星組『王家に捧ぐ歌』 ライビュ感想
こちらも以前書いたもの。
なんとなくフワっと書いてそのままにしていたけれど、一応上げておく。
要するにアイーダさまが好きだって話をしています。
遺される人に心を寄せてしまいがちだな、そういえば
というのをしみじみと思い出したライブビューイングでした。
『王家に捧ぐ歌』、持っていたチケットが消えてしまったため、映画館でライブビューイングいたしました。音圧がイマイチだったのもあって、「ああ、これは生で見るべき作品だったなぁ」としみじみ。セリフ芝居の場面がほとんどなく(印象)、ひたすら積み重ねる歌、歌、歌。生でこそ。
元となった作品のタイトルロールは『アイーダ』だけれど、宝塚版は『アムネリス』だよな、というのは個人の感想。最後、愛を選び地下でその愛を成就させたラダメスとアイーダの上に、光を浴びて新しい世界をつくることを誓うアムネリスの姿は、どう見ても愛を成就させた二人の背景にはなり切れず、圧倒的な主役として君臨していたなぁ、と思っておりました(繰り返しますが個人の感想です)。
世界の秩序を守りつつ、愛した人の願いをいまこの時だけでも形にすることで自らの愛を貫いたアムネリスこそが正義では??など。ただ後に確認したところ、宙組版はかなり泣ける作品となっていたらしい。アイーダの在り方に涙した、ってこととも違そうなので、今回の演出が描く世界観の差によるものかな、どうだろう。機会があったら宙組版を見てみたいです。
さて、全体に対する身もふたもない感想としては「ロミジュリっぽいなー」で、それはたぶんに礼さんから受ける印象が主なところだった気がしております。例えば戦いに勝利してエチオピアを下し、勝者として敗者に赦しを与えることにより平和を生み出そうとするあたり。そこで描かれるラダメスが強き者ゆえの独善は、自分たちの結婚が必ず人々を良い方に変えると信じ、ひたすら突き進んだロミオを思い出す、といった具合。他の方が演じていたならまた違ったのかもしれません。私のファースト礼真琴さんがロミオだからっていう、刷り込み現象は大きくあるのかも。
そしてアイーダもまた、なぜ祖国滅亡につながる選択をしたのかもわかりにくく。家族と愛と祖国の間で悩んだ、となるほどには、そもそも彼女について作中で描かれていなかった気がします。で、そうなると若さゆえの判断力のなさ、いまそこにあるものしか見えなくなる感じが理由なのかな、って後付け解釈をしてしまいました。どれはどこかロミジュリっぽいなー、と。
これは私がアイーダおよび時代的なものに対する基礎知識が足りないだけってのもあると考えております。まぁとに.かく、主演二人のお役に対するわたしの理解不足があってこそ、余計にアムネリスが際立って見えた感。物語的な解釈において。
物語と演出には、こんな感じで正直「うーん?」という面が多かったのですが、たぶん劇場で見たら違う感想だろうな、と思ったのが歌。なんせ歌が強い。歌につぐ歌、歌の圧は、さすがにオペラ原作だなぁって楽しい。礼さんの生歌を浴びたかった、ので、やっぱり劇場で見たかったなぁ!!