よい「からだ」ってなんだ_100日後にZINEをつくる、8日目
わたしにとっては怒涛の週末を乗り切り、スクーリングのレポート提出も終えて、やっとこころが平穏に戻りつつある火曜日。
昨日からやけに食欲がある。
口さびしくてお菓子をちょこちょこ、ではなく、お腹いっぱいごはんが食べたい!という衝動。
日曜のバレーボールでいろんなひとのうごくからだをみて、ぎゅんっ!ばんっ!どんっ!と身の詰まったからだがパワフルにうごくのって最高にかっこいいな!って心がふるえたからかもしれない。
どこかのラジオで「からだの体積はスタミナと比例する」って話してるのを聞いたけど、あながちウソじゃないなって思う。
居心地のいい体重は個人差があるから、あくまで対自分比較でしか検討できないけど、体調不良とか忙しさで体重が数キロ落ちた時って、やっぱり粘れないんだよなあ。
もちろん筋肉と脂肪のバランスがとれていることが前提だけど、<たべる・うごく>がちゃんとできるからだは本当にいいな、と思う。
若いころは1gでも軽いからだを目指してばかみたいなダイエット一通り全部やったし、痩せていることが正義!って本気で信じていたけど、<痩せている>と<貧相>の境目があいまいになりがちな年齢になると共に「良いからだ」に対する価値観も大きく変わった。
40目前のわたしは、心に連動してうごけている身体を見るととても羨ましくなって、10代の頃に体重計相手に一喜一憂してないで身体をうごかす練習をもっとしておくべきであった、、、という先に立たない後悔が湧いてくる。
今は多くのひとが理想のスタイルを目指してからだをコントロールしているし、それが<自己管理能力>として評価すらされる。
「なにかをコントロールできる」という効力感は強烈な快感だし、快感に「他者からの承認」という報酬も上乗せされると、あっという間に踊るのをやめられない赤い靴を履かされてちゃうんだよな。
<やせ至上主義>が<筋肉重視主義>に変わっただけで、時代の価値観が変わっても人がやってることってあんまり変わらないなぁってしみじみ思う。
いや、健康的という言葉に害がない分、余計にたちが悪いか。
女性誌を眺めていると、世代を問わず「モテ」「愛され」から脱却して「わたしらしい」を重要視する価値観に変化してきているけど、この「わたしらしさ」の落とし穴こそ年齢性別問わず陥りやすく、一度はまるとなかなか抜け出せない罠だと思う。
うごきを意識して「歩く」をすると、ぎくしゃくして変な歩き方になるように、「たべる」も「じぶんらしさ」も<意識>として第三者のまなざしが入ってしまったとたん、自然でいられなくなるはず。
現代が「まなざし地獄」って、ほんとにその通りです。
また今日もつらつらと思ったことを書き連ねて、この調子で年が明けたらどうしよう。
まあでも、それもひっくるめてわたしのZINE制作の一部だからいいや。
そろそろおなかがすいてきたので、今日はこのへんで
明日へつづく
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