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ZINEに悩む_100日後にZINEをつくる、86日目

ここ数日、自分の内側をスクープでぐりっぐりっと掬うような、そんな内容ばかり文字にしていたら、えらく疲れた。
やはり、読み返すのがしんどい自分は、やたらと言語化するもんじゃない。

ここにきて、ZINEをつくることに悩みだす。
今、86日前の文章を読み返せば、書きなおしたい部分も、足りない言葉を補いたい部分も、たくさんある。

でもそうやって過去の自分を「今」に揃えてしまったら、そんなつまらないことはない。かといって、そのままをずるんと出せばいいってもんじゃないってことはわかってる。

そもそも、自分にとっての「面白い」ってなんなんだろう。
「面白いものをつくろう」と意気込んでつくったものは、面白いものになるイメージが湧かないのはどうしてだろう。

いつの間にか「わたしの面白い」は「あなたから見ても面白いかどうか」に取ってかわられ、易々と「あなたに面白いと思われるもの」になりかわる。

「面白い」の平均台を、「面白がらせる」の沼に落ちないように進むのって、ものすごい集中力と真剣さが必要なのだ。

不真面目なわたしは、隙を見つければ自分を、あなたを、こちょぐりたくなる。笑わせたくなる自分の頭を押さえつけるのは、何よりも重労働。

子どもが赤子の頃、意図せず爆笑を引き当てたことが嬉しくて、ウケを狙ってリピートした自分に向けられる、あの我が子のビー玉のようなまなざし。
出産してはじめて、作為を感知する能力は生まれつき備わっていることを知った。

作為探知のレーダーをかいくぐるものが、はたして自分につくれるのか。

考えているとなんだか億劫になってきて、ZINEをつくりたい自分が怪しく思えてくる。

結局、今いる自分はなにか。

1秒ごとに変化する自分の身体、感情、ことばを、地面に両足をこすりつけて歩くように、自分が足を引きずってここを通った痕跡を残してみたいと思う。

歩いているときに身体が一瞬壁をこすって、腕に白いコンクリのかすれが残るみたいに。
この長い人生のたった一瞬、noteとこすれた部分を「本」にしたらそれは何と呼ぶんだろう。
日記?エッセイ?詩?物語?

ZINEは縦書きでつくりたい。



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