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犬も喰わない復讐_100日後にZINEをつくる、65日目

小学生の頃のわたしは非常に強いくせ毛で、仲良しの子から「くるくるー!」といじられていた。わたしも耳が大きいその女の子を「ダンボ!」と呼んでからかっていた。よくある親しい間柄の軽口。

しかし、当時のわたしは自分が肥満児であることや、顔面のコンプレックスがねじくれて被害者妄想に陥り、彼女にくるくるくるくる言われることが我慢ならなくなっていた。なんだか、頭がパーみたいだし。
彼女はずんぐりむっくりのわたしと違って、すらっとしていて歌も上手く、なんでもそつなくこなす。自分のコンプレックスを勝手にハンデとしたわたしは、自分が彼女に言う軽口はコミュニケーション、彼女に言われる軽口は悪口だと断定した。
そして徐々にわたしには復讐心が芽生える。

わたしにとっての「復讐」は、まさしくこんな木


「わたしの気持ちをわからせるにはどうしたらいいのか」
「そうだ!同じことをしてやればいい!」

確か、体育館での体育の時間。
わたしは彼女に提案する。

ーねえ、入れ替わりごっこしよ。今からわたしがゆーこになるから、ゆーこがわたしになって。
「なんで?いいけど。」
ー本当にわたしになってね。いい?はい、スタート!・・・くるくる!
「!!・・・ダンボ!」
ーくるくる!くるくる!くるくるー!
「ダンボダンボダンボー!!」
ーくるくるくるくるくるくるくるくる
「ダンボダンボダンボダンボ」

ゆーことは、その後数日に渡ってケンカした。

わたしは一体、彼女のどんな反応を期待してこの計画を実行したのか。
11歳の自分を問い質したい。

記憶なんて川みたいなものだから、1秒だって同じ姿はしていない

どうして人は、自分が受けたダメージの方が、相手に与えているダメージより大きいと判断してしまうんだろう。
どんな言葉であれば、わたしはコミュニケーションとして受け止めていたんだろう。

そもそも、「悪口」と「憎しみ」はどちらが先にやってくるんだろう。
その言葉を言われたから相手を憎むようになるのか、憎い相手に言われるから悪口になるのか。

はっきりしていることはただひとつ。
わたしはわたしとだけは友達になりたくない。

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