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「ハッピー」と「ラッキー」がこわい_100日後にZINEをつくる、21日目

最近、あの、かわいいの権化『ちいかわ』が、現代日本の貧しさを風刺した全然かわいくない作品であるという話を耳にして、全巻買った。

わたしが記録しておきたいのは『ちいかわ』の考察ではなく、ラジオの中で引用された以下、米津玄師が語った内容。
(柿内さん曰く、『ちいかわ』と『チェンソーマン』が描いているものは同じようなもの。)

とんでもなく不幸な状況だと、具体性を失っていくと思うんです。とにかく幸せになりたい。でも、幸せになるためにはどうしたらいいかというところにまで考えが及ばない。(省略)とにかくハッピーに生きられたらいい、楽しければいい、ラッキーだったらいい。そういうふうにしか考えられないのって、非常に大きな不幸の裏返しである気がするんですよね。
(省略)本当にどん底の状態にいると、とにかく「幸せになりたい」とか「楽して生きていたい」みたいなあけすけな言葉しか出てこない。「ハッピー」とか「ラッキー」みたいな言葉しか出てこない。

米津玄師「KICK BACK」インタビュー
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi21

このテキストを読んで、真っ先に夫を思い浮かべ、次いで昔バックパッカーに憧れたわたしが感じた「バックパッカーの人々に対する強烈な違和感」を思い出した。
そして何より、わたし自身がどん底の状態をもがいていたときのこと。

今まで「語彙の貧しさ」と呼んでいたものの大半は「具体性を失った抽象的な欲求」であったのかもしれないと思うと、自分の中で宙ぶらりんになっていた多くのことに説明がつく。

うんと昔、「YAHMAN!」「GANJA!」「とりあえずインド!」を合言葉にいつも「ハッピー」のために生きている人たちとほんの少し一緒に暮らした。
日銭を稼いでその日暮らしを謳歌していたあの人達と一緒にいると、とんでもなくさみしい気持ちになったのは、彼らがそれぞれのどん底でもがいていたからなのかもしれない。

『チェンソーマン』第4話

ちなみに夫の口癖は「がんばりたくない」「遊んでくらしたい」だけど、ゲームとスロット以外に「楽しいこと」がない彼の言う『遊んでくらしたい』は具体的にどんな欲求なんだろう。

夫は今どの穴のどん底にいるんだろうか。

『ちいかわ』1巻

自分の信念である思想。
人生の支えとなる信仰。
弱い人間が痛みと共に生きていくために思想や信仰が存在する。

でも、『ハッピーとラッキー』を目的に近づけば、それは自分を支配し搾取するバケモノに変身。(マキマさん!)
ハッピーとラッキーを使えば、ゾンビの量産は簡単。

デンジの馬鹿を笑ってるあなたも!憐れんでる君も!痛快さを感じてる私の中にも!「モテたい!!」しか言えないデンジが住んでる。

『チェンソーマン』第81話


いやしかし、『ちいかわ』から『四丁目の夕日』『ねこぢる』『チェンソーマン』を串刺しにできる柿内さんの頭の中がほんとすき。
わたしも彼のような悪口を言える人間になりたい。

柿内さん注:『ちいかわ』が好きな人は聞かないでください。

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