういう面を、夢二には見せたりしなかっただろうな、という想像までさせてくる。

ある意味、感情を直接ぶつけ、憎みながらも愛する他万喜のほうが、本質のまっすぐさでいえば上。ただし、まっすぐ斜め下、という感じだけれど。他万喜が唯一の拠り所にしていた、自分だけが彼のモデルになれるという誇りを奪った際も、それを効果的に彼女に伝わるようにしただろうな、ということを考えるくらいの怖い女の表現だった。ゾッとしてしまい、この部分の記憶が薄いくらい。


第10場、京都~長崎。つかの間の平和な時間である京都。ここでもまだ、彦乃が怖いな、と思いながら見ていた記憶。不二彦を引き取ることを提案したのは、いったいどっちだったんだろうな?などと考えてしまうので。

夢二は本質的に自分の不足を補うために女を愛したように思うけれど、彦乃もまた、自分のために夢二を愛している。そんなゆがんだ自己愛同士がちょうどかみ合ったかのような幸せは、彦乃の父が登場することで破られる。後の場面といい、主人公周辺で数少ないまっとうなことを言ってくれる人だったな、父ちゃん……。


2幕、1場。撮影所からバー。バーのシーンで現代から夢二へと繋がっていくのだけれど、それがとても自然で良かった。スポットライトを浴びる歌手に視線が移っている間に、時代が変化している表現。この場面転換の見事さ、あと照明の使い方の見事さが、全場面を通して特に「お見事!!」ってなったのはこのシーンでした。


以降、ラストにむけて。

新しいモデル、お葉に関連した場面。うろ覚えだけれど、お葉とのセリフのやりとりが秀逸だった。文字を教えてあげよう、これまでの君を許す(どちらかというと赦す、かも)、と言った夢二。けれどお葉は、これまでの自分も愛するといった人を選ぶ、と夢二に言い放って捨てる。

夢二に持たされた店を切り盛りしていた他万喜。自立した女性になりたいと、青鞜を読んで夢見るように語っていた彦乃。そんな二人より生まれも悪く、学もないお葉だけが、夢二を捨てるという選択ができた。夢二に、愛について投げかけることができた。この3人の女性の対比が、実にうまいなぁと思いました。登場のシーンは少ないのに、彼女の生きざまがくっきり浮かび上がる水音さんのお姿。


そして彦乃の死。もとよりダンスの動きが綺麗で目に飛び込んでくるな、と和希さんに対して思っていたのですが、このシーンで見せた、自身の感情が爆発し、飲み込まれるさまを表現したダンスが、凄まじい説得力でした。空間を切り裂き、支配する、という感じ。

そのダンスの最後、ゆっくりと沈む姿が、精神が崩れていくのと重ね合わせるかのように崩れていく。で、どう考えてもあの姿勢、どういう体幹の持ち主ならあの姿勢取れるの?!ってなるのだけれど、でもその辛さは一切感じさせない。辛い動きではなくて、ただ感情が表に出るとこういう動きになっているんだよ、という認識をさせてくるのが凄まじい。


夢二はお葉を愛するが故に離れることを認め、白澤は夢二を通じて愛を知ったが故に、礼奈を抱きしめる。その選択に至るまでが「あれ、急に足早になったな」とは思うけれど、でも感情の動きとしてはとても納得できた。


ショー部分。が、1幕モノのショーくらいあるんじゃないですか?!という盛りだくさんでありがとうございます!楽しかったです!!ってなりました。デュエダン2回も入れて頂けて、燕尾もあって、ごちそうさまです!!個人的には中森明菜の「赤い鳥逃げた」が、他万喜とのDVタンゴシーンを思い出して、「フゥーッ!!」ってなって最高でした。お声の低音セクシーさがぴったり過ぎるのでは。配信してください。(もう1回観られる予定だったので、物語と違ってストーリーのない部分は全然!覚えられませんでした!!たーのしーーい!しか覚えていません)

衝撃といえば、ロケットのセンターの方。わたしの後の回で見た友人らと共に「あれはだれなんだ」とざわついたのですが、Twitterで呟いていてくれた方がいらして、えええ、東郷青児なの!?という新鮮な驚きが楽しかったです。東郷ちゃんの他万喜へ向けるまっすぐな感情、西条湊ではチャラさを添えて演じてらした亜音有星さん。覚えました。


カテコ。初日映像で出ていますかね? 和希さんが繰り返し発した「千秋楽まで」という言葉。この日に幕が上がるかも、向かいながらずっと不安で、でも幕が上がって嬉しくて。みなさんはもっと不安で、そしてこの日が無事に迎えられてホッとされたのでは、とも思ったのを覚えています。

お稽古の頃には咲いていた花の道の桜が、すっかり散ってしまって、とか。でも今度は緑でも見に来てください、とか。愛の話なんです(ドーン!)とか。繰り返されるカテコで、いろいろとお話くださっていたのに、全然メモも取らなかったことを後悔しております……うう。


観劇が間に合った友人もいれば、間に合わなかった友人もいる。配信をして欲しい、という願いは届かなかったし、見られなかった人にはずっと見られないままになるんでは、という恐怖がある。でも、勿体ないです。和希さんが元々好きだ、という点を差し引いてあまりあるほど、本当に面白い作品でした。どうか、この今のメンバーで作り上げられた作品が、多くの人に届くものでありますように。



配信が!されました!!(5/10 追記)
ということで、配信後にさらに書いたのがこちら。わたし、夢千鳥好きすぎでは??